欲望の充足.心の充足

世俗の人が喜びだと言うものを.真理を見透した如来は苦しみと言う…
世俗の人が苦しみだと見るものを.真理を見透した如来は喜びと言う…
どちらも.充足(満足.喜び)を求めてゆく道なのに[心の充足]と[欲望の充足]とは.実は真逆の方向の道であり.しかも[心の充足]は無明の闇を晴らしてゆくと現れる堅固な実相なのですが.[欲望の充足]は永遠に到達できない夢の国なのですから…

人は誰もが充足を求めて生きています…この求めている充足とは.言い換えれば幸せ.満足.喜び.安らぎ.安定…など[スカ]への欲望ですから.通常はドゥッカ(不安定.不完全.不満.苦.悩み.心痛.迷い.悔い.憂い.哀しさ.儚さ.弱さ.脆さ.虚しさ.無常さ.無明さ.欲望…)の中を懸命に生きているのです…

そして皆.この充足[スカ]を求めて懸命に生きているのですが、でも本当は.どうすれば良いのか…何処へ向かえば良いのか.充足とは本当は何なのかさえ解らずに、兎に角ひたすら[充足]を求めて彷徨っていると言えるのです…
つまりは人々は無明(本質的無知)に生まれついているから.それに気付かず.自覚もせず.煩悩の欲望(悪魔の支配する領域)に従って、世間の自分自身は不満と不平の中を暮らしながら[これが充足だ][これが満足を与えてくれるものだ][これが生きる目的だ][こうなるのが幸せ.満足だ]と勘違いしている人達の言う事を信じこんで、便宜的で無常な本質的価値しか有さない付随物に過ぎない[所有の次元の事物(金.財産.物欲.地位.名誉.称号.権力.勢力.承認.異性.家族.健康.寿命…)]への[欲望の充足]へと向かい.そして挙げ句は翻弄されて.僅かな充足と引き換えに.大きな苦(ドゥッカ)の中を生きる事となるのです…
それは悪魔の支配する領域のものである[欲望の充足]を達成する事など有り得ない事に気付けないからに他ならないからなのです…
[欲望の要求に幾ら応えた処で、欲望は更らなる要求をしてくるだけ…天から湯水の如く金財が降ってこようが、世界中の富を独占しようが更なる欲望の炎で身を焦がし続けるだけであり…決して満たされる事などないのだから、逆にそれを抑制してやり.煩悩の要求に惑わされず.応えずに.逆に抑制して、真の必要性に基づいた[心の充足]を図ってゆけば心は次第に澄み渡り、欲望で波打っていた心の湖面は鏡面の如く真理と叡智を映し出す…堅固なる大楽.幸福.歓び.悦楽.安らぎ.静逸の顕現である…


◆我が身は一つ
避暑地にでも住んで.のんびり生きるのも一つの生き方…享楽に浸かって刺激的に生きるのも一つの生き方…人を集めて面白可笑しく生きるのも一つの生き方…色んな生き方があるのだろう…しかしそんな生き方の中に.生き甲斐を見い出し顕貴(ときめ)いて生きれるのは一週間か一ヶ月ぐらいが精々で.飽きや麻痺や実質の無さなどにより生き甲斐にも疑問を懐き苦(ドゥッカ)へと返り付くことだろう…だってそんな発想の根底は自我意識に他ならないのです…仏弟子としての自覚が[もっと生き甲斐のある生き方をしたい]と心の中で訴えかけてくる…生憎と身体は一つ、あっちにもこっちにも生きる事など出来ないのですから…
実存的な自我意識(私.自分.エゴ)→魂.霊魂.霊体という実体的.主宰的な存在への妄想.錯覚に誑かされている内は[心の充足]など得られず、[欲望の充足]へと向かい決して満たされる事なく苦(ドゥッカ)の中を生きる事となるのです…
世の人達は.その裏に潜む妄迷な[魂論]に気付くこともなく[我れ思う故に我れ在り]という観念に毒され信じ込んでいますが、それらは仏弟子の一人ではないかとさえ思える偉大なるショーペンハウエルの言う明解なシャカニズム思想とも重なる[世界を表象とみなして、その根底にはたらく〈盲目的な生存意志〉…この意志の故にに経験的な事象はすべて非合理であり.この世界は最悪となってゆく、人間生活においては意志は絶えず他の意志によって阻まれ、生は同時に苦を意味し、この苦を免れるにはこの盲目的な意志の諦観・絶滅以外にない]と説いているように、生存の意志(存在欲)に主導され.存在欲の最大の欲望である心的実存性への渇望が自我意識を形成し、その充足の為に欲望の充足へと向かわせているのですから…
◆心は三階建て
1階部分(本体) 存在の次元
精神性.人格.人柄..許容.包容力.心身の調和による安定した心など…
智慧(叡智).洞察力.理解力などにより[心の充足]を生じさせる
2階部分 絆、関係性、距離感
他人や生命との適度な絆.関係性.距離感などによって[心の安定性.心の充足]を生じさせる
3階部分 所有の次元の事物
金.財.物欲.地位.名誉.権威.権力.承認.健康.長寿.見栄え…決して満たされる事のない無常な所有の次元の事物への欲望[欲望の充足]所有の次元の事物への少欲と足るを知る心だけが.心の充足をもたらすのです…
★心の1階部分(存在の次元)が育成されれば
苦(ドゥッカ)を伴う無常な2階.3階部分が僅かであったとしても堅固な心の充足は得られるのです、逆に1階部分が不安定で3階部分が重ければ重いほど1階部分が歪むのです…
◆心の充足へのヒント
①今ある幸せに気付く
諸行無常
全ては.移ろいゆく世界と移ろいゆく自分との、因果律(縁起)に遵った関係性の上での暫定的な出来事(現象)であり、天地自然.物事.他の生命のお陰様で存在しているのであって.他から独立した単体では生きて行けない存在なのです…感謝
諸行無常

自我意識(エゴ)から離れる

一切皆苦
苦(ドゥッカ)のエネルギーに生かされている…
苦がなければ、楽も生じない…苦楽一如
⑤主観(感覚的.感情的.自我的)(貪瞋痴思考)から離れる
客観的な思考(戒定慧思考)を育成してゆく…
⑥無明(本質的無知)の闇を晴らしてゆく
⑦功徳を積む
⑧心の貧しさ(吝嗇)に陥らない
⑨妄迷な軛(くびき)から解放されてゆく
⑩路傍の如来を讃える…冗談😂
精神の向上、心身の調和を図ることなく唯、欲望のままに名利や財貨を追い求め享受していては内なる健全さと心の安定は永遠に得られないだろう…

人は自ら進んで内面に向き合い[心の充実]と[精神の向上]を図るべきなのです…
それは心の調和と安定や精神性を開発.向上することによって.もたらされる愉悦が如何に甘美で堅固な美味なものなのか、それは語るものではなく奥深く味わうものなのです…