最新 如来品語録

■暑中お見舞い申し上げます…
毎日.暑い日が続きますが、皆さん.無理をなさらずに熱中症にも気を付けて元気にお過ごし下さることを願って居ります…
托鉢僧は、雨安居.雪安居はしますが、夏安居.冬安居はしませんから、拙僧も相も変わらず上野不忍口にて.辻に立ち托鉢して居ります…
諸行無常な世の中なれば…燃え立つようなこの暑さも、今の一時期しか味わえない大切な瞬間なれば.味わい尽くさんとぞ心は踊り、湧き出る汗に生を実感し.頬うつ風に涼を味わい感謝しながら、立って居ります…
この夏の暑さが秋の収穫へと繋がり、美味しく食を紡ぐことが出来ることに感謝しながら、
季節の寒暖などに捉われることもなく、天空を風の如く流れそよぐ私の本音はと言えば、それでなくとも暑い毎日を.汎ゆる欲望の業火に熱せられ.煽られ、焼き尽くされんとしている人々に.暑中お見舞い申し上げます…
■大切順番
元気が1番、平和が2番、3,4がなくて、お金は5番(ご飯)…
■欲望
欲望が、不満によって引き起こされる事が理解出来ない人は、心の中を欲望で一杯にして.不満だらけの心に気付けずに、紀文のパンペンでもあるまいし.気分が悪いだけだと宣うが…
仏教徒には、不満がないから欲望もなく.無欲恬淡に生きている…
それを[足るを知る(知足)]とも言うけれど、足知を[今の状態で我慢する]と捉える愚かな人もよく見掛ける…流行りの断捨離などはその類の観念だろう…
自分に拘り、自分の感覚.感情を満たす満足などが如何に不毛で無常なものだと覚れば、本当に必要なものは既に満ち足りているを識り無明な欲望を抱きはしないだろう…
満ち足りた心に不満なく、ただ他者の為に成す行ないの至らならざるを不満とぞ思う…


空~空~唸る.龍樹の弟子は、 
利他~利他~唱え 自利を貪り…
■嘆き

人の心が欲望の炎で焼き尽くされるに従って.天変地異が頻発してくるように、人の心が貧しくなるに従って.世の中が騒がしくなってゆく…
嘆かわしい事ではあるが、無明なまま.まだまだ獣性を多く宿している人類は、平和の有り難さを味わうよりも、争い.競い.戰う高揚感を味わいたいのだろう…
五体投地
死期を覚られ、最後の旅へと立たれても尚、辻立ちと托鉢とを欠かされず行ぜられた唯一無二なる釈迦尊五体投地を以って三拝を捧ぐ.
■不思議

無明ゆえに思議できず、不思議の世界を造り出し、不思議の世界を彷徨いゆけば…
酔生夢死か夢幻抱影の如夢如露か…
■無思考

世間には[無思考]と言われる人が溢れているが、間違ってはいけないのが無思考な人とは考えるべき事を考えない人の事を言うのであり、考えるべき事を考えない代わりに、雑念したり妄想したりしているのである…感覚や感情.想念や思考を放っておける人を無思考者とは呼ばないのだから…
■所有の輝きと存在の輝き

輝きとは.歓びであり.快楽であり.幸福であり.安心である…
無明な人は、所有物の輝きを自分の輝きと錯覚している、太陽の輝きを浴びて惑星が輝いて見えるが如く…所有物を失なった時、また太陽を失った時、自らに輝きはなく、闇だけが在ることを…
綺麗な衣装で輝いて見せても、金銀財宝で輝いて見せても、地位や、名誉で輝いて見せても.脱いで見せれば、残るのは闇だけ…
名も地位も金財もなく下着姿の無一物であったとしても、存在の次元の輝きは眩い…
存在の輝きの前には闇は霧散消滅する定め…
堅固で実存的なこの上もない眩い輝きなれば…
■プラパンチャ
仏教では、如何に大層な観念や教説を説こうが、現実に自分自身が実践も実行もしてないならば.それは単なるプラパンチャ(戯れ言.能書き.空論.絵空事…)に過ぎない沙弥の言(未熟者)と呼ぶのです…仏の教え.仏教とは実践的に理解してゆく教えなのですから…
■妄想と錯覚

化け物の正体見たり 枯れ尾花
幽霊の正体見たり 枯れ尾花
と言われるように、世の中には妄想と錯覚に満ちあふれている事に気付かず、まして自らが妄想に覆われていては、真理(真実.事実.現実.実相)へ到達することなと出来ない…
ドゥッカ(苦)の正体見たり、五集合要素(五蘊).
グルグル回せば、苦は現れる…
つまり必要もないのに五集合要素(五蘊)という精神作用をグルグル廻し続けているから、ドゥッカ(苦)も造り続けているのですから…
無駄な五集合要素(五蘊)を回転させる無明な悪い癖から、解放されるのが.こよなき安らぎなのです…
疲れた人の心を慰めるのも、呪文や読経ではありません…欲望と雑念と妄想に塗れたゴチャゴチャ.グルグルの五集合要素(五蘊)の暴走から、解き放ってあげることこそが、慈悲なのです…
よく私は心が弱いからと自己暗示を掛けている怠け者が他力に縋ろうとしますが、自らを真に救うのは自分の努力だけなのです…
欲望と雑念と妄想に塗れたゴチャゴチャ.グルグルと回転させてる五集合要素(五蘊)の暴走から解き放たれ、こよなき安らぎと堅固な幸せを実現させるのも、暴走した五集合要素(五蘊)に焼き尽くされるのも.自分自身の自由意志なのですから…
■聖人
孝.仁.義.徳そなえたれば教え要さず教えなし…

孝なきゆえに孝の教え要し、孝の教えあり…
仁なきゆえに仁の教え要し、仁の教えあり…
義なきゆえに義の教え要し、義の教えあり…
徳なきゆえに徳の教え要し、徳の教えあり…
叡智あれば叡智の教え要さず、叡智の教えなし
叡智なきゆえに叡智の教え要し、仏道あり…
教えは夜空に輝く星の如く在れど、その光明へ到達する者は少なし…天国の門は狭く.茨の道であるが如く…
聖人と呼ばれる方々の現れた地域は、釈迦尊(仏陀)を含めて.今も昔も紛争地であったり、危険地帯であり、聖人の教えが必要とされたからであり、しかし聖人の教えでそれら地域は決して清められも高められもしてないのだから…
一方の我が日本には真に聖人と呼べるような偉大な方は現れず、大した事もなく、録でもない人でも事.足りたのは、民衆や社会に徳.智.和.善が具わっていた(社会は多様性であるからして、不徳.無知.不和.不善な者も当然存在していただろうが…)からに他ならないだろう…(精神的支柱としての天皇の存在も無関係ではないだろう)
しかし天地の理法の差配によってか、欲望の炎に煽られ、溢れ返る知識や情報に翻弄され、却って無明を深めさせている現世に、真の聖人(如来)は出世した…
中国、朝鮮に学び、孝.仁.義.徳を却って害ない.欲望に煽られ、心を貧しくするも、
中国、朝鮮を信じ、叡智を盗まれるも、
ただ無明で不徳なものが、栄えるが所以なり…
一切万象 因果応報 
一切万法 自業自得
如来、憐れみ辻に立つ…


■修行者の心得

●疑心暗鬼となって立ち尽くしては仏道修行は叶わない、かといって疑いを残したまま盲信していては真理へは辿り着けない…
仏教が信仰を否定するのが.この点でもあるのです…
世の中に溢れる信仰宗教とは、得体の知れない神仏とか霊魂.霊能力への無思考.無抵抗の盲信を強いる麻薬的な害毒に他なりません…
仏教で必要なのは、信じることではなく①見る事(観察).②知る事(分析.検証).③理解する事(確証を得る)であり、信心とは妄信や盲信ではなく確信であり、つまりは確信による真実への依存.信仰.信心なのですから…
●ふたつの道
世俗の人達は外界に意識を彷徨わせ、六根への刺激に捉われながら生きている…
修行者は外界に注意を配りながら、常に内なる心を見張れ…世俗の人達が喜びと観るものを、出世した人はそれを苦痛だと観る…
世俗の人達が苦しみと観るものを、出世した人はそれを喜びだと観る…
世俗と出世とは、真逆な道なのである…
世俗の人達は、感覚器官に刺激を与えてあげる事が喜び.幸せだと勘違いして、刺激を求めて彷徨っている…それにより苦しみを造り出している事に気付かずに…
出世した人は感覚器官への刺激からの解放を平安.幸せだと知って、捨て去り離れて苦しみを造り出さない…
●所有と存在
世俗の人は所有の次元の事物の取得に余念がないが、修行者は存在の次元の事物の取得に余念なく努め励め
如来広大の恩徳
欲望の短命なる歓喜は小楽であると識り、生命存在の堅固なる歓喜は大楽であると識る…
■犀角独歩
善き同行者が居なければ、無理に群れることなく、犀の角のように独り歩め
朱に交われば赤くなる.
阿呆と群れれば馬鹿になる
■無明な人は儀式がお好き
儀式や祭祀によって人は救われるのではなく、その行ないにより人は救われるのです…

儀式や祭祀によって人は成仏するのではなく、その行ないにより人は成仏するのです…
★乏しき中から分かち与える者は、法を実践する事になるだろう。
百千の供犠をなす者の百千の供犠も.その様な行ないを為す者の功徳の百万分の一にも値しない。
★百年間、月々千回ずつ祭祀を営むより、自己を修養した人を一瞬間でも供養するならば、その供養のほうが百年の祭祀を営むよりも勝れている。
★葬儀や読経によっては、何ら死者への救いは得られない。葬儀や読経により成仏するわけではなく、その人の行い(業)と心の徳性により、彼岸に趣くのです…
★精神的倒錯
世の中に溢れる信仰とは、無明の闇の中を盲目的に生きる人々を、目覚めさせ.乗り越えさせ.解き放ちはしないのです…
それは得体の知れない神仏や眉唾な霊力によるご加護や救済を無責任に謳い、人々を多くの損失(時間.金財)と精神的倒錯へと陥れる麻薬的な害毒に他ならず、人の心を真に癒やすのは真実を直視することなのです…
お馬鹿に百年生きるより、真理を聴いて一瞬間生きるほうが尊く価値があるのですから…
人の命は消えてなくなるわけでなく、他の何かの形を以って、連鎖し.継続し.流れ続けるのですから…
このように如来は修行が完成され勝儀なる真理に到達されたときに、清浄で超人的な天眼をもって、諸々の生きる者が死に、また生まれるのを観た…即ち悪しきものと善きもの.卑賤なるものと高貴なるもの.美しいものと醜いもの.幸福なものと不幸なもの.そして諸々の生存者がそれぞれの業に従っているのを明らかに知った…

実にこれらの生存者は身に悪行を行い、言葉に悪行を行い、心に悪行を行い、諸々の聖者をそしり、誤った見解を抱き、誤った見解にもとずく行為を行う。
 彼らは身体が破壊して死んだ後に悪しき処、堕ちた処、地獄に生まれた。また他のこれらの生存者は、身に善行を行い、言葉に善行を行い、心に善行を行い、諸々の聖者をそしらず、正しい見解に基づく行為を行う。
 彼らは身体が破壊して死んだ後に善い所、天の世界に生まれた。
 このように清浄で超人的な天眼をもって、諸々の生存者が死に.また生まれるのを見た。
すなわち悪しきものと善きもの、卑賤なるものと高貴なるもの、美しいものと醜いもの、幸福なものと不幸なもの、そしてもろもろの生存者がそれぞれの業に従っているのを明らかに知った…

■主義

❖政治的.社会的イデオロギーを省く…

営利主義・合理主義・権威主義日和見主義・

利己主義・悲観主義血統主義・現実主義・

観念主義・実践主義・実存主義・理想主義・

刹那主義・唯物主義・平和主義・互恵主義・

禁欲主義・個人主義放任主義・差別主義・

大衆迎合主義(ポピュリズム)・ご都合主義・

懐疑主義排他主義保守主義・快楽主義・

神秘主義・完全主義・完璧主義・教条主義

虚無主義・拝金主義・退廃主義・審美主義・

理想主義・享楽主義・・など数限りなくあるが[仏教社会主義思想]に見るように、偏った見解や正義感に陥り.捉われ.拘り.執着すると、人々を平安に導く処か、闘いと憎しみしか生み出さない…

仏教は中道を心掛け、偏った見解や正義感により慈悲と平和と歓びの理念を失ってはならない…

 

■日本人の国民性

●信じる者は騙される

無思考に、権威に騙され.世評に騙され.伝統に騙され.欲望に騙され.風説に騙され.肩書に騙され.人は真理(真実)を見ようとはしない。
社会をつらつら眺むれば今まさに真の仏教思想を説く事の重要性を痛感せずには居られない。
●強い相手や権力には阿り.口をつぐむ一方.虐めたり叩いてもよさそうな奴は、徹底的に虐めたり叩いたりして憂さを晴らそうとする、そんな長いものには巻かれろ的で居ながら攻撃対象として村八分を造り出そうとする心の貧しさを併せ持つのが、多くの日本人(大衆)の国民性
付和雷同
⚫無思考
例え決まったことであっても、何処で、誰が、何の為に決めたを踏まえていなければ、唯、盲信しているだけ…そして妄信者はどうでもいい者物事.下らない者物事.つまらない者物事など小事には拘り.捉われ.執着してゴチャゴチャと考える癖に、肝心で大切な物事には感情的な主観を先立たせて、現実と妄想の狭間で藻掻いている…
 

 

如来品語録 自選集②

https://lineblog.me/bongteng/archives/2028355.html

如来品語録 自選集①

https://lineblog.me/bongteng/archives/2020440.html

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