幸せとは…

如来は路傍の幸せ売り…
[麗らかな春の日差しに照らされて    歩くが如き 歓びの日々]
      路傍の如来 多々方路傍石
「愚か者は.幸福を願い求めながら、いつも幸福を取り逃がす…」
[人の身に生まれるのは難しく…
今.命あるは有りがたし…
正しい法を聴くのは難しく…
如来の出現は有りがたし…
人間として生まれることは尊く、今.生きている事はもっと尊い、真理を聴き.如来に出会えるのは.更に得がたき幸せである…]


悦楽は悟りへの一歩
悦楽の中で智慧の悟りを得る
感覚を制御した平安こそ最高の快楽である
幸せを理解する事こそ. 幸せでいられる秘訣…人間が生きていくためには空気、水、食料、住まい、衣類などは欠かせません…
空気がなければあっという間に人間は死んでしまうのに、空気に感謝し.有難く呼吸し.幸せを味わっている人は溺れかけた経験者か、無明の闇を晴らして真実を見透して生きている人ぐらいでしょう…
また水がなければ人間は生きていく事は出来ないし.生命自体も発生も存在も出来ま水が充分な社会で暮していると、水に対する認識は希薄になり水道使用料金が気になる位のもので.別に有難いとも感謝し幸せを味わう事もないでしょうが、世界の約半分の人々は水を遠くまで汲みに行かねばならなかったり.汚れた水や僅かな水で命を繋いでいるのです.しかし水に対する認識や自覚が有ろうと無かろうと水が重要であるという事実は変わりません…
また平和ボケして平和で安全な社会が当たり前であるかのように錯覚して.平和や安全に.有難いとも感謝し幸せを味わう事もなく暮している人々が居る一方、戦争が行われている地域や.紛争地域では絶えず自分が殺される危険、家族が巻き込まれる危険の中で命からがら生きている人々も沢山いるのです…つまりは平和と安全がなければ将来に対する希望さえ持てないのが現実であり、その地域の人々にとって平和と安全こそが希望であり夢であり幸せの重要なファクターなのです… 平和と安全が如何に甘美で幸せなものなのか忘れてしまって.下らない物事.つまらない物事.どうでもいい物事などに魅入られ執着して.不満と怒りと欲望に翻弄されているのが今の日本人でもあり、平和と安全に暮らせる喜び.幸せ.有り難さへの感性が麻痺してくると、感覚.感情.衝動への刺激が優先され、平和と安全を破壊しようとするものさえ蔓延るようになるもので…今の日本は正にそういう処に居るのではないでしょうか…
たとえ認識や自覚が有ろうと無かろうと空気や水やお日様が重要であるという事実は変わらないのです…
つまり多くの人々とは、当たり前のことを当たり前とは思わず、当たり前でないことを当たり前だと錯覚しているのですから…当たり前に幸せなのに、ゴチャゴチャと煩悩の要求に急かされた欲望の炎に煽られて、決して満たされる事のない夢幻を追いかけ、苦と不満を.せっせと生み出しながら大切な時間をすり減らしているのですから…


[人間は生きているのではなく、生かされているのです…]

食べ物も有り余るほどあれば、感謝の念も起きなくなるもの…かつて日本が貧しかったころ、今日も元気に生きていて.腹いっぱい食べる事が出来るだけが夢であり.幸せでもあり.将来への希望だったのですよ…
今でも貧しい国では充分に食べることが.夢であり.希望であり.幸せでもあるのです…そこで考えてみて下さい…物が溢れ返るほど恵まれて.欲望の炎に煽られ.心を貧しくしながら不満と怒りの中を生きる人々と.貧しい暮らしの中でも喜びや幸せを見出して生きている人々と、どちらが本当に幸せなのでしょうか?

しかし今、我々日本人は自分たちの置かれている状況がいかに恵まれているかを忘れてしまっているのではないでしょうか…戦争・紛争に悩み、また食糧難に困る多くの人にとって、夢と希望が叶(かな)えられている憧れの国でもあるはずの日本に住んでいても、決して幸せだとは感じていない…それは何故でしょうか…


◆心の貧困が堅固な幸せを奪い去る
知識.情報.物品などの流通経済を根幹におく社会に於いて.提供者は消費者となる人々の欲望の炎を燃え上がらせようと虚偽や錯覚や洗脳や誇大表現を織り交ぜた高度のテクニック(手練手管)を駆使して煽りまくります…そんなある種の罠に無警戒に近付いた人々は、その感覚.感情に訴えかけ.欲望を刺激しないでは置かない熟達した手管に雑作なく絡め取られ、無常で短命な僅かではあるけれど喜び.快感.幸せ感の味をしめ、喜び.快感.幸せ感を求めて彷徨っている内に我利我利亡者となってゆくのです…
◆我利我利亡者(がりがりもうじゃ)とは
我利我利亡者とはその字の如く、自分の利得(金銭など所有の次元の事物)への執着.執念に取り憑かれて.決して満たされることのない自分の欲望の事しか考える事が出来ない存在となってゆくのです…(吝嗇.もの惜しみ)     
◆心は三階建て(三層構造)       心の三層構造で説明して来たように、
心の一階部分はその人の人格(レベル).精神性(スピリチュアル).人の質(クオリティ).器量(スキル)など[存在性の次元]であり[心の充足]を形成させるのです…
心のニ階部分は絆.関係性.距離感など社会性の次元であり心の安定感に関係します…
心の三階部分は[所有の次元の事物]への所有欲(欲望)の所有の量.所有の質.所有の価値などによる[欲望の充足]に関係します…
三階部分への欲望が強ければ強いほど一階二階部分へ負担を掛ける事となり.負担を掛けたり.毀損したりして行きます…
つまりは三階部分に住む[自分]の所有欲に執着すればするほど、絆.関係性.距離感は歪み.一階部分の人格.精神性.人の質.器量などを貶める事となるのです…
欲望の充足への執着心が.不満.苦しみ.怒り.怨み.哀しさなどを積み上げて、心を貧しくさせてゆき、尊大.横柄にもさせてゆくのです…  他人や他の生命への功徳や慈しみが、自我の利得への執着から解き放たれてゆき.結果的に[心の充足]を生み出してゆくのです…
★所有の次元の事物に執着していると、人はそれらに支配されるようになってしまう…
感覚.感情.意志.意識といった五蘊(精神作用)と思考も.それら所有の次元の事物に影響され、心身ともにそれらに縛られてゆく…
もし.それらにより真に満たされるのならまだしも.欲望の炎は.足ることを知らずに燃え盛り決して満たされる事なく追い続けながら、心を貧しくさせながら.苦と不満を携えて生きる事となる…
[人は、自我意識(エゴ)が造り出す.自分.の幸せを追求せず…それが幸せだと思い込まない時だけ、幸せで居られるのです…何故ならば自我(エゴ)が造り出す自分の欲望は果てしなく決して満たされる事もなく、変化生滅しながら移ろいゆく世界の中では苦しみや不満(ドゥッカ)を携えて生きる事となるのですから…]
[心の貧しい人とは、心が欲望の炎で燃えさかっている人…]
五蘊(色受想行識)
色は無常なり.受は無常なり.想は無常なり.行は無常なり.識は無常である…色は無我なり.受は無我なり.想は無我なり.行は無我なり.識は無我である…
全ての行は無常である…
全ての法は無我である…
「目は見ることに飽きることがなく、耳は聞くことに満足することがない」
「口は食べることに飽きることがなく、欲は満足することを知らない」
美しいと感動した花でさえ、見続けたらその感動を持続することはできない…
写真、映像、自然の美しさはいつも見ていれば飽きてしまう…忘れてしまう…
音楽も同じ曲を聞いていれば飽きてしまう。
食べるものも同じものでは飽きてしまう。
絶えず新しいものを求めることが人間の本性の一面なのです…

つまり人間はそのままの状態では満足し続けるようには出来ていないのです…
幸せになっても、その状態(感性)は永続して行かず、飽きたり.麻痺したり.負担とになったりして苦(ドゥッカ)へと戻ってしまう性質があるのです…
それは言い換えると.無常な移ろいゆき変化生滅してゆく物事を.依存し.依り処とし.精神的支柱とすれば、時間の経過とともに色褪せ.朽ち果て.消え去る性質のものを.満足.幸せ.安心の為には必要不可欠なものだと勘違いしているだけなのですから…
しかし、幸せが終わってしまったわけではなく、本当は幸せな状態であったとしても実感出来なくなり幸せではないと思い込んでしまう…これも不幸.不満なのです.
◆幸福は進歩を阻まない…       
幸福は進歩を阻むものなのでしょうか?
それは決して目的物とは言えない便宜的.付随的な価値しかない所有の次元の事物により幸福や満足を得ようとした場合であって.誰でもが熱中して好きな物事とか興味のある物事を開拓してゆく喜びや幸せの為に生きていた筈なのですが.金とか名声とか付随物が後に付いてくると、金を増やしたり名声を上げたりする事が目的化してしまい.そんな無常な本質の物事の多い少ないに一喜一憂しながら、決して満たされない欲望の充足に翻弄されながら進歩が阻まれてゆくものなのです…
其れどころか本当の幸福は知れば知るほど具われば具わるほど.更なる上を目指してゆくものなのです…悦楽の中に智慧の悟りは顕現するのですから.
幸せには感覚的.感情的な面と、知性(精神性)に到達してゆく面の二面があるのです…
それは満足にも言えることで、感覚的.感情的な満足と知性(精神性)による満足があるのです…しかし短絡的な人達は[人間、満足したら進歩しなくなる]などと詭弁だか弁解を弄し.無明な自分の不満や怒りを正当化し.それが為に.却って自確かに.進歩することと幸福の満足度との関係には相反する面があるようにも見えるのですが、それは飽くまでも物質的.装飾的でもある便宜的.付随的な[所有の次元の事物]に於いての事柄に過ぎず、存在性の真理(真実.事実.実相)を見い出す事が出来る人間として具わった能力.精神性の開発と進歩は多幸感.愉悦.平安.静逸.涅槃(ニルヴァーナ)へと到達しても尚、高み(高次元)への進歩を欲するのです…               また感覚的.感情的な幸せ.満足については.変化生滅して移ろいゆくこの世界では変化により持続が出来ないものであり、感覚的.感情的なものにとって最大の苦しみ(ドゥッカ)でもある麻痺と飽きと空しさがあるのですから…お陰様で、人間には感覚的.感情的に持続的な幸福(満足)を得ることが出来ないのです…
心の充足(満足)の為に進歩することが人類すべての人の幸せのためであり、欲望の充足の為の進歩とは.多くの犠牲の上にしか築けない本質的には悪や苦しみ(ドゥッカ)をそれに倍して.生み出している事にも気付いてほしい…

人は誰でも幸せを求めて生きています…仕事でも、警官になるのも.泥棒になるのも.医者になるのも.政治家になるのも.弁護士になるのも.学者になるのも.技師になるのも.ビジネスマンになるのも.教師になるのも.カメラマンになるのも.スポーツ選手になるのも.調理師になるのも.フリーライターになるのも.僧侶になるのも.遊び人になるのも、その中に生き甲斐と幸せを見い出すからで在るべきで、収入.権力.権威.社会的地位など付随物に過ぎないものが選択理由で在るならば、その人は自立した自分が無かった為に.僅かな幸せと引き換えに.大きなドゥッカ(苦しみ.悩み.心痛.空しさ.憂い.不満.飽き.儚さ…)を背負って生きる事となるのだから…
◆所有の次元の事物(定義)
金.財.物欲.地位.肩書.名誉.称号.賞賛.権威.権力.勢力.承認.評価.知識.情報.健康.寿命.伴侶.家族...
◆存在の次元(定義)
存在性.精神性.人格.人の質.人間性.器量...