トレジャー.ハンティング

仏教とは[トレジャー.ハンティング]…つまりは土中に埋もれてる本物の黄金、大粒ダイヤモンドの原石を探しだす財宝探しだと思うんですよね…従って仏教徒とは[トレジャーハンター]なんですネ…
でも本当の目的は、その先に在るんですけれどね…
人は皆んな.心の奥底に[本物の幸福(しあわせ)]という黄金が埋もれているのです…そしてそれを発見する為に必要なアイテムも能力も具しているのです…
しかし大抵の人は目の前を行き交う.耳目に入り易い物事や.感覚や感情に掛かる刺激や.人様の心を取り込んでやろうと作為的に張り巡らされた知識.情報.プロパガンダに踊らされ.直ぐに色あせたり.剥がれたりしてしまう金メッキを施された.本当はガラクタに過ぎない物質や所有の次元の事物に対し、自分を幸福(しあわせ)にしてくれる物だと錯覚し.魅了され.幻惑され、本物の埋もれた黄金を掘り起こすこともなく.本当の幸福(しあわせ)に気付かないまま、折角の人間の一生を終えてしまうのです…この真に満たされる事もなく.欲望と執着に煽られる無明こそが輪廻の激流を繰り返してゆく因縁でもあるのです…
己れの愚を知るが賢者なり…
人を錯覚に陥れるフィクションとは絵空事(プラパンチャ・戯れ言.空論.迷妄…)なものであり.人はそんな不可思議.神秘.興味をそそる物事に惹きつけられるもの…しかし事実は小説より奇なり(Truth is stranger than fiction)と言われるように、真理は目の前には現れず埋もれていて、安易に受け入れ難く.理解し難く.不思議にも思えるものなのですから…
だから世間では自分の利得の為に[金儲けの秘訣]とか[幸せになる極意]とか宣っているもので溢れ返って居ますが、もし本当の[金儲けの秘訣]なら他人に教えたりせず自分の利得の為に秘密に稼ぐでしょう…何しろ欲望は底なし沼のように深いのですから…また本当に[幸せになる極意]を知っているならば.幸せを分かち合おうとする筈で、吝嗇(もの惜しみ)や自利の追求とは.自身の怒りと不満によって為されるものなのですから…
先ず世間と言うものは、真実や事実を素直に受け入れ.認める性質を有してはいない…
世間というものは偏ったバイアスが掛かっていて、伝統的な物ごと.思い込み.先入観.権威.既成概念.迷信.文化的価値観…)などが優先され、人々に事実.真実を理解させる事は.ひどく骨の折れる作業を伴うものであり、その上に人は[自分の考えや見解は正しい]という自己暗示.思い込み.欲目に支えられていて、自分を基準とした尺度でしか物事を見ようとしないのだから…
自分が.無明の闇の中を盲目的に彷徨っているとは思っても居ないし、単なる現象的な感覚.感情.主観に従って手探りで生きていると自覚さえしていない…
だから、信じるとか信じないといった不毛な見解に捉われ、目の前の金メッキが施された物質や所有の次元の事物に振り回され、物質や所有の次元の事物の奴隷となり、物質や所有の次元の事物に魅了されながら、短命で空しい.少しの快感喜び幸福(しあわせ)と引き換えに、大きなドゥッカ(不安定さ.不完全さ.苦しみ.悩み.心痛.憂い.恐怖.哀しさ.飽き.迷い.悔い.不満.弱さ.脆さ.儚さ.虚しさ.実質のなさ.惨めさ.無明さ.無常さ.欲望…)に翻弄されながら.
自分の奥底の本物の黄金(本当の幸せ)を掘り起こすこともなく.埋もれてさせたまま.出会えぬままに人の身を潰えさせてしまうのです…
〈グリコのオマケ〉
■報酬
悪癖から脱出するためには、
悪癖から受け取る報酬より、真理に沿った生き方により受け取る報酬のほうが如何に大きく堅固であるか納得しなければ.人は中々.精進することが出来ないもの…
■金が天からいくら降ってこようと欲望か満たされることなどない…
智者は知っている。欲の追究の果てに得られる快楽は少なく、苦悩は多大であることを…
身心の一切をコントロールできることが最高の善である。自制は善である。
■<二つの道>
俗世の利益を求めるのも一つの道、また永遠の寂静に向かうのも一つの道。
人の選ぶ道は.このどちらかしかない。
前者は欲望の充足を目指し[所有の次元の事物]へと向かう道.後者は心の充足を目指し[存在の次元]へと向かう道…
前者をめざす人多し、後者をめざす人少なし。
祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、 盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者もつひにはほろびぬ、ひとへに風 の前の塵に同じ。