主観

己れの愚を知るは賢者なり、
己れの愚を知らぬ者こそ真の愚か者…

 

最近.特に著しい精神的劣化の最大原因は妄想的思考であり、その妄想的思考へと陥らせているのが[主観]なのですが、その主観とは.五集合要素(五蘊)により形成される感覚的.感情的.妄想的な概念と意識なのです…
本来は五集合要素(五蘊)により生じた主観(概念)を.表層域(思考域)に於いて客観的な思考(理性)を加えて一つの見解(ドグマ)を造っているのですが.その客観的な思考(理性)を加えることなく、感覚的.感情的.妄想的な単なる主観を.真実.事実.と錯覚したり.思い込んでいるような人は、根拠も.証拠も.証明も.事実関係もないまま.自分の考えは正しい!自分の考えは間違ってない!という了見の狭い自我意識にしがみつき、自分の愚かさに気付くことが出来ないものなのです…
■頭の中のゴミ屋敷
人は、主観と言う精神作用により生きているのであり、主観が.悪いと言っているのてはなく感覚.記憶.感情.性質により現れた主観は決して真実を映しだしてはいない事を自覚すべきであり、単なる主観であっても.時には鋭く真理を付いた主観もあり大いなる閃きも主観なのですが、大概の主観とは、永い年月の間に造り出された妄想や思い込み.勘違い.錯覚.染脳.性格などにより色が付き歪んだ眼鏡を掛けて観ているようなものが主観であり、西洋思想や西洋哲学に冒され、我れ思う故に我れ有りと.浅薄に受けとめて自我意識を深め自ら苦悩や心痛を造り出したり、根拠がある理由でも確証を持つ理由でもなく唯、感覚的.感情的.妄想的に生じさせているだけに過ぎない主観を、これが自分の考えなのだと錯覚し執着しようとすれば自らを苦しみや不満を造り出す事となるのですから…


知性(理性)を自ら否定し放棄するが如く.主観は主観の外に出る事は出来ず.客観を正しく認識する事など出来ないと嘯き自惚れる現代人にとって事欠く事のない知識と情報と刺激に溢れ返る現代社会には多くの間違ったり偏ったり染脳的な浅薄で無価値などうでも良いような下らなく詰まらない知識と情報と刺激に溢れている事に気付かず欲望に惑わされ無防備に記憶域と潜在域に蓄積してそれらに基づいた感覚的.感情的.主観的思考を繰り返す事により物事を在るがままに現実的に見る事が出来なくなりやがては心を病ませてゆくような頭の中にゴミ屋敷をせっせと築いているような人を多く見かけます…世の中には無明(無知)なままに五蘊作用(五集合要素)に翻弄され主観的(識)に.感情的(行)に.偏った記憶(想)に従って.感覚的(受)に.妄想的な(UFO.心霊現象.オカルト.超能力.得体の知れない神仏)などに影響されて妄迷を深めたり、スマホなどへの外部依存症や.主観に心地良い作為的な偏った知識情報などに染められて心を汚してゆく人や、胡散臭い瞑想会?などに通い染脳されて心を拗らせた人が実に多い事に驚かされ此の傾向が益々殖えて行くだろう予感に嘆息します…
真正な釈迦尊(ブッダ)の教えにより心を病んだ人々の心の回復と治癒という大いなる救いは実を結んではいますが説法の大半はそんな心の病んだ人達の回復.治癒.救いの為に費やされ他の大勢を占める多くの主観的思考法により自我意識を深めて主観的(感覚的.感情的)な認識により在るがままに現実的で正しい自己認識が出来なくなっている愚かさに気付く事なく主観的認識に自惚れたり誇りさえしながら現実的には苦や不満や心痛に翻弄されて無明に生きている憐れな人々を救う事に専念する事が出来ないのは歪めません…
■主観は五つの要素(色蘊.受蘊.想蘊.行蘊.識蘊)の集まり(五蘊)により生じる
①色蘊(物質.空間.熱.水)と五感管(眼→視.耳→聴.鼻→嗅.舌→味.身→触)を条件として受蘊(感覚)が生起する。
②受蘊(感覚)を条件として想蘊(記憶)が生起する。
③想蘊(記憶)を条件として行蘊(感情.衝動)が生起する。
④行蘊(感情.衝動)を条件として識蘊(主観.概念)が生起する。
⑤識蘊(主観.概念)を条件として表層思考域に於いて知性(理性)が生起し主観的な認識を客観的な認識へと昇華させて行く事が出来る
●知性(理性)による客観的な認識理解能力により五集合要素(五蘊)の精神作用・感覚.記憶.感情.主観の汚穢を浄化しハイポテンシャル化させてゆく。
しかし不安定な感覚→記憶の残滓(捏造情報)→不安定な感情.衝動→不安定な主観という依存関係性に従った判断.認識は真理(真実.現実.実相)を映し出さず、正しい現実認識.正しい自己認識が出来ない。人間だけが具している至高な宝である知性(理性)という客観的認識能力は埋没し、主観的な自分の理解.認識.判断.選択.自覚.納得.合点などを絶対視し無明なまま自惚れたり誇りさえする妄想的な者を愚か者(暗愚)と呼ぶのである知性(理性)による客観的な認識に基づく真理(真実.現実.実相)の発見こそが不安定な感覚.記憶.感情.主観への捉われ拘り偏りから目覚め覚醒し.乗り越え超越し.解き放たれて解放され、堅固な自由で平らかで穏やかで静かな境地へ到達させる。それは知識でも選択でもなく叡智による発見なのです…
主観に捉われ拘り偏る心は自我の妄想を深めさせドゥッカ(不安定さ.不完全さ.苦.痛み.不満.悩み.哀しさ.怖れ.脆さ.弱さ.儚さ.空しさ.欲望.無明.渇き.欲望)の中を彷徨い流れゆく事になるのです…
五集合要素(五蘊)
色(身体.五感管)常に変化してゆく不安定なもの
受(感覚)時間.環境.状態などに影響される不安定なもの
感受しているからと言って正しく感受(視.聴.臭.味.触)しているとは限らず時間.環境.状態による自分を感受している想(記憶)偏った知識.誤った情報.捏造された記憶の残滓.先入観.思い込み.錯覚.固定観念.既成概念.迷信.伝聞.通説.習俗.世評.洗脳(染脳)などと感覚.感情.主観.自我意識により形成される不安定で不完全なもの
行(感情)時間.環境.状態などによる自分の欲望に基づいた衝動であり煩悩(存在欲).自我.渇愛の投影でもあり、感覚器官で捉えられるもの全ては世界(全体性)を分断し切り取って捉えた全体性の一部分(断片)に対しての感覚に過ぎず、通常の感覚器官では真理(真実.現実.実相)は捉え難いものなのである。
眠っている潜在煩悩を目覚めさせると激しく貪ったり.激しく怒ったり.激しく悔やんだり哀しんだりさせ起伏の激しい感情を造り出す
識(主観)不安定で捏造され偏ったり間違った感覚.記憶.感情により自分の状態を世界に投影しているのであり真理(真実.現実.実相)を正しく映し出して居ない
※妄想を生じさせ、自我を深めさせる
■主観は根深い煩悩(存在欲)により生じ主観により妄想は生じる。
■知性(理性)により客観的思考は生じ、客観的思考により創造(想像)は生じる。
「もし人が、一切の妄想を離れる事が出来れば、あらゆる苦悩から完全に解放される。」
■諸悪の根源
凡そ汎ゆる苦悩.怖れ.憎しみ.差別.敵対.争い.欲望や全ての悪は自己中心的で自分の立場に捉われ拘り執着した妄想により生じる。
主観的思考をして行く事は自己中心的で自分の立場に執着した自我意識や、自我(主観)による妄想を深めて行く事となり、凡そ汎ゆる苦悩は妄想により生み出されるものである故に妄想.自我.主観を深めるとは即ち苦悩を深め不満.疑い.怖れ.憎しみ.差別.敵対.争い.欲望に翻弄されてゆく事だと言えるのです
■無明(無知)を乗り越える(解放)
主観は主観として受け入れ、知性(理性)により客観的に物事を認識して自分の見解.観念.主義.主張.宗教.哲学などにしがみつかず埋没せず捉われず拘らず執着すること無く無明(無知)の闇を真理(真実.現実.実相)の光明で照らし出し無明(無知)から目覚め覚醒し.乗り越え超越し.解き放ち解放され叡智を顕現させた処こそ平らかで静かで歓喜に満ち溢れた堅固なる到達点(ニルバーナ)である
■進化(世界平和の実現)
主観的思考→客観的思考→中道
煩悩(存在欲)→知性(理性)→中道
自我→無我(相互依存性.相対的関係性)→中道
自我意識→一体性(同一性).共生→中道
妄想→創造(想像)→中道
煩悩→知性(理性)→中道
情緒→論理→中道
野性→仏性→中道
争い→平和→中道
苦悩(ドゥッカ)→満足.平.静.歓.喜
無明(本質的無知)→覚醒→超越→解放(自在な一滴)


●心を修養を目指す者達よ、
五集合要素(五蘊-色.受.想.行.識)は無常であると…
五集合要素(五蘊-色.受.想.行.識)は苦(ドゥッカ)であると…
五集合要素(五蘊-色.受.想.行.識)は無我(アナッタ)であると…
五集合要素(五蘊-色.受.想.行.識)は空であると…
如来の教えを聞いた聖なる修養を目指す者達はその様に観て主観を厭い離れる。主観を厭い離れれば貪欲を離れる
貪欲を厭い離れれば解脱する。
■参照 妄縄自縛  

http://blogs.yahoo.co.jp/bhagavat_buddha/66474535.html