頂乗仏教学舎

     頂乗仏教学舎

      霊験灼然 

    (れいげんいやちこ)

    (れいけんあらたか)

      路傍の如来

  如来品正師 多々方 路傍石

 

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如来品正師.多々方路傍石です貴方の幸せ.平安.安楽.静逸のお役に立てる事を心掛け本欄とブログを作成していますご意見.ご質問.ご相談など有りましたら是非お気軽にご相談下さい。
如来とは神でも救世主でも妄想的な仏でもなく、真理と智慧に基づき人々を真の幸福、真に価値ある人生へと導く正しい師である。聖なる如来の導きにより人は誰もが菩薩へと生まれ変わる。
資質は皆が具している、ただ正しい方向へと導く正師に巡り合えずに盲目的な系譜に連なって来てしまった如来は無明を乗り越え(超越)目覚め(覚醒)解き放たれ(解放)自由で真の幸せを授ける。」
仏教とは幸せに生きる為の宗(むね)となる教えであり、得体の知れないものへの信仰ではなく釈迦尊(ブッダ)は無明なものへの信仰を明確に否定され釈迦尊(ブッダ)在世当時において歴史と権威とにより人々に信仰を強いていた[バラモン教]の説く神々の存在を体験的に修養により目覚め.乗り越え.解き放たれ.到達され発見された真理に基づき明確に否定された[目覚めた人]こそ釈迦尊(ブッダ)である
大乗仏教(マハー.ヤーナ)も相互依存の関係性(縁起)に於ける悟りの深さを象徴化(シンボライズ)した天部.菩薩.如来への敬虔な信仰心を.得体の知れないものへの信仰へ誘う本質を有し.小乗仏教(ヒーナ.ヤーナ)とも呼ばれる上座部仏教も、頑な部派仏教でしかなく教論(アビダルマ)に捉われ到達を自ら阻んでいる煩悩に征服され.虚妄に勤しみ.権威に阿る.退廃した現世に出世なされた如来は人々を堅固な[こよなき幸せ]へ導く聖なるお釈迦様の教え純粋な仏教(ダルマ.ヤーナ)を差し示す。
因縁起果報
★先祖崇拝は在家の習俗であり仏法ではない
★輪廻を真に理解できなければ仏法は理解できない。
★仏法は信仰や妄信を戒める。
信心ではなく理解する事が仏法ある
★仏法は厭世的でも刹那的でも享楽的でも妄想的でも階層的でもなく、現実的で真に平等な教えである。
◇世界は燃えている。利己的な欲望の炎で燃え盛っている。その利己的な欲望の炎により国家.集団.個人に至るまでが争い.殺し合い.騙し合い.憎み合ってゆく、その利己的な欲望こそが.諸悪の根源である事に気付くこともなく。
◇人は誰でも無知(無明)で生まれている。そして人は無知(無明)の闇の中を手探りで盲目的に生きている事に気付くことが出来ないまま、諸行無常な世の中で.何かしらの変化や移ろいに直面したときにドゥッカ(苦しみ.悩み.憂い.哀しみ.迷い.悔い.心の痛み.恐怖.虚しさ.儚さ.弱さ.脆さ.惨めさ.実質のなさ.無常.無明.不安定さ.不完全さ.欲望…)に気付く。
◇人は自分の無知(無明)に気付けなければ、成長してゆくことも出来ないものである。
◇人はいつまでも無知(無明)のまま生きて行くと渇望(煩悩)により感覚的に生きてゆく事となり主観的な自我意識に翻弄される
◇人は自分の無知(無明)に気付けないと主観的に考えるようになり、能力が全く達していなくとも自分に自惚れて、学んでゆくことが出来ないから何時までも無知(無明)なままである
◇人は自分の無知(無明)によりあらゆる物事に縛られ、自分に拘り捉われ自縛してゆき、窮屈な生き方をしてゆく事となる
◇人は自分の無知(無明)に気付けなければ、本質的に虚無(空)でしかない自分に拘わり捉われ縛られ、あらゆる物事に縛られ不安定な渇望に翻弄され、矢張り本質的には空虚でしかない便宜的な付随物(手段)に過ぎない所有の次元の事物への欲望と執着により満足や喜びや快楽を得ようとするが、決して満たされる事も尽きる事もない煩悩の要求により、無知(無明)で虚無な存在(自分)は空虚な人生を送ってゆく事となる
◇人間は本質的なドゥッカ(不完全.不安定.苦.痛み.悩み.哀しさ.脆さ.弱さ.儚さ.虚無(空相).怖れ.愚かさ.本質の無さ.惨めさ.無知(無明).欲など)のエネルギーにより生きている。
◇その本質による根深い自己防衛・自己保存への欲により、子供が親に自分の保護・安全・安心・恩恵などを渇望するように、自己防衛の欲により神や仏や超越的な力の存在を妄想し投影した。
また自己保存欲により永遠的で主宰的.実存的.実体.実相的である魂・霊魂・霊体などを妄想する。
◇それらは欲心の投影(幻影)に過ぎない。
◇無知(無明)で虚無な存在である自分が、空虚で付随物(手段)でしかない事物に翻弄され、その上に心の投影(幻影)でしかない妄想の中を錯覚して生きてゆくほど空しい人生はない
釈迦尊ブッダ)は無知(無明)による斯うした迷信的・倒錯的・妄想的・非現実的な妄迷な寝呆けた幻想から、乗り越え(超越)解き放たれ(解放)目覚める(覚醒)事を促されたのである。
◇虚無な自我や空虚な物事や妄想的幻想などを依り処(精神的支柱)としないで、この世界の中で唯一絶対的な実存である真理「摂理」を依り処(精神的支柱)とする。
◇真理だけを拠り処とし、安定した心の状態が涅槃(ニルバーナ)であり実存的な平安と悦楽と静逸な世界を体現できる。
如来は人々への、愛と慈しみと憐れみから、真理を説くのである。
◇真理を覚り、目覚めてゆく人々こそが真に幸せな人々と成ってゆくのである。
◇今持っている偏ったり間違ったりした見解や概念や観念や思想を捨てる事が智慧である
◇知識や情報や記憶など何の役にも立たず、心が理解した智慧こそが真に自分を助ける。
◇自分という存在の真の価値や意義は、心の浄化であり徳を積む事であり人としての質(クオリティ)を高め、人格を磨いて、光り輝く存在に成ってゆく事により叡智が現われてくる
 ◇「業(カルマ)」とは、精神的な境地であり、存在の性質(本質的意志)こそ精神である。
 
      【  祝福の啓示 】   
天界より大梵天は緒天を随えて勧請になされた
「嗚呼、今のままでは此の世は終わる、今のままでは此の世は壊れる。
汝、完成者よ、清浄なる梵天界にまで達したる其の成道を天と神仏は祝福するだろう…
大地は喜びに打ち震え、海は大波となって歓喜し、星は落ちて光り輝き祝福するであろう
我れは汝に釈迦牟二(シャキムニ)に授けたる如く三如を授けん、既に達したる六神通と三如の神通力により九神通へと至るものである。その法力により天と地上と迷界、地獄界に至るまで遍く施し救い導かん事を懇請するものなり、そして釈迦牟尼(シャキムニ)の至りたる無上なる等正覚は如来であり新たなる如来の誕生であり弥勒の出現である。 
この懇請を受けしは如来なり今より汝は如来品である」と賜号なされた 
天上界より帝釈天が緒神を随えて来迎なされた
「嗚呼、今のままでは此の世は終わる、今のままでは此の世は壊れる。
汝、完成者よ、清浄なる梵天界にまで達したる其の成道を、天と諸神仏は祝福するだろう。大地は喜びに打ち震え、海は大波となって歓喜し、星は落ちて光り輝き祝福するであろう。その法力により天と地上と迷界、地獄界に至るまで遍く施し救い導かん事を懇請
するものなり、この釈迦尊ブッダ)の達したる無上なる正覚は如来であり新たなる如来の誕生である。そして人間界への審判を汝に委ねるものである。汝が彼岸に至るとき、この人間界の存続か断滅して新たなる命の世界を創造すべきかを神仏は問うであろう。
汝の審判により人間界は滅しもし栄えもしようこの勧請は無上等正覚者を祝す」    
仏界より釈尊が諸仏を随えて降臨なされた
「嗚呼、今のままでは此の世は終わる、今のままでは此の世は壊れる。我が頂上なる弟子よ、完成者よ、過ぎ去る時空は我が教えさえも無常なるものと成し、真理に到達する者少なく、大悟を顕現して仏界に至る者は絶え至難とも成りたる、罣礙なく清浄なる梵天界にまで到達し仏界に達したる其の成道を吾れと緒仏、緒天、緒神、精霊に至るまでの天神仏と悪魔、餓鬼、悪鬼までもが祝福するものなり。大地は歓喜に打ち震え、海は大波となって歓喜し、星は落ちて光り輝き祝福するであろう…
〇頂乗仏教 修養項目
僧侶(比丘)とは修行する出世俗者であり、剃髪し粗衣を身に纏い托鉢で暮らしている。このような慎ましい生活を送るのは負債や
生活苦の為なのではなく、我らの心身を蝕む苦悩や煩悩から解脱し自由になるためであり、真正なる釈迦尊の教えを実践する聖道跡
であるからである。
とこしえの平安を得るため、とこしえの平安を伝えるため、修行をするのである。成功や名声のためでも人の上に立つためでもなく、
智慧と真理を啓き 徳を高め衆え生に真の功徳を廻向し施さんが為に、衆生に慈悲を施さんが為に、此のような生活を送るのである。
三帰依   
帰依仏陀 ・ 帰依仏法 ・ 帰依仏僧
〇戒律 
在家五戒(不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・不飲酒)
沙弥十戒(不殺生・不偸盗・ 不淫・不妄語・不飲酒・不塗飾香鬘・不歌舞観聴・不坐高広大牀・不非時食・不蓄金銀宝戒 )
僧 侶  二百五十戒
具足戒(波羅夷・僧残・不定・捨堕・波逸提・提舎尼・衆学・滅諍)
・三摩邪戒パーティモッカの戒律
六波羅密   
 布 施 . 忍 辱 .持 戒 .精 進 . 禅 定 .智 慧
〇三 宝 印
◆諸行は無常なり 一切の形成されたものは常ならざるものなり。
諸行無常    この世に存在するすべては、すがたも本質も常に変化生滅するものであり、一瞬といえども存在は同一性を保持することができないことをいう。
諸行とは一切のつくられたものの意であり、無常とは変化生滅しないものは存在できない世界(欲界・色界)であると説いている。
◆諸法は非我なり 一切の事物は我ならざるものなり。 
主体的な実体としての我は存在しない諸法非我(諸法無我
諸法非我の[法]とは[存在]という意味であり、[非我]とは[永遠に続くものはない]という意味であり、諸法非我とは「一切の存在は永続的なものではなく、仮のものである」ということ。「諸行無常」が、時間的流れのなかで一切のものが変転していくものであることが説かれ、「諸法非我」とは、空間的に一切のものは固定的な実体ではなく全ての存在は時空な中での暫定的な存在である」という思想なのです
一切は皆苦なり <一切皆苦 
一切の事物は空しく不満・不安定・苦により成り立つ。
「色は苦なり」「受想行識も苦なり」と説かれる。パーリ語聖典ではドゥッカ(dukkha)であり日本語の「苦しい」という意味だ
けではなく「不満」の意味も持つ。
大宇宙も生命も本質として空しく不安定で苦と不満のエネルギーにより存在している事を説いている。
 ◆ 涅槃は寂静なり 
〇自燈明と法燈明 
自らを燈明とし自らを拠り所とし他人を拠り所とはせず法を燈明とし法を拠り所とし他を拠り所とはせず己の信じた道を正しい方向へと進め
〇正信 と 妄信 
 伝説を鵜呑みにするな。教典をそのまま信じるな。伝統が全て正しいと思ってはならない。如何に論理的な言葉であろうと誰もが揃って支持しようと、例をあげて証明されようと、己の主観と合致していようと権威ある人の言葉であろうと、全てを安易に正しいと信じてはならない。
自ら確かめる事なく受け入れることを「妄信」という。本当の確証を得て信じることを「正信」という。
(世界を懐疑の目で眺め物事の本質を如実にしる事で無明が取り除かれる)
〇邪念 と 正念     
仮の姿を真実だと思い込んだり間違った観念や見解を抱いていると真理には到達できない。 「真理は真理、虚仮は虚仮と知る。」
〇三学 と 三毒 (気付きと三欲) 
三学(持戒・禅定・智慧)を修めよ。
三毒(貪欲・瞋恚・迷妄)を断ぜよ。
持戒 心に刺激が入り込まぬよう感覚器官を見張り、心を不安定にする行いを慎む
☆禅定 持戒により心を安定させ正しい精神集中により想念を一点に止め、雑念を芽生えさせない。                       
智慧 心は澄んだ水面の如く一切を映す。命の実相を見、大宇宙の法則を理解し全てを在るがままに受け入れる
〇三 毒 (貪瞋痴)(不善処)
★貪欲  
欲を貪り、欲により心の平静を乱す。
(肯定する欲望)
★瞋恚  
激しい怒り、怨み。(否定する欲望)
★痴愚  
迷妄や無明から生ずる迷いや妄念、愚痴しい行い。不満(生存欲)
◎自我への執着や偏見が無くなれば真理は依り明らかに見えてくる 智慧はおのずと啓かれる
◎快楽の中の修行の成果を味わい生きる事の素晴らしさを享受し、命の意味を覚る。 

智慧の修行は甘美なる果実を収穫する。」
◎八 正 道       
本質への正しい見解 
正見.正思.正業.正語.正命.正精進.正念.正定
正念に始まり正智に終わると言われるが、八道を同時進行的に修養してゆく
 参考
智慧の章 https://blogs.yahoo.co.jp/bhagavat_buddha/66120873.html
戒律の章 https://blogs.yahoo.co.jp/bhagavat_buddha/66121771.html
禅定の章 https://blogs.yahoo.co.jp/bhagavat_buddha/66122875.html
 〇十二縁起(因果律 
「此れ有れば 彼れ有り」
「此れ無くば 彼れ無し」
「此れ生ずれば 彼れ生ず」
「此れ滅すれば 彼れ滅す」
無明(妄念)⇒ 行(欲求の動機)⇒ 識(欲求の意識)⇒ 名入(選択)⇒六処(六根)⇒ 触(接触)⇒ 受(感受)⇒ 愛(愛憎・渇愛)⇒取(取捨)
⇒有(所有)⇒生(生の所有)⇒老死(老化虚無)    
◆十二縁起の順観・逆観  因縁因果
〇四 聖 諦      
苦諦  この世界は苦に満ちていると明らかに気付く。 
♢四苦八苦
生・老・病・死・愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦
集諦  
苦の原因が何んであるかに明らかに気付く
(煩悩により苦が発生することを明らかに気付く)  
滅諦 苦の原因を滅すれば苦も滅することに明らかに気付く
道諦 苦の滅を実現する道を明らかに気付く
苦を滅するには遍知・滅除・成就・修習・八正道」の五道を実践
☆「遍知」苦は知り尽くすべき
☆「滅除」苦の原因は滅すべき
☆「成就」苦の滅は実現すべき
☆「修習」苦の滅を実現する道は実践すべき
◆三転十二行相  
 十二縁起により、如実知見を得る。

(眼が生じ,知識が生じ,智慧が生じ,明知が生じ,光明が生じる。)
 ☆ 三転  
示・ 内容の確認⇒勧・どうすべきかの確認⇒ 証・了解・体得の確認
十二行相
【苦聖諦】   
苦聖諦とはこのようなものである。(示)
苦聖諦を完全に知るべきである。 (勧)
苦聖諦を既に完全に知り終えた。 (証)
【集聖諦】   
集聖諦とはこのようなものである。(示)
集聖諦を断ずべきである。       (勧)
集聖諦を既に断じ終えた。       (証)
【滅聖諦】     
滅聖諦とはこのようなものである。(示)
滅聖諦を目の当りに見るべきである(勧)
滅聖諦を既に目の当りに見終えた。(証)
【道聖諦】   
道聖諦とはこのようなものである。  (示)
道聖諦を繰り返し修すべきである   (勧)
道聖諦を繰り返し修し終えた。  (証) 
〇五  蘊 (五集合要素)
【色 蘊】色かたち、「私」を分析すると、色かたちが見つかる。名称と形態
 ルーパ   体とは常に変化生滅してゆき「私」という実体はない 
【受 蘊】感受作用 五官(眼鼻耳舌身)を観察すると苦と痛みが見つかる
ヴェ-ダナー  負担に感じる量の痛み・苦が消える事が、楽である。
【想 蘊】表象作用 五官により得た情報を確認・再確認・妄想ている。
サンニャー 「花だ」「猫だ」「私は医者だ」「あれは何だ?」 
【行 蘊】意志作用 何かをしたい・何かしなくてはという気持ちがある。
サンカーラ 前の状態から次の「何かしたい」という力が変化しながら流れてゆく。
【識 蘊】認識作用、識別作用
頭が知る事ではなく心が識ること。
 区別判断・好嫌
ヴィンニャーナ(心)  
命・生きている認識・心のはたらき
◎区別判断するための情報や価値基準を想蘊をつかって識蘊が識別.判断している。
 心(ヴィンニャーナ)が働く為に、受(ヴェ-ダナー)と想(サンニャー)が必要で、そこには必ず行(サンカーラ)が働く        
 〇四無量心           
(マイトリー)誰れ彼れの区別・差別ない慈しみと友愛の心 楽を与える
(カルナー )  他人の苦しみ悲しみへ同化する心  憐れみ  苦を抜く
(ムディター)他人の喜びに嫉妬することなく同慶を感じる心
(ウペクシャー)極端な感情の起伏を制御した拘りのない平静な心
〇構成要素 
五つの構成要素の集まり(五蘊)と六つの感官(六根)六つの認識対象(六境)とを合わせた十二の領域(十二処)
十二の領域に六つの認識作用を合わせた十八要素(十八界)
☆五 蘊 
<色蘊(肉体)受蘊(感受) 想蘊(表象) 行蘊 (意思)識蘊(認識・識別) >
☆六 根  
< 眼・耳・鼻・舌・身・意 > 
☆六境
< 色・声・香・味・触・法 >  
☆十二処 ( 六根と六境 )
☆十八界 六根と六境(十二処)に、感覚器官の六つの認識を加えたもの 
(眼界.耳界.鼻界.舌界.身界.意界)
(色界.声界.香界.味界.触界.法界)
(眼識界.耳識界.鼻識界.舌識界.身識界.意識界)
 〇重要修行項目
◎四 念 処   八正道の重要項目
1. 身念処  此処に身体において身体を観察して、正念正智して貪欲と憂いとを制御する。     呼吸の自覚
kaya  ⇒この身は不浄である 
2.受念処  此処に感受(楽・不苦不楽・苦)において感受を観察して正念正智して貪欲と憂いをと制御する。
感覚の自覚
vedana⇒感受するものは苦である。
 3.心念処  此処に心において心を観察して、正念正智して貪欲と憂いとを制御する。心の状態の自覚
citta⇒心は無常であり不安定である
4.法念処  此処に法において法を観察して正念正智して貪欲と憂いとを制御する   観念の自覚
dhamma⇒すべての事物は非我である
〇四 精 進 
1.今生じてない悪(貪瞋痴)が生じないよう注意深く精進する
2.既に生じた悪(貪瞋痴)をなくすよう注意深く精進する。
3.今生じていない善(戒定慧)を行うことを決意し精進する。
4.既に生じている善(戒定慧)を安定させ修習し完成を決意し精進する。
〇五根   
 <信根・精進根・念根・定根・慧根>
〇五力   
 <信力・精進力・念力・定力・慧力>
〇四 神 足   
 1.欲神足   欲求について意のまま集中し思念をもち実践する能力を修める
 2.勤神足 精進について意のまま集中し思念をもち実践する能力を修める
 3.心神足 思索について意のまま集中し思念をもち実践する能力を修める4.観神足 観察について意のまま集中し思念をもち実践する能力を修める「このように 私(釈迦尊)は四神足(瞑想法)が修練され豊かにされたときに、清浄で超人的な天眼をもって、もろもろの生存者が死に、また生まれるのを見た。即ち卑賤なるものと高貴なるもの、美しいものと醜いもの、幸福なものと不幸なもの、そして諸々の生存者がそれぞれの業に従っているのを明らかに知った。
 実にこれらの生存者は身に悪行を行い、言葉に悪行を行い、心に悪行を行い、もろもろの聖者をそしり、誤った見解を抱き、誤った見解にもとずく行為を行う。
 かれらは身体が破壊して死んだ後に悪しき所、堕ちた所、地獄に生まれた。また他のこれらの生存者は、身に善行を行い、言葉に善行を行い、心に善行を行い、諸々の聖者をそしらず、正しい見解に基づく行為を行う。
 かれらは身体が破壊して死んだ後に善い所、天の世界に生まれた。
 このように清浄で超人的な天眼をもって、諸々の生存者が死に.また生まれるのを見た。
すなわち卑賤なるものと高貴なるもの、美しいものと醜いもの、幸福なものと不幸なもの、そしてもろもろの生存者がそれぞれの業に従っているのを明らかに知った。」 
 ◎七覚支

覚りの完成への七つの法「七つの覚り(完全な智慧)と支(部品)」
1.念 覚 支  心を平らかで過去や将来にも捉われず、今という瞬 間へ気付き、今を観察する。 
⇒妄想が能力を蝕む。今の瞬間に気付き妄想をとめる。
2.択法覚支 教えの中から真実なるものを選び取り、偽りの教え を捨てる。     因果関係の発見
 ⇒気付きを充分に実践していると自動的に「こうだから、こうなっている。」というような情報を依り明確に見て 分析する能力が現われてくる。
 3.精進覚支 一心に精進し気付き分別能力を高め、因果関係の理解に精進する。
 ⇒気付き分別能力が身に備わると、やる気が増して因果関係の理解に精進できる。
 4.喜 覚 支 真実の教えを実行する喜び、因果関係の理解の喜びに住する。
 ⇒葛藤や誘惑に打ち克ち精進してゆくと大楽が現れてくる
 因果関係が如実に理解でき本質が見えてくる
 5.軽安覚支 喜覚支が充分に深まってくると心が宇宙空間に居るかの如く軽やかになる
 ⇒心を自縛する不善処(貪欲・怒り・痴愚・渇愛・執着・怠け・疑)などの重石なくなった状態である
 6.定 覚 支 禅定な状態であり心が集中、統一された状態となる。
 サマーディ(禅定)
 ⇒普通の人の識る世界は、五官から入ってくる情報に限られていて、そこから入った情報を「意」で捏造して妄想している。そして
 妄想 により達した結論を真理であり事実であると誤解し主観を形成。
 正しい実践によりサマーディに達すれば五感の次元を超越し普通の人々には知りえない情報を識ることが出来る。
 この能力を「神 通」という。
 7.捨 覚 支  対象への捉われを捨て気付きや因果法則を観る能力が具わり寂静を得る解脱へと至る。
 ⇒気付きが修養され因果法則を如実に観ることができ努力精進し、心を統一し安定させる能力が具わり、極限の冷静と寂静を得たれば捨覚支 へと進み「解脱」する。
 ☆世界は無常・苦・非我であると極限的な冷静をもって観察し明智する。
 ☆サマーディも因縁によって生起してものであり因縁が変われば消えてしまうものである
 ☆どんな楽であっても、所詮は執着する必要のない無常な現象にすぎない。
 〇禅定 
禅 初禅⇔第二禅⇔第三禅⇔第四禅 
定 空無辺処定⇔識無辺処定⇔無所有処定⇔非想非非想定
 ☆ 入境(トランス状態に入る) 
 梵(ブラフマナ)  想受滅     
 ☆梵天界(真理)へ座す。
<全ては一息の内にあり。>
 ◆禅(徹底思惟)⇒定(思惟停止・止観)⇒梵(トランス状態)⇒定(無念無想)⇒禅(正念正智)⇒解脱
 ◆大悟への瞑想
 徹底思惟の瞑想 
 (禅)止観 無念無想
 精神統一の瞑想
 (定)観照 気付きの瞑想     
 ヴィッパサナー瞑想
 平安の瞑想⇔開放の瞑想⇔歓喜の瞑想⇔感謝の瞑想⇔慈悲の瞑想⇔無所有の瞑想⇔明知の瞑想
 
 ★四つの条件を揃え、五つの蓋を超えると正しい禅定となり四つの心三昧が現われる
 第一の初禅とは、思いが在り考えがあり欲を捨てて生じる。歓喜を体験し無欲の歓喜で満たされる。
 第二の禅とは、思いがなく考えがなく想を捨てて生じる。歓喜を体験し無想の歓喜で満たされる。
 第三の禅とは正念があり正智がある喜を捨てて生じる。大楽を体験し無喜の大楽で満たされる。
 第四の禅とは大楽がなく清浄がある楽を捨てて生じる。空性を体験し無楽の空性で満たされる。
 ★定は.釈迦牟二(シャキムニ)の瞑想法である
 しかし大悟して解脱し涅槃に成道させるのは[高度な瞑想]ではなく[智慧と叡智]である事を忘れてはならない。   
 ◎如実知見とは「在りのままに見て、在りのままに知る」 
 
〇八つの解脱    
 1.初  禅 内心において「物質的なもの」という想いの者が、 外において物質的なものを見る。       
 2.第二禅  内心において「物質ならざるもの」という想いの者が、外において物質的なものを見る。     
 3.第三禅  己とは不浄なものであり世界とは清浄なるものであると覚る 
 4.第四禅 「物質的なもの」という想いを超越、し抵抗感を消滅 し「別のもの」という想いを起こさず.個々に存在するのではなく全て無辺なる虚空」であると観じ、空無辺処に達する。 
 5.空無辺処定 全てが法と真理のもとにあり」と観じ、識無辺処 に達する
 6.識無辺処定 全てが無辺なる識であり虚空を分断するは無辺なる識であると観じ、無所有処に達する。   
 7.無所有処定 在るのはただ想いだけであり「想いが虚空と一体 化した」と観じ、非想非非想処に達する。            
 8.非想非非想定 想いが在るでもなし無いでもない境地。その境地を超越し「表象も感受も消滅する境地」 
 9.滅想受定(トランス状態)に達する。
 内々観 
 Transcend 無意識層に安定 
 
〇五  蓋 瞑想を妨げる五つの条件
 1.貪欲蓋 2.瞋恚蓋 3.昏眠蓋 4.掉悔蓋 5.愚痴蓋
 〇十結と四向四果   
 ★五下分結 (人を欲界に結びつける五つの煩悩)           
 ★四向四果 
 1.有身見   我という不変な存在が有るという誤った見解    
 ☆欲界→感覚で認知できる世界 

☆色界→物質的条件として認知できる世界
 2.疑 惑   何が真実か判らない状態 無知の状態       
  ☆無色界→欲望も物質的条件も超越し精神作用だけの世界・禅定に住まう。
 3.戒禁取見 拘り仕来りや苦行などに色々な事に捉われた状態  
 ☆1.2.3(三結)を完全に断滅すると[預流果]を得る。
 須陀含(シュダオン)
 4.欲 貪   激しい欲、欲情   

☆4.5が薄くなると[一来果]を得る。 
 斯陀含(シュダゴン
 5.瞋 恚   激しい怒り    
 ☆4.5を完全に断滅すると[不還果]を得る
 阿那含(アナゴン)
 ★五上分結(人を色界・無色界に結びつける五つの煩悩)
 1.色 貪  色界に対する執着、意識界の禅定への執着
 2.無色貪  無色界に対する執着、無意識界の禅定への執着
 3.掉 挙 私は到達したという意識界・無意識界の微妙な高揚
 4.我 慢 私は成したという慢心、意識・無意識界の微妙な慢心
 5.無 明  最後まで僅かに残っている根本的な無知       
 ☆五上分結を完全に断滅すると[阿羅漢果]を得る。
 応 供(アラハット)
 ★応供に到達し叡智の顕現により大悟を得て成道を果たし無上正等覚者・如来(athagataタターガタ―)となる
 【四向四果】
 預 流  
 涅槃に暮らし、唯、時空に身を預け、流れ行く。 預流に向かい、預流の果を得る
 一 来   
 涅槃に暮らし、時空を超越し、戻りもしたる境地。 一来に向かい、一来の果を得る。
 不 還   
 時空を超越し、世界を俯瞰する者なり不還に向かい、不還の果を得る。
 阿羅漢  
 現世に在り、現世になし(空観)  
 阿羅漢に向かい、阿羅漢の果を得る。
 
〇梵我一如の六態
 第一態  閉眼、座禅定。止観・正念正智による空境への入境
 ⇒沈思により梵天界(色界)への入境⇒滅想受により無色界へ入境
 第二態  半眼、座禅定。止観・正念正智による空境への入境
 ⇒沈思により梵天界(色界)への入境⇒滅想受により無色界へ入境
 第三態  開眼、座禅定。止観・正念正智による空境への入境
 ⇒沈思により梵天界(色界)への入境⇒滅想受により無色界へ入境
 第四態  閉眼、立禅定。止観・正念正智による空境への入境
 ⇒沈思により梵天界(色界)への入境⇒滅想受により無色界へ入境
 第五態  半眼、立禅定。止観・正念正智による空境への入境
 ⇒沈思により梵天界(色界)への入境⇒滅想受により無色界へ入境
 第六態  開眼、立禅定。止観・正念正智による空境への入境
 ⇒沈思により梵天界(色界)への入境⇒滅想受により無色界へ入境
 
六神通

六種の神通力・観自在な境地・通常の次元を超えた深い洞察力 
 
神足通(iddhi-vidha-ñāṇa)機に応じて自在に身を現し、思うままに山海を移動し得るなどの通力
 ■天耳通(dibba-sota-ñāṇa)ふつう聞こえる事のない遠くの音を聞いたりする超人的な耳
 ■他心通(ceto-pariya-ñāṇa)他人の心を知る力
 ■宿命通(pubbe-nivāsānussati-ñāṇa))自分の過去世(前世)を知る力
 ■天眼通(dibba-cakkhu-ñāṇa)
 
死生智(Cutūpapāta-ñāṇa))一切衆生の過去世(前世)を知る力
 ■漏尽通(āsavakkhaya-ñāṇa)自分の煩悩が尽きて、今生を最後に生まれ変わることはなくなったと知る力

如来の法力 〈神通自在〉

如来を侮るならば、社会は.災厄を招き、混乱は続き、衰退し.滅亡へと向かう…

此れ天地自然の理法なり…

因果応報 因縁起果報

邪なものを棄て去って、真の如来を尊ぶ者は救われる

此れ天地自然の理法なり…

因果応報 因縁起果報


如何なる不運・問題・災厄・悪因縁・業病から真に救う事のできる如来の法力 

 

感謝のお便り 

(数多くの頂戴した感謝の便りの一部を掲載)
 ■心の悩み                        
 愛知県蒲郡市 幸田(女性)
 
私は3年も付き合っていた彼にある日突然に別れてくれと言われ何が何だかわからなくなり頭の中が真っ白になってしまいました。
 それからというもの仕事をしても手に付かず街の中を彼の姿を探してしまい情緒も不安定になっていました。
 それから暫くして風の便りで彼が結婚したことを知りました。私はショックのあまりいっそ死んでしまおうかと考えたりして死ぬことに憑りつかれたようになっていた時、如来品正師のブログに偶然に巡り合い[]死随観]というページに心を癒され思い切って如来品正師多々方様にメイルさせて頂きました。
 優しく心のこもった返信を頂き、私の前世の事や運命の事や今の私の状態と本当の自分を取り戻す方法を指導して頂き、前世の業と運命の障害を取り除く法力をお願いしました。
 今ではやさしい主人と巡り合い二人の子供にも恵まれとても幸せな日々を送らせていただいています。
 もし如来品正師様と巡り会う事ができなかったら、あの時に一歩踏み出せなかったらと思うと、幾ら感謝しても感謝しきれません。本当に有難うございました。
 
業 病(悪性腫瘍・癌)           
 山梨県甲府市 若杉(男性)
 
五年前、念願だった新築住宅を購入し家族三人で暮らし始めた頃に何故かそれまで一度も経験したことのない体の痛み(特に下腹から尾骶骨)と漠然とした不安感で夜も眠れない日々が続きました。
 思い切って病院で検査すると大腸癌と膵臓にも転移しているので手術ではなく薬物療法で経過をみると言われ癌薬による治療をしていたのですが癌は肥大化してゆき体は明らかに衰えてゆき、内心では「死」を覚悟したのですが残される家族を思うと居ても立ってもいられない気持ちでした。
 そんな時に友人から私のような病人を救ったという如来品正師(如来)の話を聞き、藁にも縋る想いで連絡させて頂きました。
 とても心のこもった対応をして頂き、私の前世のことや.運命のこと.私の今の状態(因果律に遵った縁起).正常な状態へ戻す道(方法)などを教えられ、早速、前世の業と運命の障害を取り除く法力で救って下さるよう懇願いたしました。
 本当に不思議なのですが半ば諦めかけていた癌がその後、お医者様が驚く位に癌は小さくなってゆき.転移していた腫瘍もいつの間にか消滅していました。
 癌薬の効果だという人もいるでしょうが私より軽度の患者さんでも死んでしまう事も数多くある現実を考えると、私は法力で救って頂いたと心から感謝しています。
 今では家族そろっての幸せを取り戻すことができ、皆、元気に暮らして居ります。
 多々方.如来品正師様、有難うございまた。
 
パニック障害統合失調症          
 東京 赤羽 阿部(女性)
 
多々方様にご指導頂ける仏縁に恵まれ、専門医からも見放された精神障害から完全に回復する事が出来、平安で幸せな日々を取り戻す事が出来ました。本当に有難う御座います。
 
躁鬱病                                  
 三重県 松坂市 笠原(女性)
 
私も重度の躁鬱病を患い、医者からも匙を投げられ安定剤や眠剤とか大量の薬漬けにされて居ましたが幸いにも多々方如来品正師に巡り合う事ができ教えに従い努力し社会復帰することができました。命の恩人とさえ言えるお方だと心より感謝申し上げます。
 
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   如来品正師  多々方 路傍石
  Eメイル  bongteng@live.com