吝嗇(りんしょく)

辻立ち托鉢場を上野不忍に定めて凡そ15年を経るが、その前は日本各地をあちらこちら随分と行脚もしたが、今.改めて思い返してみると.其々に土地柄があり出会う人々にも其々の風情があるものだと懐かしく回顧する想い出である。
しかし時代は変わり、若者は将来への期待を持てず.不安を抱きつつ、新たな挑戦をするより.保身へと奔り、老人は社会への配慮や尽力を欠きながら.我欲を貪り[年の功より亀の甲]とも揶揄されている…
飽食.物欲に魅入られた時代も過ぎ、安定的な精神世界へと昇華し.正に進化せんとした時、利権に塗れ.腐敗と堕落に汚れた政治や偏った観念.思想.カルトなどに翻弄され.心の豊かさと余裕と真実を見通す叡智を失ない、閉塞的で吝嗇な社会を築き上げてきた報いが、大災害や厄禍として現れている…
●寡(すくな)きを患(うれ)えずして.均(ひとし)からざるを患う(論語)
為政者という立場にある者が心がけなければならないことは、
国を富ますより、まず富の不平等をなくすこと、 人口を増やすより、
まず人民ひとりひとりの生活を安定させることにあるのだという。
「不平等をなくせば、国は自然に豊かになる。
人民が安心して暮らせるならば、人口が減ることはない」
さらに孔子は 「民生の安定こそが、国を安泰にする基礎なのだ」と断言している。
これは当に現代にも当てはまることであろう。
●吝嗇(りんしょく)
吝嗇とは極度な物惜しみ.下卑など心の貧しさを言う
幸福と不幸の分かれ道とは、つまりは自我の欲求の制御コントロールであり、自分の感覚.感情.主観への刺激への愛着.執着を乗り越え超越した[与える][他人に対し.その人の為になるものを与える]そんな心根(業・カルマ.形成力)から、生まれるものであり、所有の次元の事物の所有量ではないのです…

福も同じく[福が来たから喜ぶのではなく、喜ぶから福が来るのであり…

不幸が連鎖するのは、悩むから連鎖するのである]

●与える

◆不幸.不満な人生の日々を好転させる唯一の方法とは、節制とは似て非なる[自分のものだ]と物惜しみ.しがみつく貧しい心を乗り越え超越して[与える]ことなのです。

それは仕事でも人間関係でも恋愛でも、全ての人は.自分に対して何かしら[プラス]になるものを与えてくれる相手とか物事は受け入れ.引き寄せたいと欲し、無価値かマイナスになるものは排除し.遠ざけてゆこうとする天地自然の流れでもあり、その理法(貪瞋痴)に則った[与える][他の役に立つ]という行為が福徳の善いい波動を生じさせ.また自分の物だと.しがみつき物惜しむ行為が貧しい悪い波動を生じさせ、運気の流れを変えてもゆくのです。
本当の引き寄せの法則とは[与える][役立つ]という因の行為(起運動)の果報として廻り巡る(スパイラル運動)による悪因悪果または善因善果として運気の流れを引き寄せてゆく摂理法則なのです
他者にどんどん与えていきましょう。
そうすれば、因果律に遵った報酬として巡り巡って大きくなって返って来たり、徳や金運が積まれて大福を引き寄せたりしていくものなのです。
また、プライベートでも、他者にどんどん[与える]ように心掛けるようにしていきましょう。
言葉.笑顔.援助.金財.物.親切.愛情.奉仕…など、与える事ができるものは沢山あるはずです。
それが常に徳と運気をプラスの状態へと向かわせる秘訣でもあるのです

愚か者は感覚に刺激を与える事が幸せだと勘違いしている

メモ
心の肥やし  心の栄養素は教養
知識.情報.経験.苦労はそのままでは真に役立つ使い物とはならず、知識.情報.経験.苦労の中に学びがあり、肥やしとなし糧となる
人生の糧となる教養を育成する為には知識.経験.情報.智慧.苦労などを肥やしとした学びが必要であり、学びのない凡そ99%の知識.経験.情報.苦労などは役に立たない単なる記憶の残滓に過ぎない…