祈 り

日々是好日
人々が良い一日を過ごしますように…
世の中が平和でありますように…
衆生(人々.生きとし生きるものたち)が、幸せでありますように…
衆生(人々.生きとし生きるものたち)の、悩み苦しみが無くなりますように…

衆生(人々.生きとし生きるものたち)の、願い事が叶いますように…

衆生(人々.生きとし生きるものたち)に、悟りの光が現れますように…

私を嫌う人々が、幸せでありますように…
私を嫌う人々の、悩み苦しみが無くなりますように…
私を嫌う人々の、願い事が叶いますように…
私を嫌う人々に.悟りの光が現れますように…
    路傍の如来 多々方路傍石


🤗上野にお越しの際は、JR上野駅不忍口に是非お声掛け下さい…路傍の如来はそこで辻立ち(托鉢)しています…

ストレス社会

経済的に豊かになり.物が溢れ.良い悪いは別にして知識や情報は湯水のように垂れ流され.科学や技術も高度に発達し.便利で快適な生活を実現したかに見える現代社会は、一方では歪んだストレス社会を造り出し.多くの心が病んだり.傷んだ人々を生み出す結果となりました…
しかもその原因やプロセスが理解も解明もされぬままに、患者が情緒が不安定だと言えば精神安定剤を処方し.夜眠れないと言えば睡眠剤を処方するといった根治を諦めた対処療法に頼り.却って病理を深める結果となり、作為的?[心の病][ストレス患者]を増やしているのではないでしょうか…
凡そこれら[心の病][ストレス患者]の原因が競争社会の弊害だとか、未熟な親に育てられた結果だとか、それぞれ個人の性格の問題だとか言われますが、それらは遠因の一つに過ぎず、その本当の原因は仏教的に言えば、無明(無知)だからであり、無明(無知.無闇)に欲望の罠に近付き絡め取られてしまった善良で生真面目な人々なのですから…つまり善良で生真面目な人とは.物事を善良で生真面目に考えますから(つまりは単純)、無明(無知)なままに.欲望社会の罠への警戒を怠って安易に受け入れてしまい、欲望の炎を燃え上がらせながら、三毒(貪瞋痴)による思考をしてゆくからに他なりません…
諸行無常なこの世の中は.いくら欲望の炎を燃えたぎらしても.上手く行く時も在れば.下手を打つ時もあるものなのです.しかし善良で生真面目な人は.上手く行っている内は良いのでしょうが、物事が自分の思い通りに運ばなくなった時、その責任は勿論、[自分のせい]あるですが、一つは.それを次のチャレンジの糧とする前向きな思考が持てず、その過ぎ去った不運.未熟さ.愚かさに執着してしまい、離れ捨ることが出来ずに.悲観的に自己嫌悪や自己否定.自分を哀れなヒーロー化しながら[負のスパイラル]に陥り症病化させていくのです…そして二つには.思考パターンが自我(自分中心.自分勝手.エゴ)による自分にとってプラス(利)となる物事は引き寄せたいと貪り欲し、自分にとってマイナスとなる物事に対して遠ざけたいと嫌悪し怒り、自分にとってプラスなのかマイナスなのか判断に迷ったり.逃して悔い.哀しむという三毒(貪瞋痴)思考をしているから、常なく移ろいゆく諸行無常な世の中なのに.過ぎ去った現象(物事)にいつまでも.捉われ.拘り.執着して…貪り.怒り悔い.哀しさを積み上げて、ストレス(負荷)の負担量に耐えきれなくなり.心身の安定性に不調や不具合を生じさせたからなのですから…
つまりはそんな[貪瞋愚]の三毒思考を、[定戒慧]の三学思考へと変化させて行けば、うつ病パニック障害などは必ず根治し.幸せの道へと軌道修正してゆけるのです…
その為には、先ず自分の事ばかり考え.捉われ.拘り.執着している自分に気付かねばなりません…他人から同情して貰いたいと甘えるのも自我(エゴ)でしかなく、[自分は][自分が]と張り詰めているそんな自分を、周りや社会.他者.他の生命への配慮.思い遣り.優しさ.慈しみへと振り向けてゆき、自分の縄で縛り付けている自分から解き放たれて、[自分で生きている]という錯覚から目覚め.乗り越え、一切万象.皆んなのお陰様で生かされている真実に気が付けば自我の妄想からも解き放たれて健全で.安定的で.心地よく.快い日々を生きていくことが出来るのです…
◆充足と充実
充実した人生を送る為には、充実した日々を送るように心掛けるべきです…
充実した日々を送る為には充実した行ないと呼吸を心掛けるべきです…
欲望の充足より心の充足を目指しましょう…
二.三日で飽きるような充実.充足などは、捉われ.拘り.執着するのに当たりません…
例えば拙僧なども.たまには南国にでも行って.ビーチパラソルの下で綺麗なお姉ちゃんと語り合いたいと思います…笑(冗談ですから)
しかし拙僧は、果たしてそれらがどれ程の充実と充足をもたらしてくれるかが理解出来ますから(恐らく3.4日位)、その後には苦.飽き.空しさ.心痛(ドゥッカ)を生み出すだけですから、より堅固で価値ある充実と充足の為に、その時間と金を他者や他の生命の為に使っているだけなのです…

結果、ストイック(禁欲的)とも.偽善的とも言われますが…
日々是好日、日々是充実、日々是充足

所有の輝き.存在の輝き

「 珠.磨かざれば光(輝き)なし」
人よ、所有物により、輝こうとするは愚かなり…

それって貴方の輝きではなく.所有物の輝きでしかないのですから…
無明な人を誑かす事は出来ても、眼ある人は謀れないのですから…
人よ、その存在により輝け…
パンツ一丁であったとしても.ボロを纏っていたとしても.価値ある存在は.自ら輝いているものなのですから…
昔、私がまだ子供だった頃.近所の子供達が集まって草野球する時、素敵なユニホームとグローブ.バットを揃えた野球の下手な金持ちのボンボンお兄さんと、グローブも買ってもらえない貧しい家の野球の上手なお兄さんが居ました…皆、金持ちお兄さんのその立派な装具に魅入られ媚びてか.金持ちお兄さんに付いて廻ってましたが、私は野球の上手なお兄さんがとても好きでした…それはそのお兄さんが.野球が上手だったからと言うより、明るく元気で優しくて.とても輝いていた人だったからに他なりません…
無明な人には見えずとも、眼ある人には見えるのです…
そしてオーラが見える.霊が見えるなどと嘯く.下衆な人達にはオーラではなく、燃え盛っている邪な欲望の炎が見えるのです…


愚か者は所有物の輝きを自らが輝いていると勘違いする…他人の評価や承認欲求を満たす喜びを、真の喜び.幸せと錯覚しながら常ならず無常な世界を苦と不満と欲望の中に.所有すべきものは何も所有できずに人の身を終え.それが為に.輪廻してゆく…
賢者は、その存在性による輝きを磨き高め、その自らの輝きにより成仏してゆく…
[得る事]による喜び(所有の喜び)に依存している心とは.本質的には弱く.不安定で.自分に自信が持てない.貧しい心なのであり、無常で.無責任で.移ろいゆく他人からの評価.他人からの承認により.自分のそんな不安定さを安定させようと、所有の次元の事物への執着により.欲深く.貧しく.不浄な心となってゆくのだから…
それは.何かしらを得られた時には.短命で儚い本質のものであっても.喜び(満足.快感)を得るが、もし得られなければ不安定.不満.苦(ドゥッカ)という本性が姿を現わだけの.在るがままに喜び.満足.愉しみ.幸せを味わう事が出来ない心であるとも言え、常なく無常な世の中では.僅かな小楽と引き換えに大きなドゥッカ(苦.不満.不安定さ.憂い.…)の中を、いつかは本当の堅固な満足.安定.幸福などを得る事が出来ると信じながら(妄想)しながら、大切な一生を費やしてしまうのですから…


便宜的な手段としての価値しか有さない付随物に過ぎない.得る事(所有の次元の事物)によって生じる一時的で短命で儚い感覚的な小楽(喜び.快感.満足感.愉しさ)が幸せだと錯覚して依存している愚かで無明で心貧しい人々は.自分が愚かで無明(無知)で心貧しいとは気付く事が出来ない…
心貧しい人は、得たものを.これは自分のものだとしがみつき.他者に分け与える事が出来ない。
それは自分が自身の努力や能力によって得たのだ.という錯覚でもあり、先人や他人の苦労や努力の上に.今という時代があり、自分という存在があり.良い巡り合わせで今の環境.境遇に生まれついただけであり、世界を見渡せば、貧困の中で学校へ通う事もままならず貧困から抜け出す術もない人も、明日をも知れない境遇(戦火.難民…)の中に生まれついた人もいるのです…
そして皆んな望んでそんな境遇に生まれついた訳でもなく偶々の巡り合わせだけに過ぎず、自分の努力と能力だと過信してしまうのは、愚かで無明(無知)で心貧しいからに他ならないのです…
そんな無我な現象的な存在に過ぎない自分の利得.感覚的喜び.快楽に捉われ.拘り.執着(愛着.渇望.渇愛)して、煩悩(存在欲)の命ずるままに得る事(所有欲)に翻弄されながら、同時に得られなければドゥッカ(苦.悩み.心痛.憂い.哀しみ.悔い.迷い.不満.怒り.儚さ.空虚さ.惨め.弱さ.脆さ.無明さ.無常さ.欲望…)へと戻ってしまう不満や怒りを基軸とした不安定な貧しい心を捨て去り離れ、[存在の次元]という存在的価値観を高めて行く事により在るがままに喜び.満足.愉悦.快楽.安定.安心.多幸感を味わい、生きていること自体、最高の快楽である事に気付き、輪廻転生という激流から脱出して真の成仏を果たす事こそ人の身として生まれてきた真の目的なのですから…
その為には先ず.常に五感管(眼耳鼻舌身意)を外世界へと向け、何かしら得るものはないかと彷徨わせている心(餓鬼心)に気付き、その餓鬼心により心を汚し.欲深くさせ.自我意識(自己中心.自分勝手.自利自得.エゴ)から離れられない自分の、愚かさ.無明.貧しい心を捨て去り離れ(捨離)、目覚め(覚醒).乗り越え(超越)解き放たれ(解放)されて行かなけならない。
物質文明.権威主義的.欲望社会に多くの現代人が魅入られ.惑わされ.冒され.苦しみ.悶ながらも気付かない難病であり、諸悪の根源でもあるのです…
「愚か者に知識があっても、それは彼には不利なことになってしまう。その知識は彼の好運(しあわせ)を滅ぼし彼の頭をうち砕く(人生が破滅する)」(Dh.72)

【参 照】
◆プラパンチャ(戯れ言.能書き.空論.観念.綺麗事…)
◆所有の次元の事物(定義)
金.財.物欲.地位.肩書.名誉.称号.賞賛.権威.権力.勢力.承認.評価.知識.情報.健康.寿命.伴侶.家族...
◆存在の次元(定義)
存在性.精神性.人格.人の質.人間性.器量...

 

明けましておめでとうございます…
本年も宜しくお願い申し上げます…
そして本年が良い年でありますように…
日々是好日
人々が良い一日を過ごしますように…
世の中が平和でありますように…
衆生(人々.生きとし生きるものたち)が、幸せでありますように…
衆生(人々.生きとし生きるものたち)の、悩み苦しみが無くなりますように…

衆生(人々.生きとし生きるものたち)の、願い事が叶いますように…

衆生(人々.生きとし生きるものたち)に、悟りの光が現れますように…

私を嫌う人々が、幸せでありますように…
私を嫌う人々の、悩み苦しみが無くなりますように…
私を嫌う人々の、願い事が叶いますように…
私を嫌う人々に.悟りの光が現れますように…
    路傍の如来 多々方路傍石


🤗上野にお越しの際は、JR上野駅不忍口に是非お声掛け下さい…路傍の如来はそこで辻立ち(托鉢)しています…

幸せとは…

如来は路傍の幸せ売り…
[麗らかな春の日差しに照らされて    歩くが如き 歓びの日々]
      路傍の如来 多々方路傍石
「愚か者は.幸福を願い求めながら、いつも幸福を取り逃がす…」
[人の身に生まれるのは難しく…
今.命あるは有りがたし…
正しい法を聴くのは難しく…
如来の出現は有りがたし…
人間として生まれることは尊く、今.生きている事はもっと尊い、真理を聴き.如来に出会えるのは.更に得がたき幸せである…]


悦楽は悟りへの一歩
悦楽の中で智慧の悟りを得る
感覚を制御した平安こそ最高の快楽である
幸せを理解する事こそ. 幸せでいられる秘訣…人間が生きていくためには空気、水、食料、住まい、衣類などは欠かせません…
空気がなければあっという間に人間は死んでしまうのに、空気に感謝し.有難く呼吸し.幸せを味わっている人は溺れかけた経験者か、無明の闇を晴らして真実を見透して生きている人ぐらいでしょう…
また水がなければ人間は生きていく事は出来ないし.生命自体も発生も存在も出来ま水が充分な社会で暮していると、水に対する認識は希薄になり水道使用料金が気になる位のもので.別に有難いとも感謝し幸せを味わう事もないでしょうが、世界の約半分の人々は水を遠くまで汲みに行かねばならなかったり.汚れた水や僅かな水で命を繋いでいるのです.しかし水に対する認識や自覚が有ろうと無かろうと水が重要であるという事実は変わりません…
また平和ボケして平和で安全な社会が当たり前であるかのように錯覚して.平和や安全に.有難いとも感謝し幸せを味わう事もなく暮している人々が居る一方、戦争が行われている地域や.紛争地域では絶えず自分が殺される危険、家族が巻き込まれる危険の中で命からがら生きている人々も沢山いるのです…つまりは平和と安全がなければ将来に対する希望さえ持てないのが現実であり、その地域の人々にとって平和と安全こそが希望であり夢であり幸せの重要なファクターなのです… 平和と安全が如何に甘美で幸せなものなのか忘れてしまって.下らない物事.つまらない物事.どうでもいい物事などに魅入られ執着して.不満と怒りと欲望に翻弄されているのが今の日本人でもあり、平和と安全に暮らせる喜び.幸せ.有り難さへの感性が麻痺してくると、感覚.感情.衝動への刺激が優先され、平和と安全を破壊しようとするものさえ蔓延るようになるもので…今の日本は正にそういう処に居るのではないでしょうか…
たとえ認識や自覚が有ろうと無かろうと空気や水やお日様が重要であるという事実は変わらないのです…
つまり多くの人々とは、当たり前のことを当たり前とは思わず、当たり前でないことを当たり前だと錯覚しているのですから…当たり前に幸せなのに、ゴチャゴチャと煩悩の要求に急かされた欲望の炎に煽られて、決して満たされる事のない夢幻を追いかけ、苦と不満を.せっせと生み出しながら大切な時間をすり減らしているのですから…


[人間は生きているのではなく、生かされているのです…]

食べ物も有り余るほどあれば、感謝の念も起きなくなるもの…かつて日本が貧しかったころ、今日も元気に生きていて.腹いっぱい食べる事が出来るだけが夢であり.幸せでもあり.将来への希望だったのですよ…
今でも貧しい国では充分に食べることが.夢であり.希望であり.幸せでもあるのです…そこで考えてみて下さい…物が溢れ返るほど恵まれて.欲望の炎に煽られ.心を貧しくしながら不満と怒りの中を生きる人々と.貧しい暮らしの中でも喜びや幸せを見出して生きている人々と、どちらが本当に幸せなのでしょうか?

しかし今、我々日本人は自分たちの置かれている状況がいかに恵まれているかを忘れてしまっているのではないでしょうか…戦争・紛争に悩み、また食糧難に困る多くの人にとって、夢と希望が叶(かな)えられている憧れの国でもあるはずの日本に住んでいても、決して幸せだとは感じていない…それは何故でしょうか…


◆心の貧困が堅固な幸せを奪い去る
知識.情報.物品などの流通経済を根幹におく社会に於いて.提供者は消費者となる人々の欲望の炎を燃え上がらせようと虚偽や錯覚や洗脳や誇大表現を織り交ぜた高度のテクニック(手練手管)を駆使して煽りまくります…そんなある種の罠に無警戒に近付いた人々は、その感覚.感情に訴えかけ.欲望を刺激しないでは置かない熟達した手管に雑作なく絡め取られ、無常で短命な僅かではあるけれど喜び.快感.幸せ感の味をしめ、喜び.快感.幸せ感を求めて彷徨っている内に我利我利亡者となってゆくのです…
◆我利我利亡者(がりがりもうじゃ)とは
我利我利亡者とはその字の如く、自分の利得(金銭など所有の次元の事物)への執着.執念に取り憑かれて.決して満たされることのない自分の欲望の事しか考える事が出来ない存在となってゆくのです…(吝嗇.もの惜しみ)     
◆心は三階建て(三層構造)       心の三層構造で説明して来たように、
心の一階部分はその人の人格(レベル).精神性(スピリチュアル).人の質(クオリティ).器量(スキル)など[存在性の次元]であり[心の充足]を形成させるのです…
心のニ階部分は絆.関係性.距離感など社会性の次元であり心の安定感に関係します…
心の三階部分は[所有の次元の事物]への所有欲(欲望)の所有の量.所有の質.所有の価値などによる[欲望の充足]に関係します…
三階部分への欲望が強ければ強いほど一階二階部分へ負担を掛ける事となり.負担を掛けたり.毀損したりして行きます…
つまりは三階部分に住む[自分]の所有欲に執着すればするほど、絆.関係性.距離感は歪み.一階部分の人格.精神性.人の質.器量などを貶める事となるのです…
欲望の充足への執着心が.不満.苦しみ.怒り.怨み.哀しさなどを積み上げて、心を貧しくさせてゆき、尊大.横柄にもさせてゆくのです…  他人や他の生命への功徳や慈しみが、自我の利得への執着から解き放たれてゆき.結果的に[心の充足]を生み出してゆくのです…
★所有の次元の事物に執着していると、人はそれらに支配されるようになってしまう…
感覚.感情.意志.意識といった五蘊(精神作用)と思考も.それら所有の次元の事物に影響され、心身ともにそれらに縛られてゆく…
もし.それらにより真に満たされるのならまだしも.欲望の炎は.足ることを知らずに燃え盛り決して満たされる事なく追い続けながら、心を貧しくさせながら.苦と不満を携えて生きる事となる…
[人は、自我意識(エゴ)が造り出す.自分.の幸せを追求せず…それが幸せだと思い込まない時だけ、幸せで居られるのです…何故ならば自我(エゴ)が造り出す自分の欲望は果てしなく決して満たされる事もなく、変化生滅しながら移ろいゆく世界の中では苦しみや不満(ドゥッカ)を携えて生きる事となるのですから…]
[心の貧しい人とは、心が欲望の炎で燃えさかっている人…]
五蘊(色受想行識)
色は無常なり.受は無常なり.想は無常なり.行は無常なり.識は無常である…色は無我なり.受は無我なり.想は無我なり.行は無我なり.識は無我である…
全ての行は無常である…
全ての法は無我である…
「目は見ることに飽きることがなく、耳は聞くことに満足することがない」
「口は食べることに飽きることがなく、欲は満足することを知らない」
美しいと感動した花でさえ、見続けたらその感動を持続することはできない…
写真、映像、自然の美しさはいつも見ていれば飽きてしまう…忘れてしまう…
音楽も同じ曲を聞いていれば飽きてしまう。
食べるものも同じものでは飽きてしまう。
絶えず新しいものを求めることが人間の本性の一面なのです…

つまり人間はそのままの状態では満足し続けるようには出来ていないのです…
幸せになっても、その状態(感性)は永続して行かず、飽きたり.麻痺したり.負担とになったりして苦(ドゥッカ)へと戻ってしまう性質があるのです…
それは言い換えると.無常な移ろいゆき変化生滅してゆく物事を.依存し.依り処とし.精神的支柱とすれば、時間の経過とともに色褪せ.朽ち果て.消え去る性質のものを.満足.幸せ.安心の為には必要不可欠なものだと勘違いしているだけなのですから…
しかし、幸せが終わってしまったわけではなく、本当は幸せな状態であったとしても実感出来なくなり幸せではないと思い込んでしまう…これも不幸.不満なのです.
◆幸福は進歩を阻まない…       
幸福は進歩を阻むものなのでしょうか?
それは決して目的物とは言えない便宜的.付随的な価値しかない所有の次元の事物により幸福や満足を得ようとした場合であって.誰でもが熱中して好きな物事とか興味のある物事を開拓してゆく喜びや幸せの為に生きていた筈なのですが.金とか名声とか付随物が後に付いてくると、金を増やしたり名声を上げたりする事が目的化してしまい.そんな無常な本質の物事の多い少ないに一喜一憂しながら、決して満たされない欲望の充足に翻弄されながら進歩が阻まれてゆくものなのです…
其れどころか本当の幸福は知れば知るほど具われば具わるほど.更なる上を目指してゆくものなのです…悦楽の中に智慧の悟りは顕現するのですから.
幸せには感覚的.感情的な面と、知性(精神性)に到達してゆく面の二面があるのです…
それは満足にも言えることで、感覚的.感情的な満足と知性(精神性)による満足があるのです…しかし短絡的な人達は[人間、満足したら進歩しなくなる]などと詭弁だか弁解を弄し.無明な自分の不満や怒りを正当化し.それが為に.却って自確かに.進歩することと幸福の満足度との関係には相反する面があるようにも見えるのですが、それは飽くまでも物質的.装飾的でもある便宜的.付随的な[所有の次元の事物]に於いての事柄に過ぎず、存在性の真理(真実.事実.実相)を見い出す事が出来る人間として具わった能力.精神性の開発と進歩は多幸感.愉悦.平安.静逸.涅槃(ニルヴァーナ)へと到達しても尚、高み(高次元)への進歩を欲するのです…               また感覚的.感情的な幸せ.満足については.変化生滅して移ろいゆくこの世界では変化により持続が出来ないものであり、感覚的.感情的なものにとって最大の苦しみ(ドゥッカ)でもある麻痺と飽きと空しさがあるのですから…お陰様で、人間には感覚的.感情的に持続的な幸福(満足)を得ることが出来ないのです…
心の充足(満足)の為に進歩することが人類すべての人の幸せのためであり、欲望の充足の為の進歩とは.多くの犠牲の上にしか築けない本質的には悪や苦しみ(ドゥッカ)をそれに倍して.生み出している事にも気付いてほしい…

人は誰でも幸せを求めて生きています…仕事でも、警官になるのも.泥棒になるのも.医者になるのも.政治家になるのも.弁護士になるのも.学者になるのも.技師になるのも.ビジネスマンになるのも.教師になるのも.カメラマンになるのも.スポーツ選手になるのも.調理師になるのも.フリーライターになるのも.僧侶になるのも.遊び人になるのも、その中に生き甲斐と幸せを見い出すからで在るべきで、収入.権力.権威.社会的地位など付随物に過ぎないものが選択理由で在るならば、その人は自立した自分が無かった為に.僅かな幸せと引き換えに.大きなドゥッカ(苦しみ.悩み.心痛.空しさ.憂い.不満.飽き.儚さ…)を背負って生きる事となるのだから…
◆所有の次元の事物(定義)
金.財.物欲.地位.肩書.名誉.称号.賞賛.権威.権力.勢力.承認.評価.知識.情報.健康.寿命.伴侶.家族...
◆存在の次元(定義)
存在性.精神性.人格.人の質.人間性.器量...

涅槃(ニルヴァーナ)への道

●涅槃(ニルヴァーナ)への道
欲望や不満.愚痴.憂い.哀しみ.怒り.苦悶といった煩悩は、自分の利得を渇望する処から生じているのです…
それを正しい修養を通じて[諸行無常]の真理を覚り.この大宇宙には永遠普遍の実体も[私]という実体的存在もない事を覚らるべきなのです…
そのような自覚を以って内面や外界と向き合うならば、意のままにならない世の中や思うようには運ばない人生に苦しむ事もなくなり、[自分が.私は.]といった自我意識(エゴ)は次第に影を潜めて.安らかな心が現れてくるはずなのです…
正しい人生観.正しい生活.正しい修養などにより、誰でもが苦しみ(ドゥッカ)と縁を切り、安らかで悦楽に満ちた境地へと到達することが出来るのですから…
このとこしえで堅固な平安と安楽の境地こそが涅槃(ニルヴァーナ)なのです…
つまりは私達の苦しみ(ドゥッカ)とは無明(本質的無知)のなせる業であり、大宇宙の真理(天地自然の理法)に反することを希求する愚かさによって引き起こされ、世の中がままならない…望みが叶わない…と言っては煩悩を生じさせ自らが苦しんでいるのですから…
この大宇宙の真理(天地自然の理法)を正しく理解し、正しい実践的修養を通して.着実に真理に向かって歩むならば、誰でもが輪廻転生という激しい連鎖の流れからも脱出して.成仏してもゆけるのですから…


◆修養の要
欲望に執着するならば、それによって魔に取り憑かれる…
欲望への執着がなくなれば自分を束縛する軛(くびき)も消え去り、解放される…
所有の次元の事物(富.金.財.物欲.地位.出世.名誉.権威.権力.長寿.健康.世評.承認.家族…)などに執着していると、それらの為に煩悩に塗れた生涯を送ることとなる…
心も同じ事で…自分の感覚.感情.意志.意識という五蘊(精神作用)や思考(主観)に執着していると終生、自分を縛り付けている軛(くびき)の束縛から解き放たれることが出来ない…
日頃.つまらない物事、下らない物事、どうでもいい物事に執着していると、人はそれらにさえ支配されてしまうようになり、感覚.感情.意志.意識(五蘊.精神作用)そして思考(主観)は.それらに影響されやすく.心も縛られ自由になるのを妨げる事となるのです…

一水四見

[釈迦尊(ブッダ)の言葉]

物事は心に基づき.心を主とし.心によって造り出される…もしも汚れた心で話したり.行ったりするならば.苦しみはその人に付き従う.荷馬車を引く牛に.車輪が付いてるゆく如く…

 

 

物事は心に基づき.心を主とし.心によって造り出される…もしも清らかな心で話したり.行ったりするならば.福楽はその人に付き従う.影がその身体から離れない如く…

苦しみや悩みから脱却する為に必要なのは、対象の排除などではなく、物事を正しく見ることが大切なのですが…

しかし人間にとって.物事を正しく見る事が案外と難儀であり、中々出来ないものなのです…

社会にあっても学校の中でも或いは仲間達との間に於いても、一人でも嫌う人がいると落ち着かないという経験があると思います…

しかし、その人は単にそこに居るだけであって別に自分に危害を加えるわけでもないのに…

それは結局のところ[嫌い]と思う自分の感情が[あの人が居なければいいのに]という見方で見てしまっているだけに過ぎず、自ら態々、苦しみや息苦しさを生じさせてしまうわけです…

そうすると、自ずと自分の感情は相手に伝わり間違った見方がなければ本当は自分にとって最大の理解者であったかもしれない人とも互いに傷つけ合い、最後には苦しみ合う結果になってしまう事さえあるのです…

つまりは無明な主観が造り出した根拠のない妄想に自らが縛り付けられ、物事に対して正しい見方が出来ない事の一例なのです…

 「認識する主体が変われば.認識される客体も変化する」

仏教の唯識に[一水四見]という言葉があります水といっても四つの見方に見えるという意味ですが、つまり同じものでも見る立場や心の持ちようで違うように見えてくるという意味です…

 ① 天人には水が清浄な透き通ってガラスのように見える

② 人間の私たちには、そのままの水に見える。
③ 魚たちには住み家と見える。
④ 餓鬼には燃えた血膿に見える。

 これは[天人][人間][魚][餓鬼]という立場で[水]を見た場合、それぞれ異なって見えることを例えたものですが、また現実的に捉える場合でも.例えば砂漠の真ん中で喉が渇いた人にとっては水は黄金に勝る価値があるかと思えば、水害地の人達には水は恨めしいものでもあり、水に生かされも.苦しめられもする、状況.環境.時間や心の在り方により.その見方は違ってゆくのですから…

これを私達に当てはめてみると、人間は皆んな生まれ育った環境や境遇や時代、受けた教育.経験.知識.情報や考えてきた事など様々で、その上.性格.嗜好など興味を持った事などにより.人それぞれの独自の世界観や価値観があります…それが一つの「物差し」となって、色々な物事にそれぞれの認識を与えているのです…


 ですから自分が見ている世界は、他人には違って映っているかもしれませんから、同じものを見ていても、意志をそちらに向ける人もいれば気づかない人もいるのではないでしょうか…

ですから世界と呼んでいても…一つの世界に皆んなが居るのわけではなく、人それぞれがそれぞれの世界を造り上げ.人それぞれの世界をそれぞれの見方で見ているという事なのです。

つまり人それぞれが各々の世界を持っていて、それぞれの世界で暮らしていて、何処か.何かしらの接点で共有を試みて[絆]とか[繋がり]を造り出すしているのです…
人生の中で、いろいろな苦しみや悩みに出合った時、それらの原因の[自分の世界は正しくて.他の世界は間違っている]という自己中心的な自我意識による.ものの見方が大半であり、ものの見方を自分自身が変えることによって、今まで見えなかったものが見えて来たり、気付かなかったことに気付かされたりして、小さな世界が大宇宙的世界へと拓かれていくのではないでしょうか…

欲望の充足.心の充足

世俗の人が喜びだと言うものを、真理を見透した如来は苦しみと言う…
世俗の人が苦しみだと見るものを、真理を見透した如来は喜びと言う…
どちらも.充足(満足.喜び)を求めてゆく道なのに[心の充足]と[欲望の充足]とは.実は真逆の方向の道であり、しかも[心の充足]は無明の闇を晴らしてゆくと現れる堅固な実相なのですが、[欲望の充足]は永遠に到達できない夢の国なのですから…
人は誰もが充足を求めて生きています…この求めている充足とは.言い換えれば幸せ.満足.喜び.安らぎ.安定…など[スカ]への欲望ですから、通常はドゥッカ(不安定.不完全.不満.苦.悩み.心痛.迷い.悔い.憂い.哀しさ.儚さ.弱さ.脆さ.虚しさ.無常さ.無明さ.欲望…)の中を懸命に生きているのです…

そして皆.この充足[スカ]を求めて懸命に生きているのですが、でも本当は.どうすれば良いのか…何処へ向かえば良いのか.充足とは本当は何なのかさえ解らずに、兎に角ひたすら[充足]を求めて彷徨っていると言えるのです…
つまりは人々は無明(本質的無知)に生まれついているから.それに気付かず.自覚もせず.煩悩の欲望(悪魔の支配する領域)に従って、世間の自分自身は不満と不平の中を暮らしながら[これが充足だ][これが満足を与えてくれるものだ][これが生きる目的だ][こうなるのが幸せ.満足だ]と勘違いしている人達の言う事を信じこんで、便宜的で無常な本質的価値しか有さない付随物に過ぎない[所有の次元の事物(金.財産.物欲.地位.名誉.称号.権力.勢力.承認.異性.家族.健康.寿命…)]への[欲望の充足]へと向かい.そして挙げ句は翻弄されて.僅かな充足と引き換えに.大きな苦(ドゥッカ)の中を生きる事となるのです…
それは悪魔の支配する領域のものである[欲望の充足]を達成する事など有り得ない事に気付けないからに他ならないからなのです…
[欲望の要求に幾ら応えた処で、欲望は更らなる要求をしてくるだけ…天から湯水の如く金財が降ってこようが、世界中の富を独占しようが更なる欲望の炎で身を焦がし続けるだけであり…決して満たされる事などないのだから、逆にそれを抑制してやり.煩悩の要求に惑わされず.応えずに.逆に抑制して、真の必要性に基づいた[心の充足]を図ってゆけば心は次第に澄み渡り、欲望で波打っていた心の湖面は鏡面の如く真理と叡智を映し出す…堅固なる大楽.幸福.歓び.悦楽.安らぎ.静逸の顕現である…


◆我が身は一つ
避暑地にでも住んで.のんびり生きるのも一つの生き方…享楽に浸かって刺激的に生きるのも一つの生き方…人を集めて面白可笑しく生きるのも一つの生き方…色んな生き方があるのだろう…しかしそんな生き方の中に.生き甲斐を見い出し顕貴(ときめ)いて生きれるのは一週間か一ヶ月ぐらいが精々で.飽きや麻痺や実質の無さなどにより生き甲斐にも疑問を懐き苦(ドゥッカ)へと返り付くことだろう…だってそんな発想の根底は自我意識に他ならないのです…仏弟子としての自覚が[もっと生き甲斐のある生き方をしたい]と心の中で訴えかけてくる…生憎と身体は一つ、あっちにもこっちにも生きる事など出来ないのですから…
実存的な自我意識(私.自分.エゴ)→魂.霊魂.霊体という実体的.主宰的な存在への妄想.錯覚に誑かされている内は[心の充足]など得られず、[欲望の充足]へと向かい決して満たされる事なく苦(ドゥッカ)の中を生きる事となるのです…
世の人達は.その裏に潜む妄迷な[魂論]に気付くこともなく[我れ思う故に我れ在り]という観念に毒され信じ込んでいますが、それらは仏弟子の一人ではないかとさえ思える偉大なるショーペンハウエルの言う明解なシャカニズム思想とも重なる[世界を表象とみなして、その根底にはたらく〈盲目的な生存意志〉…この意志の故にに経験的な事象はすべて非合理であり.この世界は最悪となってゆく、人間生活においては意志は絶えず他の意志によって阻まれ、生は同時に苦を意味し、この苦を免れるにはこの盲目的な意志の諦観・絶滅以外にない]と説いているように、生存の意志(存在欲)に主導され.存在欲の最大の欲望である心的実存性への渇望が自我意識を形成し、その充足の為に欲望の充足へと向かわせているのですから…
◆心は三階建て
1階部分(本体) 存在の次元
精神性.人格.人柄..許容.包容力.心身の調和による安定した心など…
智慧(叡智).洞察力.理解力などにより[心の充足]を生じさせる
2階部分 絆、関係性、距離感
他人や生命との適度な絆.関係性.距離感などによって[心の安定性.心の充足]を生じさせる
3階部分 所有の次元の事物
金.財.物欲.地位.名誉.権威.権力.承認.健康.長寿.見栄え…決して満たされる事のない無常な所有の次元の事物への欲望[欲望の充足]所有の次元の事物への少欲と足るを知る心だけが.心の充足をもたらすのです…
★心の1階部分(存在の次元)が育成されれば
苦(ドゥッカ)を伴う無常な2階.3階部分が僅かであったとしても堅固な心の充足は得られるのです、逆に1階部分が不安定で3階部分が重ければ重いほど1階部分が歪むのです…
◆心の充足へのヒント
①今ある幸せに気付く
諸行無常
全ては.移ろいゆく世界と移ろいゆく自分との、因果律(縁起)に遵った関係性の上での暫定的な出来事(現象)であり、天地自然.物事.他の生命のお陰様で存在しているのであって.他から独立した単体では生きて行けない存在なのです…感謝
諸行無常

自我意識(エゴ)から離れる

一切皆苦
苦(ドゥッカ)のエネルギーに生かされている…
苦がなければ、楽も生じない…苦楽一如
⑤主観(感覚的.感情的.自我的)(貪瞋痴思考)から離れる
客観的な思考(戒定慧思考)を育成してゆく…
⑥無明(本質的無知)の闇を晴らしてゆく
⑦功徳を積む
⑧心の貧しさ(吝嗇)に陥らない
⑨妄迷な軛(くびき)から解放されてゆく
⑩路傍の如来を讃える…冗談😂
精神の向上、心身の調和を図ることなく唯、欲望のままに名利や財貨を追い求め享受していては内なる健全さと心の安定は永遠に得られないだろう…

人は自ら進んで内面に向き合い[心の充実]と[精神の向上]を図るべきなのです…
それは心の調和と安定や精神性を開発.向上することによって.もたらされる愉悦が如何に甘美で堅固な美味なものなのか、それは語るものではなく奥深く味わうものなのです…