路傍の如来 こよなき幸せの仏教 多々方等正覚

路傍の如来のブログ[満願成就]

祈 り

✨✨✨✨✨❖霊験灼然❖✨✨✨✨✨✨ 七難即滅 七福即生 七実成就 能作堅固利
 

一切衆生(人々.生きとし生きるものたち)が.幸せでありますように…

一切衆生(人々.生きとし生きるものたち)の.悩み苦しみが無くなりますように…
一切衆生(人々.生きとし生きるものたち)の.願い事が叶いますように…
一切衆生(人々.生きとし生きるものたち)に.悟りの光が現れますように…

私を嫌う人々が.幸せでありますように…
私を嫌う人々の.悩み苦しみが無くなりますように…
私を嫌う人々の.願い事が叶いますように… 私を嫌う人々に.悟りの光が現れますように…

六方拝(真仰)
世界に対して無量の慈しみの意(こころ)を起こすべし…
六方(東.西.南.北.天.地)
上に下にまた四方に障害なく.恨みなく.敵意なき慈しみ.敬い.崇拝.感謝し.幸せを祈るべし…
〘六方への崇拝〙
東方拝 東方に両親を敬い.崇拝し.感謝し.幸せを祈る…
西方拝 西方に兄弟姉妹を敬い.崇拝し.感謝し.幸せを祈る…
南方拝 南方に恩師や上司を敬い.崇拝し.感謝し.幸せを祈る…
北方拝 北方に友人や隣人を敬い.崇拝し.感謝し.幸せを祈る…
地方拝 地方に使用人.部下.弟子.後輩を敬い.崇拝し.感謝し.幸せを祈る…
天方拝 天方に聖人や如来を敬い.崇拝し.感謝し.幸せを祈る…
この六方の崇拝対象に対し.その義務を果たす事により.初めてその崇拝は大いなる果報を生じる…
※六方拝(東西南北天地)とは全方位から齎せる大宇宙のパワーへの運気と恩恵への感謝の祈りでもあるのです…


 

鈴の音の 子猫の声に惹かされて

今日もせっせと 餌代づくりに托鉢へ…


 

 

一切万象.因果応報…
一切万法.自業自得

衆生.心を清めたもう…
衆生.因縁(悪)を断ち切りたもう…
衆生.無明を晴らしたもう…
衆生.功徳を積みたもう…

道は自ら歩むもの…
如来は道を指し示すだけ…
一切万象.因果応報
一切万法.自業自得

煩悩に塗れ… 因縁深め… 無明の闇を彷徨いし… 者が行き交う辻こそ.適えたり… 如来.憐れみ.その辻に立つ…
一切万象 因果応報
一切万法 自業自得

 

輪廻の流れは果てなき流れ… 死して始まるものでなく…

 

生まれて止みしものでなし…

不生不滅 縁起の法と… 輪廻の流れは一つの流れ…

如来.尊き神通力で… 見難く.微妙で.深遠な… 輪廻の法も見透せり…

諸行無常のこの岸に… 繋ぎ留める因縁果…

激しき流転を繰り返す… 如来.憐れみ.その辻に立つ…

一切万象 因果応報
一切万法 自業自得


 

煩悩に塗れ…
因縁深め…
無明の闇を彷徨いし…
尊き理法に遵いて…
生命連鎖に軛かされ…
激しき流れを繰り返す…

一切万象 因果応報
一切万法 自業自得


無明な者を憐れみて…
如来は憐れみ辻に立つ…

 

道は自ら歩くもの…
道は自ら築くもの…
如来は道を指し示すだけ…
一切万象 因果応報
一切万法 自業自得

ブッダン.サラナン.ガッチャーミ…
ダンマン.サラナン.ガッチャーミ…
サンガン.サラナン.ガッチャーミ…

空 観

真空妙有
真の空とは.有るがままに有ることなり…

 

お釈迦様は仰った…
常に.よく心に気を付け.何ものかを[我れ]なりと.固執する見解を打ち破り.世界を[空なり]と観察せよ…
そうすれば[死]をも乗り越える(超越)ことが出来るであろう…
この様に観ずる人を.死の魔王は見ることが出来ない…
一切は無常であり.無我であり.苦であり.空である…
【空観(シューニャ)】
全ての存在も.諸々の事象も.縁により起こるものであり.それぞれのもの自体に.固定的な実体はない…無自性
全ての存在も事象も相互依存の関係性により成り立っているのです…
つまりは.全ての物質も現象も.移ろいゆく我れと.移ろいゆく世界との縁起(因果律)の中での暫定的な出会いによる出来事に過ぎないのです…
それをその様に観じないから.苦が生まれ.苦がまとわりつくのです…

[心は万境に随いて転ず.転処.実に能く幽なり]

心は人生の中で.縁に従って転じているだけ…

一見.変わりばえない同じような出会いであっても.実は一生に一度しかない唯一瞬の新たなる出会いであり.計らい難く.幽玄で奥深く味わいと趣きのある出会いなのであって.死により始まるものでなく.生により止むものでない.悠久なる継続の流れ(輪廻)の束の間でもあるのです…

西洋思想の[我れ思うゆえに我れあり]という浅薄な実存論や.提婆達多(ダイバダッタ)教団が大乗仏教に紛れ込ませた蓮華経による実在論的な諸法実相とか.在時に得体の知れない神仏への無明なバラモン信仰を否定されたお釈迦様や龍樹(ナーガルジュナ)が説かれた空の思想を蔑ろにし.お釈迦様と龍樹(ナーガルジュナ)の名声と権威に依拠しながらも.バラモン教に再影響され.ガンダーラに於いてもミトラ教拝火教(ゾロアスター教).景教(キリスト教)など神秘思想の洗礼を受けた.反仏教思想に基づく中国仏教や日本仏教は.先祖崇拝という意味不明な崇拝に根ざし.見難く.微妙で.難解で.深遠な.如来尊い神通によって見透された一源のエネルギーの悠久な流動を暗に否定してもいるのです…

エネルギーの悠久の流れ.心的エネルギーも然り…それこそが輪廻であり実相なのです…


輪廻とは果報であり.行くべき処.成るべき処へと再誕してゆくだけ…
例えば欲望に執着している業(カルマ)が.無欲恬淡に在る極楽や仏界に再誕したならば.極楽.仏界で地獄の苦しみを味わう事と成るでしょうから…

そもそもある日突然に人類が生じたわけでは無く.お猿さんが何万年もかけて少しずつ現世人類へと近づいてきた理由ですから.何処からがご先祖様なのでしょう…
正しくは.地中や海中のバクテリアもご先祖さまですし.地上では海から上がったイクチオステガがご先祖様なのですからして…
つまりは耳障りは良いのですが[人類みな兄弟]も短絡.浅薄.無思考の言であり.生命みな親戚であり.他の犠牲の上に成り立っている以上.感謝すべきは得体の知れないご先祖様などではなく.他の全生命への感謝.崇拝.敬愛こそ忘れてはならないのです…

応急処置と根治治療

 

◆応急処置と完治治療(根治治療)
仏教とは完治を施す教えであり.決して対処療法や応急処置ではないのです…

何の完治なのかと言えば.無明という盲目さと煩悩(存在欲)を素因とした業病とその苦しみ(不安定さ.ドゥッカ)の完治(根治)であり.その苦しみ(不安定さ.ドゥッカ)という根深い病巣を取り除いて完治させ.堅固な安らぎ.幸せ.安定.清逸という心の健康へと導く教えなのです…
ですから無明の闇が深ければ深いほど世の中が[行き辛い]と感じたり.欲が深まれば深まるほど不満.哀しみ.怒り.苦しみなども増えてゆくのです…

しかし[毒矢の喩え(下記参照)]として説かれる仏教の基本スタンスとして.飽くまでも[対処療法]として.信仰的要素を含んでいる事を否定する事も出来ませんが…
しかし仏教がもつ信仰とは.本質的にはお釈迦さまが説かれた真理の教えへの信仰であって.得体の知れない神仏や眉唾な力への信仰ではないのですから…

先ず信仰とは.仰いで信じるという事であり.本当なのか偽りなのか…正しいのか間違いなのか…などという疑念を持つことなく.ひたすら鵜呑みにして.盲信する事が求められるものではありますが…心が病み.悩み苦しみ人の心痛を.取り敢えず.鎮静化させ安定化させる為には.プラセボ効果も望める応急処置は有効なのです…
ですから激痛を伴う重病患者や癌患者に麻薬物質を痛みの緩和の為に治療と平行して投与したりしますが.それは飽くまで対処療法でしかなく麻薬物質で重病患者や癌患者が治癒する事などないように本当に治癒させるには完治療法(根治療法)が必要なのですから…

ですから信仰も完治療法とは次元の異なる心の痛みや安定化の為の緊急的な対処療法でしかなく.夢幻なものを依り処(精神的支柱)とする事であり.豆腐よりも軟弱な.無常で.空で.夢幻なものを依り処としても.本質的な不安定さが完治(根治)することなどなく.折角の人生を酔生夢死してしまい.迷いの生存を繰り返すだけでしかなく.増して麻薬患者を見て頂ければ解るように常用性という生体反応により.麻薬物質の摂取量を段々と増やしていかなければ.初期の快感.安心感.解放感.喜び.安定感などは得られなくなり.その増量は廃人化するまで続くものなのですから…

全ての迷いの原因は無明であり.誤認なのです…
疑問.戸惑い.躊躇いが有る限り.進歩は出来ず.物事が理解できず.確証が得られず.明晰に見えない限り.疑問を拭うことは出来ないのですから…
ですから本当に完治(根治)する為には.疑問を無くし.真実(真理.事実.現実.実相)を明晰に見る事が必要不可欠なのです…

ですから疑わずに信じるべきであると言うのは的外れな言葉でしかなく.ただ信じるとは.本当に物事が見えて.理解している事ではなく.寧ろ本当には物事が見えてはいない.盲目的に無明の暗闇の中を.行き当たりばったりに彷徨っているに過ぎず.本質的には.不安定状態のままなのですから.変化生滅してゆく無常な世界の苦しみ(ドゥッカ)の中で.取り敢えずの応急処置を施したに過ぎないのですから…

◆二つの観察法 
凡そ苦しみ(ドゥッカ)が生ずるのは.すべて素因に縁って起るのであるというのが.一つの観察[法]である…

しかしながら素因が残りなく離れ消滅するならば.苦しみ(ドゥッカ)が生ずることがない.というのが第二の観察[法]である.このように二種の観察法により意志と信念をもって正しく観察し.怠らず.努め励んで.専心している修養者には.二つの果報のうちいずれか一つの果報が期待される…
すなわち現世における大悟か.あるいは煩悩の残りがあるならば.この迷いの生存に戻らないことである…

◆毒矢の喩え
たとえばある人が毒の矢で射られたとする…するとすぐに仲間が毒矢を抜きとって治療しようとするだろう…
ところが.もしもその射られた人が「矢を射たのは.何処に住む.どういう身分の.どういう名前の人間か…弓はどんな弓で.弦(つる)は何で出来ていて.矢の材質は何か…矢羽根は何の鳥の羽根か…
こうしたことが分からないうちは矢を抜いてはならない.と言ったらどうなるだろうか…

その人は体に毒が回りやがて死んでしまうだろう…
汝が言っているのはそれと同じことである…何故なら私はそうした質問に答えるつもりはないから.汝は修行する事なく死んでいく事になるからである…
だから私が説いたことは説いたように受け容れよ…
説かなかったことは説かなかったと受け容れよ…
私がなぜ説かないのかというと.それらの問題に対する答えは.清らかな行ない.世俗からの厭離.煩悩の消滅.心の平静.すぐれた智慧(叡智).正しい悟り.涅槃(ニルヴァーナ)の役に立たないからである…

それらの問題に対する答えがあったとしても.生があり.老いがあり.死があり.憂い.嘆き.悶えがある…
私が説いているのは.そうした人生の苦しみを解決する道である…
毒の矢を抜き去るように.苦を速やかに抜き去ることが一番大事なことではないのか…
この話を聞いた修行者は.歓喜して教えを信受するようになったという…

向上一路千聖不伝学舎労形如猿捉影

【向上一路不伝学舎労形如猿捉影】

真如の悟境は仏祖千聖典も説きつくし伝えることができない…

 

学者が能力をいろいろ働かせてその様子を現わそうとするのは猿が水に映る月影を捉まえようとするようなものだ…

悟りの境涯は言葉によっては表現できないものであって.自己の体験によって自証自悟するしかない…

しかし.いったん自己の脚下を顧みて修行底の自己の立場から思い返してみると.真如絶対の境地は先賢の助言が如何に多く残されてあろうとも.頭で理解することも難しいし.さらにそれを言葉にすることなど夢のまた夢なのである…

 

 

 

【依り処】

アーナンダよ.今でも.私の死後でも.此の世で自らを島とし.自らを頼り(依り処)とし他人を頼り(依り処)とせず.法を島とし.法を拠り処として他のものを拠り処としないで在る人々がいるなら彼らこそ修行者として最も涅槃(ニルヴァーナ)に近い境地にある者である...

 

【大切なもの】

自覚.感性.直感.智慧.意志.信念.啓発.克己.努力.精進…

皆.既に己に具された能力
権威.親愛の情.従順.協調などより.仏教真理
この世界は美しい.人生は甘美である…

 

 

 

 

 

 

[仏説考論]

仏陀の在世されていた当時は.バラモン教(現在のヒンドュー教)全盛の時代であり.自らの伝統と権威を唯一の真実と信じ込み.民衆にそれを受け入れるように扇動していて.正に今の日本仏教にも言えるのです…

ですから日本古来のアニミズム神道と混在して.先祖崇拝を根底にし.天地自然や森羅万象など万物に宿る神性や仏性を.さも実在するかの如く浅薄.短絡に捉え.得体の知れない人格神や魂.霊魂を唱えれば.唯物的な観念.概念に基づき.唯心的な輪廻転生や成仏について本質的には理解し得ないのです…

 

もしバラモン教が説くべーダ聖典やウシャニパッド哲学が.人生の現実.人生の苦しみ.生労病死の苦悩(ドゥッカ)や.愛別離苦(愛する人とも別れねばならない苦悩)や.求不得苦(求めても得られない苦悩)や.怨憎会苦(怨み憎しみにも会わねばならない苦悩)や.五蘊盛苦(五蘊の精神作用による苦悩)などの問題に応えてくれるものであったならば.仏陀はその教えを説かずに.涅槃に入られ梵住なされた事でしょう…

 

仏教を真に理解する為には.先ずその事を理解せねばならないと思います…  

つまりは.バラモン教に対して敵対的にならないよう充分に注意しながらも.その実バラモン教を否定し.批判したのが仏教なのです…

ですから真に仏教を理解するには.バラモン教と対比して.是非を図る事が必要なのです…

 

例えばカースト(生まれながらの身分制度)に対して仏陀は[人は生まれにより尊くも卑しくもあるのではなく.その行ないにより尊くも卑しくもあるのだ…)とバラモン教(カースト)や社会階級といった差別を認めず批判してされています…

 

仏陀の説かれた道は.それを理解し実践し努め励む意欲さえあれば.男であれ女であれ全ての人類に開かれた教えなのです…

そうして是非を図った仏陀が.そんな中で何故.輪廻転生を肯定されたかのと言えば.如来に具わる神通力で見透したからに他ならず.凡愚達による有る派.無い派による有る無いという不毛な丁半の如くに[有る]に賭けられた訳ではないのですから…

 

つまりは阿羅漢(アラハーン)と如来(タターガター)との違いとは.絶対真理を見透した故に生じる確証に基づいたものか.信頼による不還果に至りたりと言えども戻り得る阿羅漢と.真理を見透した故の確証を得た如来との違いなのです…

 

 

路傍の如来

仏教の最高峰 頂乗仏教学舎 ❨こよなき堅固な依り処❩ 人々を堅固な喜び.幸福.平安.満足へ導く 如来が説く真の仏教(頂乗仏教) ❴捨離❵❴覚醒❵❴超越❵❴解放❵❴真理❵❴大悟❵❴涅槃❵ 目覚め ! 乗り越え ! 解き放て! 霊験灼然   神通自在  ◆お互い様とお陰様◆ 生きとし生けるものが幸せでありますように.   

如来品正師 多々方 路傍石

頂乗仏教学舎サイト http://bongteng.web.fc2.com/index.html

祈 り

日々是好日
人々が良い一日を過ごしますように…
世の中が平和でありますように…
衆生(人々.生きとし生きるものたち)が、幸せでありますように…
衆生(人々.生きとし生きるものたち)の、悩み苦しみが無くなりますように…

衆生(人々.生きとし生きるものたち)の、願い事が叶いますように…

衆生(人々.生きとし生きるものたち)に、悟りの光が現れますように…

私を嫌う人々が、幸せでありますように…
私を嫌う人々の、悩み苦しみが無くなりますように…
私を嫌う人々の、願い事が叶いますように…
私を嫌う人々に.悟りの光が現れますように…
    路傍の如来 多々方路傍石


🤗上野にお越しの際は、JR上野駅不忍口に是非お声掛け下さい…路傍の如来はそこで辻立ち(托鉢)しています…

ストレス社会

経済的に豊かになり.物が溢れ.良い悪いは別にして知識や情報は湯水のように垂れ流され.科学や技術も高度に発達し.便利で快適な生活を実現したかに見える現代社会は、一方では歪んだストレス社会を造り出し.多くの心が病んだり.傷んだ人々を生み出す結果となりました…
しかもその原因やプロセスが理解も解明もされぬままに、患者が情緒が不安定だと言えば精神安定剤を処方し.夜眠れないと言えば睡眠剤を処方するといった根治を諦めた対処療法に頼り.却って病理を深める結果となり、作為的?[心の病][ストレス患者]を増やしているのではないでしょうか…
凡そこれら[心の病][ストレス患者]の原因が競争社会の弊害だとか、未熟な親に育てられた結果だとか、それぞれ個人の性格の問題だとか言われますが、それらは遠因の一つに過ぎず、その本当の原因は仏教的に言えば、無明(無知)だからであり、無明(無知.無闇)に欲望の罠に近付き絡め取られてしまった善良で生真面目な人々なのですから…つまり善良で生真面目な人とは.物事を善良で生真面目に考えますから(つまりは単純)、無明(無知)なままに.欲望社会の罠への警戒を怠って安易に受け入れてしまい、欲望の炎を燃え上がらせながら、三毒(貪瞋痴)による思考をしてゆくからに他なりません…
諸行無常なこの世の中は.いくら欲望の炎を燃えたぎらしても.上手く行く時も在れば.下手を打つ時もあるものなのです.しかし善良で生真面目な人は.上手く行っている内は良いのでしょうが、物事が自分の思い通りに運ばなくなった時、その責任は勿論、[自分のせい]あるですが、一つは.それを次のチャレンジの糧とする前向きな思考が持てず、その過ぎ去った不運.未熟さ.愚かさに執着してしまい、離れ捨ることが出来ずに.悲観的に自己嫌悪や自己否定.自分を哀れなヒーロー化しながら[負のスパイラル]に陥り症病化させていくのです…そして二つには.思考パターンが自我(自分中心.自分勝手.エゴ)による自分にとってプラス(利)となる物事は引き寄せたいと貪り欲し、自分にとってマイナスとなる物事に対して遠ざけたいと嫌悪し怒り、自分にとってプラスなのかマイナスなのか判断に迷ったり.逃して悔い.哀しむという三毒(貪瞋痴)思考をしているから、常なく移ろいゆく諸行無常な世の中なのに.過ぎ去った現象(物事)にいつまでも.捉われ.拘り.執着して…貪り.怒り悔い.哀しさを積み上げて、ストレス(負荷)の負担量に耐えきれなくなり.心身の安定性に不調や不具合を生じさせたからなのですから…
つまりはそんな[貪瞋愚]の三毒思考を、[定戒慧]の三学思考へと変化させて行けば、うつ病パニック障害などは必ず根治し.幸せの道へと軌道修正してゆけるのです…
その為には、先ず自分の事ばかり考え.捉われ.拘り.執着している自分に気付かねばなりません…他人から同情して貰いたいと甘えるのも自我(エゴ)でしかなく、[自分は][自分が]と張り詰めているそんな自分を、周りや社会.他者.他の生命への配慮.思い遣り.優しさ.慈しみへと振り向けてゆき、自分の縄で縛り付けている自分から解き放たれて、[自分で生きている]という錯覚から目覚め.乗り越え、一切万象.皆んなのお陰様で生かされている真実に気が付けば自我の妄想からも解き放たれて健全で.安定的で.心地よく.快い日々を生きていくことが出来るのです…
◆充足と充実
充実した人生を送る為には、充実した日々を送るように心掛けるべきです…
充実した日々を送る為には充実した行ないと呼吸を心掛けるべきです…
欲望の充足より心の充足を目指しましょう…
二.三日で飽きるような充実.充足などは、捉われ.拘り.執着するのに当たりません…
例えば拙僧なども.たまには南国にでも行って.ビーチパラソルの下で綺麗なお姉ちゃんと語り合いたいと思います…笑(冗談ですから)
しかし拙僧は、果たしてそれらがどれ程の充実と充足をもたらしてくれるかが理解出来ますから(恐らく3.4日位)、その後には苦.飽き.空しさ.心痛(ドゥッカ)を生み出すだけですから、より堅固で価値ある充実と充足の為に、その時間と金を他者や他の生命の為に使っているだけなのです…

結果、ストイック(禁欲的)とも.偽善的とも言われますが…
日々是好日、日々是充実、日々是充足