所有の次元

人は皆、幸せになりたい.幸せでいたい.と懸命に生きているのです…そして自分を幸せにしてくれるのではないかと錯覚して、[所有の次元の事物]への欲望に血眼になっているのです…
しかし[所有の次元の事物]の.お金も.財産も.持ち物も.地位も.名誉も.権威も.権力も.家族も.伴侶も.子供も.健康も.寿命も.他人の評価や承認も、決して目的物などではないにせよ、幸せになるため.幸せで在るため、便宜的に必要な手段(アイテム)の一つであり、大切な付随物にですから…上手に用いれば幸せにもするし、下手に用いれば不幸にもするものなのですから…


お金持ちになって.幸せになるのも喜ばしい事ですし、王様になって幸せになるのも喜ばしい事なのですが、果たしてお金持ちになって本当に幸せになれたのでしょうか?…絵本の中の王様ではなく.現実社会の王様になって果たして本当に幸せになれるのでしょうか?…
理解しやすいお金や財産について言えば、無ければ無いで、楽しく生きてるような人ならば.有れば有ったで楽しく生きる事もできるでしょうが、無ければ無いで苦しんで生きているような人は、有れば有ったでやはり苦しんで生きているものなのです…
何故ならば、所有の次元の事物は多種多様で世の中の幸せになる為のアイテムなるものは、お金で贖えるものばかりではなく、寧ろお金持ちになって失なうもののほうが多いとさえ言えるのではないでしょうか…

必要以上に有れば有ったで、失なったり.減らしたりする事を心配したり心.貧しく吝嗇になったり、もっともっと有る人は.騙し取られたり.盗まれたりする恐怖に苛まれ疑心暗鬼になる事もあるでしょうし、しかも金財では無常な本質のものしか贖えないのですから…所有によって却って.争いを招いたり.劣化や毀損を心配したり憂いたりと.無ければ蒔かないだろう.苦しみの種を蒔いてもいるのですから…


幸福(しあわせ)の三要素にも書きましたが、お金とか財産とかの[所有の次元の事物]とは[三階部分]の幸せ要素であり、心を形成する[一階部分]の存在の次元の精神性や人格とか、[二階部分]の社会や他の生命との絆や関係性の上に構築されるものであり、建物と同じで[一階.二階部分]が堅固で安定していない[三階部分]ばかりが重たく歪つな建物は不安定で崩壊の危険さえ孕み.ドゥッカ(苦.心痛.恐怖.空しさ.不満.憂い…)に翻弄されながら生きることともなり.安定的で堅固な幸福(しあわせ)を得ることは出来ないのです…

●幸福(しあわせ)の三要素https://lineblog.me/bongteng/archives/2235385.html
①お金は万能?


お金がどんな事でも、解決できる万能な魔法の杖であったなら、実に羨ましいことかもしれませんが、残念なから金財万能主義はその人から

大切なものを奪い去るのです…

例えば他人を自分への利得で判断しがちとなり、その為に人に裏切られたり騙されたりする.

人の行為や人情に頼る必要がなくなると、人は傲慢になりがちで、他人への思い遣りや労りの心を忘れ、金財に富むに従い貧しい心となってゆくのです…

お金を得ようとして成長する人も居る反面、お金に魅入らて餓鬼心.地獄心へと堕落してしまう人も多く、お金が有り過ぎて不幸になる人も結構多いのです...

ですからこれだけ恵まれた社会に暮らしながら世界幸福度調査でも.街を歩く人々の表情からも、世を儚んで自殺する若者の多さからも、お金や財産が有ろうが無かろうが.幸福に暮らしている人は決して多いとは言えず、寧ろ.自分勝手な正義感を振りかざしたり.虐めや嫉妬や不満や怒りが満ち溢れているのも、心の一階部分(存在の次元)そして二階部分(社会や他との絆や関係性)が育成されていない未熟な人間が多いからなのではないでしょうか…

②恐 怖

お金が減る恐怖

お金を失なう恐怖

お金を盗まれる恐怖

お金持ちに吝嗇な人が多いのも、お金持ちを本当には楽しめない.この三大恐怖に疑心暗鬼な餓鬼心に苛まれるからなのです.

いい意味の倹約家と物惜しみとは似て非なるものであり、心の三要素との関係性により幸せと苦しみの真逆な道を辿るのですから…

③家系の断滅

[積善の家は栄え、積不善の家は滅びる]と言われるように、家訓を持つような家柄を除き、成金家などに多く見られるように、経済環境や教育環境に恵まれて育っても、立派な大人を育成する反面、怠惰で虚栄心ばかりが強い大人を育成する結果となり、家系を危うくしたりします…

 

自分の力量でお金持ちになった人たちは、辛酸や苦労も舐めてきているもので自分を律する術も心得てもいるものですが、子供や孫たちの事となると.お金の苦労を知っているだけに兎角、甘くなりがちで、甘やかされて育った子供が自立心の薄弱な録でなしとなるのは自明の理なのですから…

[鉄は熱い内に打て]と言われるように、厳しく躾けるべき幼少期に甘やかしてしまって、長ずるに従って厳しく接しても.曲がった性根を更に歪めさせるだけなのですから…

子供にお金を与えてお金の力を覚えさせるのはある意味、丁半博打のような賭けでもあり、裏目に出れば身上を潰すような放蕩者を造り出したりするのです…

どれ程の金財を遺しても後継に恵まれなければ、家系は三代と続かずひ滅亡することが多いのですから…


④清貧とは.

知足(足るを知る)とは、今あるもので我慢するという意味ではなく、不必要な負担を背負わない幸せの上に.本当に必要なものは既に在るという無一物の軽安さと余計なものがない悦楽に満ち足りた状態を言うように、清貧も、清く貧しく[清貧]であるには、一階部分の精神性.人格.器量.境地が育成されていなければ実現することは出来ません、清貧とは唯、貧しさに甘んじて文句を言わずに暮らすことではなく、本心では金財へ執着したまま清貧を気取るのでは負け惜しみのようでもあり.悲しすぎますし、その積み上がった不満を何処かで暴発させてしまう危険さえ孕んでいるものなのですから…