苦楽一如・大楽と小楽

【苦楽一如】
◆苦楽は一如なりて苦楽とは感覚の分別なり
苦を前提条件に楽は在り、楽を前提条件に苦は在る。(楽は苦の種 苦は楽の種)
苦と感じるのも、楽と感じるのも、同じ物事を違う方向から捉えているだけであり、人間の本質は「苦と痛み」により成り立っている。それを楽しいとか快いと感じるのも苦しい不満と感じるのも、その負担の量が多いか少ないか次第であり、その状態の負担量が増してゆくと苦や不満や痛みだと感じているのである。「苦は苦として単独に存在するのではなく、楽は楽として単独に存在するのでもない。」「苦を前提にして楽は在り、楽を前提にして苦は在るのである。」「苦とは楽という姿をとって現れ、新しい内は楽として振舞うが、やがては苦へと帰り着く本性のものである。」人は苦から不満を生じさせる、しかし人はこの苦と不満を活力として生きている。「人は苦しいから息を吸い、そして苦しいから吐く。」「人は空腹で苦しいから飯を食べ、そして苦しいから排泄する。」「人は疲れて苦しいから眠り、そして苦しいから起きる。」「人は苦しいから動き回り、そして苦しいから休む」そして苦から遁れようとして欲するのである。世間では「欲を減らせば苦も減ってゆく」と言われるが現実社会に於いては出来ない相談に近く、実際は「欲を減らせば不満は募り、苦を生ずる。」のであって、「苦を減らせば欲も減ってゆく。」のである。「苦」を制御するには、今に気付き「苦」に向き合い「苦」の正体を見破れば「苦」は「苦」とは感じないのである。「苦」とは物事を「苦」と感じた時からが「苦」なのであり「苦」と感じない時は「苦」ではないのである。「気苦労は楽しみなり。」
◆人は常に何かしらの行為をしないでは居られない(本能にさせられている存在)
◆人は常に何かしら考えずには居られない(本能に考えさせられている存在)それが煩悩(不善処)に主導されると妄想を繰り返し、繰り返しながら苦と不満を積もらせてゆくのである。本来、本能は煩悩(不善処)を欲しているのである。否、煩悩こそが本能であり「生存の素因」なのである。そんな煩悩により生ずる感情(五官の刺激に応じて)に主導されると妄想を繰り返し、繰り返しながら苦と不満を積もらせて行くのである。そんな煩悩(感情)を制御してゆく「理性」こそが、人間に特別に与えられた神仏へと通じ、人間の質(クオリティ)を貴めてゆく心処なのである。
【大楽と小楽】
つまらぬ感覚的快楽を捨てる事により、広大なる悦楽を見る事が出来るのであるならば、心ある人は広大なる悦楽を望み、つまらぬ感覚的快楽を捨てよ  dp.290
如来広大の恩徳
小楽とは欲望の短命なる歓喜であり、大楽とは生命存在の堅固なる歓喜である。(二種の歓喜)
本当の生きる目的と、手段の違いが判らないから生命存在の歓喜がないのだよ。
本当の人生の目的を識り、それを達成したとき一切の苦労は報われその流した涙の一滴一滴が真珠の玉となって戻ってくるだろう。
小楽とは[楽]という姿形をとって現れた苦の化体である。
短命な小楽はやがて苦という本質の姿形を現わすもの
所有の次元の事物により得られる安楽や快楽は一時的なものでしかなく、その感覚に魅入られると煩悩は所有の次元の事物の所有を欲し執着し要求するが、その欲求を一時的に満たしても更なる要求をしてくるだけでどこにも平安は得られず、煩悩の要求に従って欲望を満たす事によっては本当の幸せにはなれない。
所有の次元とは客体(手段としての価値)の次元であり、存在の次元とは主体(目的としての価値)の次元であり、主客が逆転すると存在は不安定化し本質的なドゥッカ(苦や心痛)は生起する。存在の価値が安定化へと向かわせる。不安定な所有の次元の事物を依り処(精神的支柱)とせず、存在としての価値を高め.磨く。全てを捨て去り離れて眺めれば真の自分の存在の次元に於ける価値が見えてくるのです。
客体(手段)である[所有の次元の事物]が客体(手段)として在る間はドゥッカ(苦や不満)は生じないが主体(目的)と錯覚.妄想して執着して依存(依り処)とする時、ドゥッカ(苦や不満)となって現れる。
★スッタニパータより
五感官により感受する五境と意による想念により、考えられるもの好ましく愛すべく意に適うもの。
それらは神々ならびに世人には安楽(小楽)であると認識され又それらが滅する時には、それらが苦しみであると認識する。
しかし我執する所有や感覚を放下する事が安楽(大楽)であると眼ある者や如来は観る。
正見する者の考えは一切の世人とは正反対でもある。
世人が安楽(小楽)であると称するものを目ある者や如来は苦しみである事を識り、世人が苦しみであると称するものを目ある者や如来は安楽(大楽)であると識る。
この解き難き真理(真実)を見よ、無明なる者達はここに迷っている

【苦楽中道】
たとえば、厳しい苦行やそれと反対の快楽主義に走ることなく、目的にかなった適正な偏らない修行方法をとる事などが中道なのです。
釈迦は、6年間(一説には7年間)に亙る厳しい苦行の末、いくら厳しい苦行をしても、これでは悟りを得ることができないとして苦行を捨てた。これを中道を覚ったという。釈迦は、苦行を捨て断食も止めて中道にもとづく修行に励み、ついに目覚めた人(仏陀)となった。
釈迦尊鹿野苑において五比丘に対して初めての説法を行った際にも(初転法輪)、この「苦楽中道」を四諦・八正道に先んじて真っ先に述べたことが、パーリ語経典相応部の経典などに描かれています…      
「比丘たちよ、出家した者はこの2つの極端に近づいてはならない。第1に様々な対象に向かって愛欲快楽を求めること。これは低劣で卑しく世俗的な業であり、尊い道を求める者のすることではない。第2に自らの肉体的消耗を追い求めること。これは苦しく、尊い道を求める真の目的にかなわない。
比丘たちよ、私はそれら両極端を避けた中道をはっきりと悟った。これは人の眼を開き、理解を生じさせ、心の静けさ、優れた智慧、正しい悟り、涅槃のために役立つものである。」
初期仏教教団において、釈迦の直弟子の一人であった提婆達多は、僧団の戒律をより禁欲的・苦行的性格が強いものへと変更するよう釈迦に求めた(「五事の戒律」)が、釈迦はこれを拒否しました…そのため提婆達多は独自の教団を創設し、仏教教団を出て行くことになったのです。