負のスパイラル

●負のスパイラル

人生とは平坦な道ばかりではなく.山もあれば谷もあるものです…

そして折角の人生.平坦な道ばかりを歩いているのも又.苦(ドゥッカ)でもあり.それは飽き.変化のなさ.刺激のなさ.感動のなさ.顕貴(ときめき)のなさなども.苦(ドゥッカ)に他ならないのですから…

例えば.人が無刺激な状態に置かれたら.果たして.どうなるかという実験を.科学者がしたそうです…

その時.人は.約一ヶ月の内に気が狂ったり.死んでしまったそうです…

また宇宙飛行士が.負担の少ない数日間の無重力状態で負荷運動を欠かすと.帰還して地上に降り立った時に.足腰が立たなくなるそうです…

例を挙げれば切りがないのですが.要は苦(ドゥッカ)によって人は生かされているとも言えるのです…

そして[苦楽一如]と言われるように.本当は苦も楽も同じものなのです…

その刺激や負担を.苦と捉えるか.楽と捉えるか.捉え方次第でもあるのです…

例えば普段.粗食で過ごす私が高級料理にありついたとしたら[ラッキー]とばかり.天にも登る食事を嗜むでしょうが.高級料理ばかり食べている人にとっては別に感動も喜びもなく.却って嫌悪を感じる事さえ有るかもしれません…

同じ.一つの食事を奥深く.喜びに包まれて味わえる私が幸せなのか.食べ飽きて感動も顕貴(ときめき)も喜びを持つ事も出来ない感覚が麻痺した人が幸せなのか.人それぞれの考え方と言うより.[捉え方]の問題だと言えるのです…

また多くの人は.主観で[自分の判断は正しい]と自己肯定しながら生きています…

そうでなければ先へ進むことが出来ないのですから…

例えば.そんな自分を人が非難したとします…
そんな時.素直に[よく教えてくれた]と歓ぶ人など居ず.大概誰が[何を〜っ!]と.自尊心を傷つけられたと怒ることだと思います…これは自己防御反応なので.仕方がない事なのです…

問題なのはその先であり.知覚が感知し.認知した五蘊(精神作用)による感覚.感情に捉われ.拘り.執着し.苦(ドゥッカ)を造り出すか.つまらない見解.下らない見解.どうでもいい見解.無明な見解.愚かな見解だと.毀誉褒貶に塗れずに捨て去るか.また[火のない処に煙は立たず]と言われるように.自分では気付いて居なかったが.愚かな処があるあるのだろうと.自我意識(エゴ)を手放し.楽の種として自分の向上の為に役立てる事が出来るかにより.人生は天と地ほどの差となって現れてゆくのです…

大切なのは無常な自我意識(エゴ)なのではなく.自分を抑制コントロールしてゆく自制心しだいなのです…

苦を積み上げてゆくも.楽を積み上げてゆくも.刻々と現れては.変化して消えてゆく現象側の問題なのではなく.自分の無明さの問題なのですから… 

また拙僧が辻に立っている時たまに[私には良い事がなく.悪いことばかりなのですが.どうすれば変わっていけるのでしょうか?]と尋ねられる事があります…
そんな時、その人物を見て陰気風だと、先ず表情を注意します…そのどんよりした無気力な表情を明るく努めるだけでも、運命は変わってゆくのです…また、物事は良いこともあれば悪い事もあるものなのに、良い出来事には気付かずに悪い出来事ばかりに目を向けて居ると、負のスパイラルへと入っていくのです…
物事は波動の流れなのです…小さな良い出来事にも軽んじることなく気を止め.感謝して喜んでゆくと運気は[良し悪し]という波動の中で上昇してゆくのです…一方.悪い出来事ばかりに捉われ苦しみ嫌悪していれば運気は[良し悪し]の間を流れながら益々、下降してゆくものなのです…
[福が来るから喜ぶのではなく、喜ぶから福が来る]のですから…

[気持ちを変える 捉われ.拘り.執着.雑念.妄想から解き放たれる]

 

●負の思考
①他人を非難する 
自身の自信のなさが他人への非難や攻撃に繋がってゆく
②他人と比較する(承認欲求)
自分の価値観と他人の価値観は違うもの、価値観は人それぞれのものなのに、自分の価値感や生き方に満足出来ないから、他人と比較して優越感や心の安定を図ろうとする
③無いものねだり
持ってない物への渇いた欲望、不平不満を抱いても何も解決しない…それが本当に必要なものなら目的意識をもって努力するだけ…
④過去の栄光や挫折に捉われ拘り、未だ到来しない未来を妄想的に幻想する
大切な時間を無駄に浪費するだけであり、今を見ようとしない…今に手を抜く事となる
⑤自分より他人を変えようとする
他人を受け入れ、自分が他人に合わせる位の心の豊かさを育成しよう
⑥現状に甘んじ満足してしまい.成長や向上を止める
絶対真理に到達し涅槃(ニルヴァーナ)に暮らしても尚.精進を欠かす事がないよう克己する
⑦廻りに同調しすぎて自分の意見を持たない
他人の意見と自分の意見が全く同じ事など有り得ないにも関わらず、結果を怖れて自分の意見を葬り去り.それが[和]だと錯覚してる
⑧考え過ぎ、その深み(負のスパイラル)へと陥ってゆく…ゴチャゴチャ.グチャグチャと考え過ぎたり、悩んだり、雑念や妄想に陥り、ストレス.不安症.うつ病などを招く
⑨物事を後ろ向きに捉える
物事を前向きに捉える、諸行無常…全ては現象であり変化しては消えてゆく移ろいゆく性質のものに過ぎない…因縁論や宿命論的な負の思考(マイナス思考)で物事を捉えない…
⑩路傍の如来 如来品正師 多々方路傍石を愛さない…冗談😂
●今ある幸せに気付く

人は皆、喜び.幸せを探し求めて生きているのでして、不幸になろうと不幸を探し求めてる人など.ほんの一部の変態以外には居ないのです.それは無明な苦行の中に明け暮れてる人達にしても.争いの中に身を窶している人達でも.これから自殺しようとする人でもその中に喜び幸せ安らぎを見い出そうとしているだけなのですから…
皆んな平然を装い.常識人を装っていても、心の中は喜びや幸せを探し求めて余念なく、不幸や苦しみに.くれぐれも出会わないようにビクビクしながら、それでも喜びや幸せを求めて五感器官を外界に向かって駆使していて.心は決して平静でも満たされてもいないのです…
しかし喜びや幸せは探し求めるものではなく[気付く]ものであり、堅固で安定的な喜びや幸せを達成する為には、先ず.今ある幸せに気付かねばならずく、それは堅固で安定的な幸せや喜びとは、今ある幸せの上に到達するものなのですから…
例えば[幸せの青い鳥]では、チルチルとミチルも[幸せの青い鳥]を求めて世界中を探し回ったのですが.何処にも居なかった(見つけ出す事が出来なかった)のですが、落胆して自宅へ帰ってきた時、庭先をふっと見上げた庭先の木の枝に.幸せの青い鳥はとまっていたと言うようなお話しですが…丁度、喜びや幸せを外界(世界)に向かって探し求めてる皆さんこそチルチルとミチルであり、心の中に在るのは不足と不満であり、心の充足の為に物質はの所有欲という欲望の中を旅しているのですが、幾許かの喜びや幸せと引き換えに多くの苦労を造り出しているだけで、決して心が満ち足りる事がないのです…

それはある意味、餓鬼心の中に居る事に他ならないのでして、例えば食事にしても.空腹という苦を癒せば.腹は満たされて.それ以上の食事は[苦]となるものなのですが、餓鬼とはいくら食べても満ち足りる事が出来ないのです、
それは今すでに在る幸せに気付けず、喜びや幸せとは本当は何なのかさえ解らないまま煩悩的な衝動に促されて、無闇に探し廻っているだけの状態と言え、先ず、今すでに在る幸せに気付いて幸せ.喜び.満足の中で、本当の幸せ喜びへの階段を一歩一歩登っていくものなのですから…
しかし夢や希望や理想を捨てた抑圧された幸せなど、本当の幸せではないのです…

物事の本質が真理見え、その無価値さに気付き、その無価値な物事に振り回されず、捉われず、拘らず、執着から離れた堅固な安らぎ(幸せ)と無明の闇を晴らした悦楽の中に
喜びや幸せとは、気付くもの。
既に沢山の喜びや幸せを持っているのに気付けずに、愚痴や不満ばかり言う人がいます…

愚痴や不満の中にいては新しいものなど創り出せる筈もなく、愚痴や不満な日々は楽しくも喜びも持てず、愚痴や不満ばかりを積み上げながら.益々不幸になってゆくのです…
そんな愚痴.不満.怒りなどの苦(ドゥッカ)は加速度をつけ.負のスパイラルへと陥ってゆくのです…
そんな人達が.自分の不幸の責任を社会や他人のせいにし、自分の不平不満を何かしらにぶつけて溜飲を下げようとクレーマー化するのです…

物質文明.競争社会.情報化世界の中では顕著な現象でもあります…

●幸せは気付くもの

今ある幸せが活力を生みだす
前向きに生き、他人を思い遣ったり.気使う[心の余裕]が持てる

豊かな心が育ってゆく(豊かな心と貧しい心)

●今ある幸せ(楽は苦の種. 苦は楽の種)

今、既にある幸せに気付く事が、楽しく幸せに生きる秘訣です。
※平和な社会は大いなる幸せ
阿呆な政治家が権力を握れば簡単に消え去る平和な社会
悪意ある者が増えれば造作なく破壊される平安な日々
※今日も元気に歩いてる
松尾芭蕉「旅に病み 夢は枯野を駆け巡る」
病んで覚ったが、元気に歩いて旅する事ができるのは、実に幸せなもの
※今日も生きている  
惜しくも早死する人もいる.事故や災害で無念に世を去る善人もいる.何故か今日も生かされている(人間なんて当たり処が悪ければ豆腐の角に頭をぶつけただけで死ぬ事もある脆い存在)
※今日も美味しく食事できた
笑い事でも当たり前でもなく世界では今でも餓死者が毎年.何十万人.何百万人も出るのです。
※人間、自分が他から独立して自分の力で生きているという思いは錯覚.過信.無明.思い上がりでしかなく.天地自然.他人様.他の生命のお陰様で生かされているのです。
※他にも etc…
無思考から脱出して智慧や記憶を駆使すれば幸せの種は、幾千.幾万と発見出来るはずです.
●四苦八苦は幸せの種
[楽は苦の種 苦は楽の種]
楽を尺度に物事を見れば、世の中は苦(ドゥッカ)だらけに感じ.苦(ドゥッカ)恐怖し.厭いながら生きる事となる…
しかし苦(ドゥッカ)を尺度として見れば、世の中は楽(スカ.安楽.幸せ.喜び)だらけに感じ.楽(スカ)を楽しみ味わいながら生きる事となる…
苦労は買ってでもしろと言われるように、後の報酬は大きいのです…
苦労を知らずに社会に出たような人は、ちょっとした負担にさえ耐えられず.人生に真正面から向き合えずに.苦(ドゥッカ)から逃げ回るような人生を送る事となるもの…
【四苦八苦】
生.老.病.死
愛別離苦 愛するものとも別れなければならない苦しみ
求不得苦 求めても得られない苦しみ
怨憎会苦 怨めしい人や憎らしい人とも出会ってしまう苦しみ
五蘊盛苦 五蘊作用(精神作用)が造り出す苦しみ
朝(あした)に道を聞かば 夕べに死すとも悔いなし
朝(あした)に生を授かれば 夕べに死すとも悔いなく過ごす