#練習用

見解による汚れ

「人は見解によって汚れ、理智によって清まる」 単なる知識や情報などの蓄積は、ドゥッカ(苦・痛み)の滅却には何の役にも立たず、却って知識や情報により迷いや悩みを深めてゆく。 知識や情報とは、この世界の全ての関係性・相対性の中の一部分を切り取って…

心のプロセス

自分の心のプロセスを明確に理解して自覚し、制御抑制(コントロール)し調整してゆく事が、自分が自らの真の主人となり自らを清め高め磨き、智慧に基づく歓びに満ちた平安で悦楽な奥深い堅固な幸福な人生を築く唯一の道である。 この世界の全て(物質的エネル…

ブッダの御心は日本に伝わらず

残念ながら釈迦尊(ブッダ)が説かれた真実の仏の御教え(仏教)は、日本では受け入れられず、後代になって伝来(最澄や空海が持ち帰った)した釈迦尊の身教えとはとても言い難い得体の知れない神仏への信仰が日本中に根付いている。では大乗仏教は仏教ではないの…

人みな無明あり

無明とは無知であり、突き詰めてゆけば「真の幸せを見つける事が出来ず,判らず、知らず、気付けず、理解出来ない者」をいうのであり、縁起の法則という条件性により、無知を条件として五集合要素(五蘊)は渇愛は生起させ、渇愛を条件とした五集合要素(五蘊…

人間だもの

相田みつおの「人間だもの」と言い切った人間の在りよう、自我意識、生き方、命の尊さなど、自分の本質的な弱さをも曝け出し生と死をも包摂する存在表現であり実に奥深く情緒と感性を刺激せずには於かない名言であるが、現代社会に於いては「人間だもの」を…

内観と内々観

「人の心のその中は仏も住むが鬼も住む」 人の心、そこには整合性もない無数の自己がすんでいる。 ダークサイドを含め.それら無数の自己をよく知り理解してゆく事で.心は自然に制御されてゆく。 自分の心とは自分を騙し誑かそうと走り逃げ回る.気まぐれで捉…

如来品正師 多々方路傍石語録ー5

【如来品正師 多々方路傍石語録】 経済社会という物質文明の潮流は、人々を欲得への誘惑により翻弄しながら盲目的な無知(無明の闇)を深めてゆく社会でもある。 物や情報は溢れかえるほどに豊富な社会の中で、豊かに発展して行く社会の中で唯、人の心だけが…

前向きな心には不運など存在しない

前向きな心には「不運」など存在しない。 全ての物事、何が幸運で何が不運なのかすら解らない事なのに、単に主観的な角度から捉えて「これは不運だ」「今は不運だ」と認識しているに過ぎずそんな認識(サンカーラ=汚穢)が不運を呼び込んでいるのではなかろ…

調った感性

よく調えられた観性は大楽を生じさせる。それは人々を魅入らせる世の中に溢れ返る罠(誘惑)が仕掛けられている「所有の次元」への必要以上の欲や執着を膨張させず「存在の次元」を顕現させる事でもある。 釈迦尊が真に説いて居らっしゃるのは世の多くの者達…

自他同時(旧)

「所有の次元」に於いて、人は本能(渇き)の衝動により生じる煩悩(存在欲)という生存の素因(存在エネルギー)を増幅させてゆく。存在に必要不可欠なものを欲する「存在の次元」への意思が、増幅された煩悩(増幅存在欲)により愚かにも「所有の次元」の…

自浄作用

「自ら悪を成すならば自ら汚れ、自ら悪を成さないならば自ら浄まる。 浄化も不浄も各自の事柄であり、人は他のものを浄めることは出来ない。 人は、自らの行為と智慧と理法と戒めと節度ある生活により浄められる。」 他力や外力により、人が浄められると説く…

無心(忘我)

先日、未だ沙弥である弟子の一人と対話した時に「解き放たれた心」について説いたのだか私の表現力の拙さも手伝ってか、理解させる事が出来なかった。仏教の基本的で日常的な姿勢は断妄想と気付きであると言えるが、集中する事により自分という意識を脱落さ…

仏教は信心を求めない

◆仏教の有名な言葉に、Ehipassika(エヒパッシカ)という表現があります。 仏教では「信じなさい」とは決して言わないものであり、「自由に、来て下さい、見て下さい。」といった意味で、束縛をしないということであり仏教とは信心でも信仰でもなく、自らよ…

孫悟空(自我の妄想)

「考え方」次第で自分や物事を変えてゆく事が本当に出来るのであるならば知識や見解や思想が満ち溢れる現代社会には苦や悩みや不満など根絶されているだろうに、現実は苦や悩みや不満は増え続け、恨みや妬みは呪いという形をとり、前向きで建設的な向上へと…

賢明と頑迷

釈迦尊の教えは真理である。故に永い時を経過した現代においても実に有益な教えであり、発展を遂げた科学と物質文化の中にあって複雑な社会構造によるストレスに晒され現実と理想とのギャップの中に生みだされる苦悩や不満や怒りが人の心を蝕んでゆく今の時…

心の余裕

宗教(宗ねとなる教え)とは本来.人の心を縛るものではなく、人の無明(本質的無知)や愚かな心を晴らして解放していくべきものなのに、残念ながら社会には、偏った思想や見解や理論で人の心を縛ろうとする宗教と言われる類のものが溢れ返っています…そして現代…

現象世界

この世界は現象世界なのである。 全ての事物は「生じては成長し変化し滅してゆく」という現象を永遠に繰り返しているだけなのであり、私とは生じ成長し変化しながら軈て消えてゆく途上にあるだけの存在なのであり、妄想された神や仏の差配によって現象が醸さ…

感情と理性

思い通りに生きたい、思う存分に生きたい、心の望むがままに生きたい、心が欲するがままに、快きままに生きたいと彷徨う心は煩悩(存在欲)の衝動に絡め捕られ気分しだい感覚しだいで糸が切れた凧の如く流れ、行き着く先は、苦と不満を積み上げ自分勝手で碌…

不治の病

私は病気なのだろうか?病院へ行ったほうが良いのであろうか?脳内麻薬の多量分泌病なのだろうか?人は元来、感覚中毒患者であるが、それとは明らかに異質な軽安な悦楽に、心は解き放たれ、安定化した心は法悦と至福なる快楽を生ずる。 解き放たれ安定化した…

乞食坊主と物乞いシッダ―ルタ

釈迦尊という方がどう生活なされたのかを正しく認識して頂く為には先ず仏教というものを依り正しく認識して頂かなくてはならないと思う。まず大乗は紀元前・後期より、馬鳴(アシュバ・ゴーシャ)等が中心となり「大乗起生論」を軸に成立させ、後に龍樹(ナ…

世俗諦と勝義諦

釈迦尊の説かれた真正な仏教に於ける悟りとは実は大別すると二階梯より成り立つのであるが、近代の仏教世界に於いてこの重要な認識が曖昧となている処が釈迦尊と等正覚な如来への道を阻んだのである。 上座部に於いては有学の四向四果における阿羅漢果(応供)…

真の勝利者

【山の彼方 カールブッセ】 山の彼方(あなた)の 空遠く 幸い住むと 人の言う 噫(ああ)我れ人と 尋(と)め行きて 涙さしぐみ 帰りきぬ 山の彼方に なお遠く 幸い住むと 人の言う [山の向こう、ずっと遠い空の彼方まで行けば、幸福があるのだと誰かが言った。 …

苦は妄想から生じる

「もし人が、一切の妄想から離れることが出来れば、あらゆる苦(ドゥッカ)から完全に解放される。」 「あらゆる苦(ドゥッカ)は渇愛を原因とし、渇愛は妄想を生じさせる。」 渇愛を制御するならば存在欲(煩悩)は制御され、存在欲が制御されれば感情や自我は…

感性

釈迦尊(ブッダ)の真正な仏教が説いているのは世の多くの者達が説く、思考域での意識改革を説いているのではなく、無意識層(潜在意識・末那識-自我意識)と基底層(本能域・横たわる阿羅邪識)をも含めた真理に基づいた覚醒による[調えられた感性]なのです。表層…

物欲

「物欲は果てしなく、空しきものなりて、しかも物欲に満たされることなし」 人は[あれが有れば][これが欲しい]と生きる為には然程も必要でもないものにまで物欲に翻弄され短命な感覚的な喜びを積み重ねて幸福だと錯覚ながら真に満たされる事がない。 その本…

如来品正師 語録その4

◆如来品正師 多々方等正覚 語録 苦を前提として楽は在り、楽を前提として苦は在り 苦楽を前提として不苦不楽は在り不苦不楽を前提として苦楽は在り 苦を前向きに受け止め捉えざる者楽に気付く事なく未だ苦中に在り 楽とは味わうもので苦とは心に留めるもの苦…

如来品正師語録その1

◆如来品正師 多々方等正覚 語録 暮らし貧しくとも、心、貧しくなるなかれ。 暮らし恵まれたれば、感謝を忘るるべからず。 暮らし劣るとも、心、劣る者となるなかれ。 身体、健康なれど、心、不健康となるなかれ。 我れを褒め、他を貶むる者になるなかれ。 身…

純粋仏教修養項目

純粋仏教 修養項目 僧侶(比丘)とは修行する出世俗者であり.剃髪し粗衣を身に纏い托鉢で暮らしている。このような慎ましい生活を送るのは負債や生活苦の為なのではなく.我らの心身を蝕む苦悩や煩悩から解脱し自由になるためであり、真正なる釈迦尊の教えを…