仏教の最高峰 頂乗仏教学舎  路傍の如来 多々方路傍石

如来品正師 多々方路傍石のブログ

悠久の流れ

心を汚したくはないから…俗世の愚劣に触れて胸を痛めたくないから…なるべくメディア情報などに触れる事を避けていても、通信機器を活用している以上、溢れ返る下劣の法から全く逃れる事は至難でもある…吐息
ことに春先ともなると.やたらと可笑しいのが出て来るもので、[悟った詐欺]でもあるまいが、[私は悟った!]とか[私はブッダの生まれ変わりだ!]と嘯く寝呆けた阿呆が現れる…笑
それらの殆どが、自己顕示欲や承認欲求のかたまりであったり、自意識過剰なパラノイアなのには辟易とさせられる…
先ず[悟り]という言葉のもつ神秘性と深淵性に心惹かれ.憧れるのだろうが、悟りとは汎ゆる[気付き]の全体性の統合に過ぎず、大悟(勝儀諦)もこの世界の全ての現象の全体性の統合性の発見であり.
三法印も四聖諦も縁起も[悟り]なのではなく、統合性.全体性の発見.理解.納得の為の道標に過ぎず、悟れたれば.作為は脱落し、自分は霧散し、我欲から離れ無量なる慈悲心が顕現するものであり、
釈迦尊(ブッダ)は説きし[諸行無常]とは常なく変化生滅してゆく世界に於いては[絶対的真理]や[絶対的な神や仏]は無為なる自然法則の他は存在し得ないのだから…故に自然法則は全ての人に差別なく働き、私の神仏や説だけが正しく.他のものは間違っているか劣っているという主張は成立しないのだから…
この世界は膨大で無尽蔵なエネルギーの悠久の流動であり、生命も心的エネルギーの悠久の流転であり、一切の運動は不安定性(ドゥッカ)の安定化運動なのである…

向上一路千聖不伝学舎労形如猿捉影

真如の悟境は仏祖千聖も説きつくし伝えることができない。学者や観念論者が能力をいろいろ働かせてその様子を現わそうとするのは猿が水に映る月影を真如だと見誤って捉まえようとするようなもの…

悟りの境涯は言葉によっては表現できないものであって、自己の体験によって自証自悟するしかない。しかし、いったん自己の脚下を顧みて修行底の自己の立場から思い返してみると、真如絶対の境地は先賢の助言が如何に多く残されてあろうとも、頭で理解することも難しいし、さらにそれを言葉にすることなど夢のまた夢なのである

自己暗示

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世間に氾濫する自己啓発..潜在能力開発..引き寄せの法則..イニシエーションとかは言わば[自己暗示]を掛けているのだか、その本質は[気分を変える]程度の次元のものでしかなく.ヤクザ映画を観たあと弱虫が肩を怒らせて歩くような無常なものだから、始めは良い効果があるように感じて少なからぬ費用をかけても大概の人が後悔する結果となるのです…
確かに自己暗示も含めて潜在意識に良い波動や想念を送り続ける事が重要であり良い自己暗示によりモチベーションを高め.前向きな人格を育成していけるのですが、確信のない単なる妄信や思い込みなどは常に[信じる]の裏には[疑い]が同居し、信じると疑いの暗示を同時に潜在意識に積み上げている事に他ならないのであり、確信も根拠もなく自分を信じ.認める事などではなく.今の自分という存在を.冷徹に客観的に眺め.見つめ.観察し.分析し.思惟し.検証して長所.短所と共にダーク部分をも正面から受け止め.理解して受け入れてゆく事が必要なのです。
例えば今の自分は何を依り処(精神的支柱)として生きているか…堅固なものを依り処(精神的支柱)としているか.常なく変化生滅してゆく無常な性質のものを依り処(精神的支柱)としているか…無常なものを依り処としていれば変化生滅により安定.安心.安全.平穏.喜びを失ない、無闇に何かしら自分に安定.安心.安全.平穏.喜びを与えてくれるものを無明(無知)な闇の中を手探りで盲目的に探し求め、自己啓発セミナーや潜在能力開発サークルや新興宗教などに.はまり込み.絡め取られ.偏った観念に染脳(洗脳)される事もないでしょう…
★依り処(精神的支柱)
普段、多くの人は[私は偶に想像はするが妄想などしてはいない]と多くの人は考えていますが、感覚や感情を伴った雑念は妄想に他ならず、妄想しながら生きていて決して真実を心には映してはいないのです…
今という瞬間への気付き以外の意識と思考.想念は.妄想に他ならず.過去の記憶も過ぎ去りし妄想であり.将来への期待や不安も妄想に過ぎないのですから…
★(妄縄自縛)
自我意識の消えた空っぽな意識で、判断を加えずに…唯.在るがままに感じ.捉えて.
思考から解放され、今という瞬間に奥深く気付き続ける訓練により.現実を受け入れ、自己暗示を与えるのではなく.依り良き自分を造るの自分自身の克己.精進.努力だけなのです
その為には今の感覚.感情.心の状態に気付く
★(四念処)
身念処
身体は身体に過ぎず…私のものでもなく.私でも.自分でもなく…現象に過ぎない…
受念処
感受は感覚に過ぎず…私のものでもなく.
私でも…自分でもなく…現象に過ぎない…
心念処
心の状態(感情)は感情に過ぎず…私のものでもなく…私でも…自分でもなく…現象に過ぎない…
法念処
心の中身は五蘊作用に過ぎず…私のものでもなく…私でも…自分でもなく…現象に過ぎない…
今、五感管で捉えられる全てが世界のすべてであり、美味しいレストランも隣街も外国も何もかも妄想であり、今の意識の他の全ては意識と思考と想念による妄想でなのですから…
[今に気付き、今を生きる]
★即今実存  即今.当処.自己(吾)
●いやいやながら居る場所は牢獄である
●世の中そうそう思い通りにはならないと理解する
●無執着 不放逸 不貪
●苦に生かされている 負担量次第
思考と想念で造り上げている[自分]という幻想と、汎ゆる物事に対する判断.善悪.好嫌.優等劣などの価値基準.固定観念.既成概念など、自らを縛っている全ての束縛からの解放…これが目覚め(覚醒)であり、乗り越え超越し、解き放たれ解放された処に、真理(真実.事実.現実.実相)は顕現する

勝利への道

勝利への道
真の勝利への道を如来は説く…
如来とは、如実の道に乗じて、正覚を来成するが故に、如来という。
(如来者乗如実道来成正覚故曰如来)
真の勝利とは此れ即ち.無明(無知)が生じさせるドゥッカ(苦)からの解放であり、激流の如きドゥッカ(苦)を継続させる輪廻転生からの解脱をも指し示す。
[幾百人の敵に勝つよりも、己自身に勝つ者こそ、真の勝利者である]
私の話は全て.我れを離れて、深淵なる真理の象徴としての如来が高次元に於いて.私(多々方路傍石)に向かって語っているのであり、私はその愚かで未熟な頭と心と行ないを以って拝聴し.思惟し.思推し.分析し.検証し.確証を得て.理解しているだけなのだから…
聖なる苦(ドゥッカ)の真理である.全ての事象.存在は独立して単独には存在することが出来ない[諸行無常]な世界(此の岸)であり.全ての物事は、因果律(縁起)に従って常なく変化生滅してゆく移ろいであり、そうそう物事は思い通りには運んで行かないものだと全ての事象に冷徹に向き合い.理解するならば、無明の闇は振り払われ心は澄み渡り解脱する

世の中にある種々様々な苦しみ(ドゥッカ)は、執着を縁として生起する…

無明の闇の中を盲目的に手探りで真実を知ることなくして執着を造る人は愚鈍である、繰り返し苦しみ(ドゥッカ)に近づくのだから…

だから知る事あり.苦しみ(ドゥッカ)の生起のもとを観じ理解した人は.再生の素因(執着)をつくってはならない…
移ろうもの(無常)は全て空虚(ドゥッカ)な本質のものである…

一切の形成されたもの(現象)は苦(ドゥッカ)であると識ったなら、それによって人は一切の苦(ドゥッカ)を乗り越える…

これが清らかな道であり、真の勝利への道である。

現象に過ぎない感覚的な刺激による喜びを乗り越え.煩悩な激流を渡り.生存に対する執着を捨て.世間の執着から目覚め.妄迷を離れ、苦悩(ドゥッカ).煩悩の激流.生と老衰.憂いと悲しみ.再生から解き放たれ解放されるのです…

[私は今まで、それがドゥッカ(苦)である事を知らなかった…        今まで知らなかったから苦しんでいた…

全てのものが苦(ドゥッカ)であると解った瞬間.心は完全なる安らぎを体験した.

これから心には微かにでも悩み苦しみは生まれない…最終的な平安の境地へ到達した…

やるべき事は、やり終えた…

成すべき事は、成し終えた…

育てるべきものは、育て終えた…

修養は完成した…

堅固なる心の解脱は揺るがない…

これが最後の誕生であり、これより再び此の世に生まれる事はなく、生の因縁は滅尽しつくした…]

①煩悩(存在欲)生存の素因

存在していたい(生きていたい)
価値ある存在でありたい
意味ある存在でありたい
生きる目的が欲しい…
②煩悩の衝動により、内界及び外界に意識を彷徨わせ探し求める
③煩悩(存在欲)の衝動は盲目的な無明(無知)の闇を晴らしたい.渇きにも似た無明を真理(真実.事実.現実.実相)で潤したいという欲望(渇望)である
④善心処・不善心処
煩悩(存在欲)は.永遠の存在の為にプラスだと感じる物事に対して.引き寄せたいと欲する(貪欲)
永遠の存在の為にマイナスだと感じる物事に対して.遠ざけたいと欲する(瞋恚.怒り)
永遠の存在の為にプラスかマイナスか迷うとき戸惑う(痴愚)
⑤理性(客観性)が煩悩(存在欲)による主観.自我.感覚.感情.欲望などに勝るとき慈悲に基づく対応を選択する(善処)
⑥身体的.感覚的.感情的.主観的な喜び.快感.安心.満足は無常な性質のものに過ぎず…執着.愛着するほどの価値はない。
⑦不善心処に向かうほど心は貧しくなり善心処へ向かうほど心は富貴となる…
⑧生きるとは.即ち欲望の具現である(生きる意欲)
⑨しかし煩悩(存在欲)に主導.差配された自我的欲望は不善であり、苦しみ.不満(ドゥッカ)は自我的欲望によって生じる
⑩知性.理性に主導.差配された欲望は善であり、喜び.快感.満足(スカ)は理性(知性.客観性)によって顕現る
⚫つまりは、心の貧しさにより.自分や所有の次元の事物に執着.愛着し魅入られて苦しみや不満を生じさせている事に気付かずに造り出し続けているのであり、故に無明の闇の中を盲目的に手探りで探し求めながら彷徨い生きていると例えられるのである。
数ある所有の次元の事物の何れかを所有していたり.新しいうちは.まだしも便宜的.短命.一時的であれ喜び.安心数.快感.幸せを得られるが常ならず無常な本質の現象に過ぎず、結果的に苦しみと不満を携えて生きることになる…
煩悩(所有欲)の欲求とは.決して満たされる事のない.要求に幾ら応えた処で更なる要求をしてくるだけの底なし沼のようなものであり、煩悩の要求に翻弄され執着.愛着し魅入られ.心を貧しくさせてゆく…
❖心が貧しい人の欲望
有ればあったで.まだまだ不満.
無ければ無いで.苦悩し.怒る…
❖心が富貴な人の欲望
無ければ無いで.満たされて.
有ればあったで.嬉しくて…
⚫自分のものだと握り締め、他人と分け合ったり、分け与えたり出来ない.物惜しみ.吝嗇な人は心に何かしら不満や苦しみや怒りを抱えて無明の闇の中を盲目的に彷徨っている人であり[良い悪い]という話ではなく、目覚め覚醒し.乗り越え超越し.解き放たれ解放されさえすれば、堅固な喜び.快感.幸せ.安心.安全.静逸な世界があることに気付けない憐れな人なのである…

🔵ドゥッカ
[思い通りにはならない]という人生の絶対真理
不安定さ・不完全さ・苦しみ・悩み・憂い・難儀さ・迷い・心痛・嫉妬・憎しみ・恐怖・哀しさ・悔い・飽き・退屈・儚さ・脆さ・弱さ・空虚さ・惨めさ・実質のなさ・不満・怒り・不本意・無常さ・無明・欲・渇きなど
🔵所有の次元の事物 
所有する事で幸せになる人生の目的物と勘違い.錯覚.妄想し.魅入られ.追い求める短命で無常な小楽に過ぎないもの.
金銭.財産.物欲.地位.名誉.称号.身分.異性.伴侶.家族.仲間.権威.権利.承認.理解.権力.勢力.威力.健康.長寿.若さ.知識.情報など
🔵存在の次元
人間性.精神性.人格.人の質.人柄.器量.寛容さ.実直さ.知性.存在性.本質的性質.霊性など
🔵真実を歪めるもの(色フィルター)
思い込み.勘違い.欲目.偏見.邪見.固定観念.既成概念.錯覚.誤解.無知.主観.感覚.感情.洗脳(染脳)など


「愚かなものは、実にそぐわぬ虚しい尊敬を得ようと願うであろう。修行僧らの間では上位を得ようとし、僧房にあっては権勢を得ようとし、他人の家に行っては供養を得ようと願うであろう」(Dh.73)

「在家の人々も出家した修行者たちも、私の行ないだけをよく知って欲しい。何かことが起ったら、それについて私の指導に従って欲しい。—— 愚かなものはこのように思う。こうして欲求と高慢とが高まる」(Dh.74)

「愚かなものはたとえ毎月(苦行僧の風習に習って一月に一度だけ)茅草の端につけて(ごく少量の)食物をとるようなことをしても、(その功徳は)真理をわきまえた人々の16分の1にも及ばない」(Dh.70)

「愚か者に知識があっても、それは彼には不利なことになってしまう。その知識は彼の好運(しあわせ)を滅ぼし彼の頭をうち砕く(人生が破滅する)」(Dh.72)

無理に自分を愛そうとする必要などない、だって皆んな世界中で一番自分を愛しているのだから、[もしそうじゃない]と思う人がいたら、その人は.もっと自分の心に素直になればいいだけの話し…
私の話は全て.我れを離れて、深淵なる真理の象徴としての如来が高次元に於いて.私(多々方路傍石)に向かって語っているのであり、私はその愚かで未熟な頭と心と行ないを以って拝聴し.思惟し.思推し.分析し.検証し.確証を得て.理解しているだけなのだから…

吝嗇(りんしょく)

辻立ち托鉢場を上野不忍に定めて凡そ15年を経るが、その前は日本各地をあちらこちら随分と行脚もしたが、今.改めて思い返してみると.其々に土地柄があり出会う人々にも其々の風情があるものだと懐かしく回顧する想い出である。
しかし時代は変わり、若者は将来への期待を持てず.不安を抱きつつ、新たな挑戦をするより.保身へと奔り、老人は社会への配慮や尽力を欠きながら.我欲を貪り[年の功より亀の甲]とも揶揄されている…
飽食.物欲に魅入られた時代も過ぎ、安定的な精神世界へと昇華し.正に進化せんとした時、利権に塗れ.腐敗と堕落に汚れた政治や偏った観念.思想.カルトなどに翻弄され.心の豊かさと余裕と真実を見通す叡智を失ない、閉塞的で吝嗇な社会を築き上げてきた報いが、大災害や厄禍として現れている…
●寡(すくな)きを患(うれ)えずして.均(ひとし)からざるを患う(論語)
為政者という立場にある者が心がけなければならないことは、
国を富ますより、まず富の不平等をなくすこと、 人口を増やすより、
まず人民ひとりひとりの生活を安定させることにあるのだという。
「不平等をなくせば、国は自然に豊かになる。
人民が安心して暮らせるならば、人口が減ることはない」
さらに孔子は 「民生の安定こそが、国を安泰にする基礎なのだ」と断言している。
これは当に現代にも当てはまることであろう。
●吝嗇(りんしょく)
吝嗇とは極度な物惜しみ.下卑など心の貧しさを言う
幸福と不幸の分かれ道とは、つまりは自我の欲求の制御コントロールであり、自分の感覚.感情.主観への刺激への愛着.執着を乗り越え超越した[与える][他人に対し.その人の為になるものを与える]そんな心根(業・カルマ.形成力)から、生まれるものであり、所有の次元の事物の所有量ではないのです…

福も同じく[福が来たから喜ぶのではなく、喜ぶから福が来るのであり…

不幸が連鎖するのは、悩むから連鎖するのである]

●与える

◆不幸.不満な人生の日々を好転させる唯一の方法とは、節制とは似て非なる[自分のものだ]と物惜しみ.しがみつく貧しい心を乗り越え超越して[与える]ことなのです。

それは仕事でも人間関係でも恋愛でも、全ての人は.自分に対して何かしら[プラス]になるものを与えてくれる相手とか物事は受け入れ.引き寄せたいと欲し、無価値かマイナスになるものは排除し.遠ざけてゆこうとする天地自然の流れでもあり、その理法(貪瞋痴)に則った[与える][他の役に立つ]という行為が福徳の善いい波動を生じさせ.また自分の物だと.しがみつき物惜しむ行為が貧しい悪い波動を生じさせ、運気の流れを変えてもゆくのです。
本当の引き寄せの法則とは[与える][役立つ]という因の行為(起運動)の果報として廻り巡る(スパイラル運動)による悪因悪果または善因善果として運気の流れを引き寄せてゆく摂理法則なのです
他者にどんどん与えていきましょう。
そうすれば、因果律に遵った報酬として巡り巡って大きくなって返って来たり、徳や金運が積まれて大福を引き寄せたりしていくものなのです。
また、プライベートでも、他者にどんどん[与える]ように心掛けるようにしていきましょう。
言葉.笑顔.援助.金財.物.親切.愛情.奉仕…など、与える事ができるものは沢山あるはずです。
それが常に徳と運気をプラスの状態へと向かわせる秘訣でもあるのです

愚か者は感覚に刺激を与える事が幸せだと勘違いしている

メモ
心の肥やし  心の栄養素は教養
知識.情報.経験.苦労はそのままでは真に役立つ使い物とはならず、知識.情報.経験.苦労の中に学びがあり、肥やしとなし糧となる
人生の糧となる教養を育成する為には知識.経験.情報.智慧.苦労などを肥やしとした学びが必要であり、学びのない凡そ99%の知識.経験.情報.苦労などは役に立たない単なる記憶の残滓に過ぎない…

バンカース

若い人には人生ゲームのようなものだと言ったほうが理解しやすいかも知れないが、私の子供の頃にはバンカースゲーム(銀行ゲーム)というスゴロクゲームがあった…
人生を思うとき、何を得ようが.何を失おうが.諸行無常なこの世界、バンカースゲームに熱狂して世界中の土地や建物を買い占め、莫大な財を築き、世界中を旅して汎ゆる娯楽を享受し尽くしても必ずゲームは終わり、空虚さを後に遺すだけ

感覚に刺激を与え続けることが、喜び.幸せと錯覚している無明な人達は、このバンカースゲームに熱狂していた子供時代のまま成長して現実世界でも、その本質的な空しさに気付くことなく、現実世界でもバンカースゲームこそ人生の目的だと見誤ってやり続けている…
土壇場に至れば解る事なれど、今の若者は死して無に帰す事を怖れると聞く…
因果律(縁起)に遵った現象に過ぎない自分という存在を、実体的存在(永遠の霊魂を内包する存在)と錯覚するのも無明なれば、輪廻の激流を転生しながら流れ続ける定めを覚らず、この世界から見[無]に帰す.彼岸(仏界.事象の地平面の向こう側)から見れば[帰]する、輪廻転生からの解脱[成仏]が、本質的苦(ドゥッカ.不安定性.相対性の破れ)により成り立つ世界からの解放こそが、この世界で無に帰す慶事を識らず…
仏教にニ諦ありて、覚りなる世俗諦は溢れども、大悟なる勝儀諦への道は狭く、到達するものは少なし…

幸福は足下にあり

一切万象、考え方次第
幸せは山の彼方に住むものでも、苦労の先に待っているものでもなく、幸せは足下にありて.後は大事に育ててゆくもの…

仏教は智慧の宗教と言われるが、そう言われる所以は、物事万事.考え方次第で幸せにも不幸にもなってゆくものであり、その為には智慧や叡智が必要となるのだから…

そしてその智慧や叡智を顕現させる.深淵なる真理(真実.事実.現実.実相院)を見透し.洞察する為の能力の開発こそが仏道であると言え、その為の集中力の養成と知識や情報であり、能書き.戯れ言.空論.観念などを妄信して信救われる訳でも.得体の知れない神仏の御加護や御利益で救われる訳でも、成仏できる訳でもなく、一切の万象は.自らの業(カルマ.形成力)の自得であり、自らの因果の応報なのだから…
愚か者 は幸福を祈りながらいつも運や幸せを取り逃がす. 
●愚か者は運命を星に託したり.神や仏に縋ったりするが.星や神仏が人を救った例などなく.自分を真に救うものは自分だけ
●正しい真理を覚らない愚か者には、生死の道のりは長い
●愚かな人は.幸せは苦労の先の遠い所にあるものだと幻想して、足元の幸せに気付けず.奥深く味わう事なく、悔いと虚しさとを味わう事となる
●真に歓びや幸せをもたらすものは、足るを知る心だけ…
●幸せの青い鳥.症候群
チルチルとミチルは青い鳥(幸せ)を探し求めて世界中を旅しましたが、得たものは苦労だけでした…そして青い鳥(幸せ)を捜し求めるのに疲れ果てて我が家へと帰って、疲れ切った心身を癒やしながらフッと見上げた庭の木の枝に青い鳥(幸せ)が留まっていたという西洋の童話に言われるように.煩悩の要求に翻弄されて.旅をする人は案外.多いもので単に無明の闇の中を盲目的に手探りで.行き当たりばったりに生きているだけだからであり、心を鎮め.調えて.集中力を高めて冷徹厳峻に自分を客観的に眺め.分析し.思惟思推し.見つめ直せば自分が如何に未熟で愚かで無知なのかに気付く事もできるのですから…
[己の愚なるを知るが賢者なり]
そうすれば既に如何に多くの幸せを所持しているのかにも気付く事が出来、満たされた至福と歓びと多幸感の中を.更なる高見へと昇華してゆけるのです。
[悦楽の中に聖なる大悟は啓かれる]
 
正しい真理(真実.事実.現実.実相)はひとつであるが、世の中には[正しい真理]と[間違った真理]とが同居している、そうと気付かず惑わされ.無明に真理へと向かおうとする人々を[こんな筈ではないのに…]と苦しめる。
「愚か者に知識があっても、それは彼には不利なことになってしまう。その知識は彼の好運(しあわせ)を滅ぼし彼の頭をうち砕く(人生が破滅する)」
○足るを知る「知足」とは[今あるもので我慢する]という意味ではなく[全ては既に与えられている]
だから「満ち足りているのだ」という今の幸せへ気付くことなのです。

幸福と不幸の別れ道

日本の衰退の原因を社会では少子高齢化と捉える向きが大勢だが、その真実は日本社会を蝕んでいるNIMBY思想(ニンビィ症候群)と無明な妄迷に他ならない。
ひとつには.いつも言ってる[所有の次元の事物の所有量により幸せや満足が得られるのではないか]という浅薄な錯覚であり、一方NIMBYとは英語の[Not In My backYard]の略であり[うちの裏庭にはやめてくれ]思想であり利己的な幸せを追求する余り、利己的な欲望に反する物事に対し怒りをぶつける心の貧しさ.卑しさであり、それは利己的な利益追求にはしり他者(受益者)の利益とのお互い様な関係性の上に成り立つ進歩を阻害して自ら衰退していった多くの過去の文明と今の日本の現状にも当て嵌まる病巣であり、これは建物や施設などに限った問題ではなく.自我意識に病んだ人間の驕りが社会の破戒を招く事を認識した過つての人々により森林保全法や動物愛護法などもそんな精神により創られたのである。
そしてそのもっと真因を辿れば物質文明社会の中で利他を謳いながら利己的な欲望の成就を無責任に約束するような歪んだ観念.思想.宗教が蔓延し.流れ連鎖してゆく生命観を喪失してしまった刹那的.享楽的.自己中心的.主観的な世界観しか持てない日本人が増えている事に起因するのではないだろうか。
次の自分が何であっても.次の自分が無かろうとも依り善い未来への願いが人類の進歩と発展を促すのであり、真正な仏教が説く教えも文明を否定する灰身滅智を説いている訳ではなく人類の真の幸福のための進化の道を説いているのだから。