僧侶(比丘)とは修行する出世俗者であり.剃髪し粗衣を身に纏い托鉢で暮らしている。
このような慎ましい生活を送るのは負債や生活苦の為なのではなく.我らの心身を蝕む苦悩や煩悩から解脱し自由になるためであり、真正なる釈迦尊の教えを実践する聖道跡であるからである。
とこしえの平安を得る為に.とこしえの平安を伝える為に.修行をするのである。成功や名声のためでも.人の上に立つためでもなく.智慧と真理を啓き徳を高め衆生に真の功徳を廻向し施さんが為に、衆生に慈悲を施さんが為に.此のような生活を送るのである.
〇戒律
在家五戒(不殺生.不偸盗.不邪淫.不妄語.不飲酒)
僧 侶 二百五十戒
・三摩邪戒パーティモッカの戒律
〇六波羅密
布 施 . 忍 辱 .持 戒 .精 進 . 禅 定 .智 慧
〇三 宝 印
◆諸行無常
諸行は無常なり 一切の形成されたものは常ならざるものなり。
この世に存在するすべては、すがたも本質も常に変化生滅するものであり、一瞬といえども存在は同一性を保持することができないことをいう。
諸行とは一切のつくられたものの意であり、無常とは変化生滅しないものは存在できない世界(欲界・色界)であると説いている。
◆諸法無我(諸法非我)諸法は非我なり 一切の事物は我ならざるものなり。
主体的な実体としての我は存在しない。諸法非我の「法」とは[存在]という意味であり、「非我」とは永遠に続くものはない.現象的存在]という意味であり、諸法非我とは「一切の存在は永続的なものではなく、仮のものである」という事。「諸行無常」が、空間的流れのなかで一切のものが変転していくものであることが説かれ、「諸法非我」とは、時間的に一切のものは固定的な実体ではなく全ての存在は時空の中での暫定的な存在である」という思想
◆一切皆苦
一切は皆苦なり
一切の事物は空しく不満・不安定・苦により成り立つ。
大宇宙も生命も本質として空しく不安定で苦と不満のエネルギーにより存在している事を説いている。
◆ 涅槃は寂静なり ニルヴァーナ
〇自燈明と法燈明
自らを燈明とし自らを拠り所とし他人を拠り所とはせず法を燈明とし法を拠り所とし他を拠り所とはせず己の信じた道を正しい方向へと進め。
〇正信 と 妄信
伝説を鵜呑みにするな。教典をそのまま信じるな。伝統が全て正しいと思ってはならない。如何に論理的な言葉であろうと誰もが揃って支持しようと、例をあげて証明されようと、己の主観と合致していようと権威ある人の言葉であろうと、全てを安易に正しいと信じてはならない
自ら確かめる事なく受け入れることを「妄信」という。本当の確証を得て信じることを「正信」という。
如実智見
(世界を懐疑の目で眺め物事の本質を如実にしる事で、無明が取り除かれる。)
〇邪念 と 正念
仮の姿を真実だと思い込んだり間違った観念や見解を抱いていると真理には到達できない。 「真理は真理、虚仮は虚仮と知る。」
〇三学 と 三毒 (気付きと三欲)
三毒(貪欲・瞋恚・迷妄)を断ぜよ。
⚫三学
☆持戒 心に刺激が入り込まぬよう感覚器官を見張り、心を不安定にする行いを慎む
☆禅定 持戒により心を安定させ正しい精神集中により想念を一点に止め、雑念を芽生えさせない。
☆智慧 心は澄んだ水面の如く一切を映す。命の実相を見、大宇宙の法則を理解し全てを在るがままに受け入れる。
●三毒 (貪瞋痴)(不善処)
★貪欲
欲を貪り、欲により心の平静を乱す。
(肯定する欲望)
★瞋恚
激しい怒り、怨み。(否定する欲望)
★痴愚
迷妄や無明から生ずる迷いや妄念、愚痴しい行い。不満(生存欲)
◎自我への執着や偏見が無くなれば真理は依り明らかに見えてくる
智慧はおのずと啓かれる
◎快楽の中の修行の成果を味わい生きる事の素晴らしさを享受し、
◎八 正 道
本質への正しい見解
正見.正思.正業.正語.正命.正精進.正念.正定
正念に始まり正智に終わると言われるが、八道を同時進行的に修養してゆく
〇十二縁起(因果律)
「此れ有れば 彼れ有り」
「此れ無くば 彼れ無し」
「此れ生ずれば 彼れ生ず」
「此れ滅すれば 彼れ滅す」
◆十二縁起の順観・逆観 因縁因果
〇四 聖 諦
苦諦 この世界は苦に満ちていると明らかに気付く。
四苦八苦
集諦
苦の原因が何んであるかに明らかに気付く
(煩悩により苦が発生することを明らかに気付く。)
滅諦 苦の原因を滅すれば苦も滅することに明らかに気付く。
道諦 苦の滅を実現する道を明らかに気付く。
苦を滅するには遍知・滅除・成就・修習・八正道」の五道を実践
☆「遍知」苦は知り尽くすべき。
☆「滅除」苦の原因は滅すべき。
☆「成就」苦の滅は実現すべき。
☆「修習」苦の滅を実現する道は実践すべき。
◆三転十二行相
十二縁起により、如実知見を得る。
☆ 三転
示・ 内容の確認⇒勧・どうすべきかの確認⇒ 証・了解・体得の確認
☆十二行相
【苦聖諦】
苦聖諦とはこのようなものである。(示)
苦聖諦を完全に知るべきである。 (勧)
苦聖諦を既に完全に知り終えた。 (証)
【集聖諦】
集聖諦とはこのようなものである。(示)
集聖諦を断ずべきである。 (勧)
集聖諦を既に断じ終えた。 (証)
【滅聖諦】
滅聖諦とはこのようなものである。(示)
滅聖諦を目の当りに見るべきである(勧)
滅聖諦を既に目の当りに見終えた。 (証)
【道聖諦】
道聖諦とはこのようなものである。 (示)
道聖諦を繰り返し修すべきである。(勧)
道聖諦を繰り返し修し終えた。 (証)
☆ 五 蘊 (五集合要素)
【色 蘊】色かたち、「私」を分析すると、色かたちが見つかる。名称と形態
ルーパ 体とは常に変化生滅してゆき「私」という実体はない
【受 蘊】感受作用 五官(眼鼻耳舌身)を観察すると苦と痛みが見つかる
ヴェ-ダナー 負担に感じる量の痛み・苦が消える事が、楽である。
【想 蘊】表象作用 五官により得た情報を確認・再確認・妄想している。
サンニャー 「花だ」「猫だ」「私は医者だ」「あれは何だ?」
【行 蘊】意志作用 何かをしたい・何かしなくてはという気持ちがある。
サンカーラ 前の状態から次の[何かしたい]という力が変化しながら流れてゆく
【識 蘊】認識作用、識別作用
頭が知る事ではなく心が識ること。
区別判断・好嫌
ヴィンニャーナ(心)
命・生きている認識・心のはたらき
◎区別判断するための情報や価値基準を想蘊を使って識蘊が識別.判断している
心(ヴィンニャーナ)が働く為に、受(ヴェ-ダナー)と想(サンニャー)が必要で、そこには必ず行(サンカーラ)が働いている。
〇四無量心
慈(マイトリー)誰れ彼れの区別・差別ない慈しみと友愛の心(楽を与える)
悲(カルナー ) 他人の苦しみ悲しみへ同化する心 (苦を抜く)
喜(ムディター)他人の喜びに嫉妬することなく同慶を感じる心
捨(ウペクシャー)極端な感情の起伏を制御した拘りのない平静な心
〇構成要素
六つの認識対象(六境)とを合わせた十二の領域(十二処)
十二の領域に六つの認識作用を合わせた十八要素(十八界)
☆五 蘊
<色蘊(肉体)・受蘊(感受)・想蘊(表象) ・行蘊 (意思)・識蘊(認識.識別) >
☆六 根 < 眼.耳.鼻.舌.身.意 >
☆六 境 < 色.声.香.味.触.法 >
☆十二処 ( 六根と六境 )
☆十八界 六根と六境(十二処)に、感覚器官の六つの認識を加えたもの
(眼界・耳界・鼻界・舌界・身界・意界)
(色界・声界・香界・味界・触界・法界)
(眼識界・耳識界・鼻識界・舌識界・身識界・意識界)
〇重要修行項目
◎四 念 処
1. 身念処 此処に身体において身体を観察して、正念正智して貪欲と憂いとを制御する。 呼吸の自覚
kaya ⇒この身は不浄である。 2.受念処 此処に感受(楽・不苦不楽・苦)において感受を観察して正念正智して貪欲と憂いをと制御する。 感覚の自覚
vedana⇒感受するものは苦である3.心念処 此処に心において心を観察して、正念正智して貪欲と憂いとを制御する。 心の状態の自覚
citta⇒心は無常で不安定である
4.法念処 此処に法において法を観察して正念正智して貪欲と憂いとを制御する 観念の自覚
dhamma⇒全ての事物は非我である
〇四 精 進
1.今生じてない悪(貪瞋痴)が生じないよう注意深く精進する
2.既に生じた悪(貪瞋痴)をなくすよう注意深く精進する。
3.今生じていない善(戒定慧)を行うことを決意し精進する。
4.既に生じている善(戒定慧)を安定させ修習し完成を決意し精進する。
〇五根
<信根・精進根・念根・定根・慧根>
○五力
<信力・精進力・念力・定力・慧力>
〇四 神 足
1.欲神足 欲求について意のまま集中し思念をもち実践する能力を修める
2.勤神足 精進について意のまま集中し思念をもち実践する能力を修める
3.心神足 思索について意のまま集中し思念をもち実践する能力を修める
4.観神足 観察について意のまま集中し思念をもち実践する能力を修める
「このように 私(釈迦尊)は四神足(瞑想法)が修練され豊かにされたときに、清浄で超人的な天眼をもって、もろもろの生存者が死に、また生まれるのを見た。
即ち卑賤なるものと高貴なるもの、美しいものと醜いもの、幸福なものと不幸なもの、そして諸々の生存者がそれぞれの業に従っているのを明らかに知った。
実にこれらの生存者は身に悪行を行い、言葉に悪行を行い、心に悪行を行い、もろもろの聖者をそしり、誤った見解を抱き、誤った見解にもとずく行為を行う。
かれらは身体が破壊して死んだ後に悪しき所、堕ちた所、地獄に生まれた。また他のこれらの生存者は、身に善行を行い、言葉に善行を行い、心に善行を行い、諸々の聖者をそしらず、
正しい見解に基づく行為を行う。かれらは身体が破壊して死んだ後に善い所、天の世界に生まれた。このように清浄で超人的な天眼をもって、もろもろの生存者が死に、また生まれるのを見た。すなわち卑賤なるものと高貴なるもの、美しいものと醜いもの、幸福なものと不幸なもの、そしてもろもろの生存者がそれぞれの業に従っているのを明らかに知った」◎ 七 覚 支
即ち卑賤なるものと高貴なるもの、美しいものと醜いもの、幸福なものと不幸なもの、そして諸々の生存者がそれぞれの業に従っているのを明らかに知った。
実にこれらの生存者は身に悪行を行い、言葉に悪行を行い、心に悪行を行い、もろもろの聖者をそしり、誤った見解を抱き、誤った見解にもとずく行為を行う。
かれらは身体が破壊して死んだ後に悪しき所、堕ちた所、地獄に生まれた。また他のこれらの生存者は、身に善行を行い、言葉に善行を行い、心に善行を行い、諸々の聖者をそしらず、
正しい見解に基づく行為を行う。かれらは身体が破壊して死んだ後に善い所、天の世界に生まれた。このように清浄で超人的な天眼をもって、もろもろの生存者が死に、また生まれるのを見た。すなわち卑賤なるものと高貴なるもの、美しいものと醜いもの、幸福なものと不幸なもの、そしてもろもろの生存者がそれぞれの業に従っているのを明らかに知った」◎ 七 覚 支
覚りの完成への七つの法「七つの覚り(完全な智慧)と支(部品)」
1.念 覚 支 心を平らかで過去や将来にも捉われず、今という瞬 間へ気付き、今を観察する。 ⇒妄想が能力を蝕む。今の瞬間に気付き妄想をとめる。
2.択法覚支 教えの中から真実なるものを選び取り、偽りの教え を捨てる。因果関係の発見
⇒気付きを充分に実践していると自動的に「こうだから、こうなっている。」というような情報を依り明確に見て 分析する能力が現われてくる。
3.精進覚支 一心に精進し気付き分別能力を高め、因果関係の理解に精進する⇒気付き分別能力が身に備わると、やる気が増して因果関係の理解に精進できる4.喜 覚 支 真実の教えを実行する喜び、因果関係の理解の喜びに住する。
⇒葛藤や誘惑に打ち克ち精進してゆくと大楽が現れてくる。
因果関係が如実に理解でき本質が見えてくる。
5.軽安覚支 喜覚支が充分に深まってくると心が宇宙空間に居るかの如く軽やかになる。
⇒心を自縛する不善処(貪欲・怒り・痴愚・渇愛・執着・怠け・疑)などの重石なくなった状態である。
6.定 覚 支 禅定な状態であり心が集中、統一された状態となる。
サマーディ(禅定)
⇒普通の人の識る世界は、五官から入ってくる情報に限られていて、そこから入った情報を「意」で捏造して妄想している。そして妄想 により達した結論を真理であり事実であると誤解し主観を形成正しい実践によりサマーディに達すれば五感の次元を超越し普通の人々には知りえない情報を識ることが出来る。
❖この能力を「神 通」という。
7.捨 覚 支 対象への捉われを捨て気付きや因果法則を観る能力が具わり寂静を得る解脱へと至る。
⇒気付きが修養され因果法則を如実に観ることができ努力精進し、心を統一し安定させる能力が具わり、極限の冷静と寂静を得たれば捨覚支 へと進み[解脱]する☆世界は無常・苦・非我であると極限的な冷静をもって観察し明智する。
☆サマーディも因縁によって生起してものであり因縁が変われば消えてしまうものである。
☆どんな楽であっても、所詮は執着する必要のない無常な現象にすぎない。
〇禅定
禅 初禅⇔第二禅⇔第三禅⇔第四禅
(瞑想・観照) 定 空無辺処定⇔識無辺処定⇔無所有処定⇔非想非非想定
☆ 入境(トランス状態に入る)
梵(ブラフマナ)
想受滅 ☆梵天界(真理)へ座す。
ブラフマンへの到達
◆ 禅とは徹底思惟であり、定とは心の定むる処なり
<全ては一息の内にあり。>
◆禅(徹底思惟)⇒定(思惟停止・止観)⇒梵(トランス状態)⇒定(無念無想)⇒禅(正念正智)⇒解脱
◆大悟への瞑想
徹底思惟・気付きの瞑想
(観)ヴィッパサナー瞑想
精神統一の瞑想
(止)サマティー瞑想 無念無想
平安の瞑想⇔開放の瞑想⇔歓喜の瞑想⇔感謝の瞑想⇔慈悲の瞑想⇔無所有の瞑想⇔明知の瞑想
★四つの条件を揃え、五つの蓋を超えると正しい禅定となり四つの心三昧が現われる
第三の禅とは正念があり正智がある喜を捨てて生じる。大楽を体験し無喜の大楽で満たされる。
第四の禅とは大楽がなく清浄がある楽を捨てて生じる。空性を体験し無楽の空性で満たされる。
★観は、釈迦牟二(ブッダ)の瞑想法である。解脱を果たし涅槃に至り大悟を果たし成道へと導く。
◎如実知見とは「在りのままに見て、在りのままに知る」
〇八つの解脱
1.初 禅 内心において「物質的なもの」という想いの者が、 外において物質的なものを見る
2.第二禅 内心において「物質ならざるもの」という想いの者が、外において物質的なものを見る
3.第三禅 己とは不浄なものであり世界とは清浄なものであると覚る
4.第四禅 「物質的なもの」という想いを超越、し抵抗感を消滅 し「別のもの」という想いを起こさず、個々に存在するのではなく全て無辺なる虚空」であると観じ、空無辺処に達する。
5.空無辺処定 全てが法と真理のもとにあり」と観じ、識無辺処 に達する 6.識無辺処定 全てが無辺なる識であり虚空を分断するは無辺なる識であると観じ、無所有処に達する
7.無所有処定 在るのはただ想いだけであり「想いが虚空と一体 化した」と観じ、非想非非想処に達する。
8.非想非非想定 想いが在るでもなし無いでもない境地。その境地を超越し「表象も感受も消滅する境地」
9.滅想受定(トランス状態)に達する。 内々観
Transcend 真理に到達
〇五 蓋 瞑想を妨げる五つの条件
1.貪欲蓋 2.瞋恚蓋 3.昏眠蓋 4.掉悔蓋 5.愚痴蓋
〇十結と四向四果
★五下分結 (人を欲界に結びつける五つの煩悩)
★四向四果
1.有身見 我という不変な存在が有るという誤った見解
☆欲界→感覚で認知できる世界
☆色界→物質的条件として認知できる世界
2.疑 惑 何が真実か判らない状態 無知の状態
☆無色界→欲望も物質的条件も超越し精神作用だけの世界・禅定に住まう
3.戒禁取見 拘り仕来りや苦行などに色々な事に捉われた状態
☆1、2、3(三結)を完全に断滅すると「預流果」を得る。
須陀含(シュダオン)
★五上分結(人を色界・無色界に結びつける五つの煩悩)
1.色 貪 色界に対する執着、意識界の禅定への執着
2.無色貪 無色界に対する執着、無意識界の禅定への執着
3.掉 挙 私は到達したという意識界・無意識界の微妙な高揚
4.我 慢 私は成したという慢心、意識・無意識界の微妙な慢心
5.無 明 最後まで僅かに残っている根本的な無知
☆五上分結を完全に断滅すると「阿羅漢果」を得る。
阿羅漢果 (応供・アラハット)
★応供に到達し叡智の顕現により大悟を得て成道を果たし無上等正覚者である如来(athagata タターガタ―)となる。
【四向四果】
預 流
涅槃に暮らし、唯、時空に身を預け、流れ行く。
預流に向かい、預流の果を得る
一 来
涅槃に暮らし、時空を超越し、戻りもしたる境地。
一来に向かい、一来の果を得る。
不 還
時空を超越し、世界を俯瞰する者なり。
不還に向かい、不還の果を得る。
阿羅漢 現世に在り、現世になし。(空観)
阿羅漢に向かい、阿羅漢の果を得る。
〇梵我一如の六態
第一態 閉眼、座禅定。止観・正念正智による空境への入境
⇒沈思により梵天界(色界)への入境⇒滅想受により無色界へ入境
第二態 半眼、座禅定。止観・正念正智による空境への入境
⇒沈思により梵天界(色界)への入境⇒滅想受により無色界へ入境
第三態 開眼、座禅定。止観・正念正智による空境への入境
⇒沈思により梵天界(色界)への入境⇒滅想受により無色界へ入境
第四態 閉眼、立禅定。止観・正念正智による空境への入境
⇒沈思により梵天界(色界)への入境⇒滅想受により無色界へ入境
第五態 半眼、立禅定。止観・正念正智による空境への入境
⇒沈思により梵天界(色界)への入境⇒滅想受により無色界へ入境
第六態 開眼、立禅定。止観・正念正智による空境への入境
⇒沈思により梵天界(色界)への入境⇒滅想受により無色界へ入境
〇六神通
〇六神通 六種の神通力・観自在な境地・通常の次元を超えた深い洞察力
如来の法力
★神足通(iddhi-vidha-ñāṇa)- 機に応じて自在に身を現し、思うままに山海を飛行し得るなどの通力。
★天耳通(dibba-sota-ñāṇa) ふつう聞こえる事のない遠くの音を聞いたりする超人的な耳
★他心通(ceto-pariya-ñāṇa) 他人の心を知る力
★宿命通(pubbe-nivāsānussati-ñāṇa) 自分の過去世(前世)を知る力。
★漏尽通(āsavakkhaya-ñāṇa)自分の煩悩が尽きて、今生を最後に生まれ変わることはなくなったと知る力。