主観的思考

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釈迦尊(ブッタ)は明確にそして適切に仰った
「もし人が一切の妄想から離れる事が出来れば、人は汎ゆる苦悩から完全に解放される」

人は心のプロセス(五蘊作用)を.正しく理解しなければ.心を真に浄める事も.汎ゆる自らが造り出す苦悩(ドゥッカ)から解き放たれる事も出来ない。

先ず主観とは.内部からの汚穢な刺激(内部アーサバー)または外部からの汚穢な刺激(外部アーサバー)に対する五蘊作用によって現れているだけ。
だから状態.状況.心処により主観とは定まる処のない感情的なものに過ぎないが、人は間違い.勘違い.偏見.主観などの色付きのフィルター(色メガネ)を通して物事を見て.判断しているのである。

そんな主観を自分の本心だと錯覚して.捉われ.拘り.執着してしまうと、自分勝手で自己中心的な自我意識が妄想世界の王として君臨する事となる。(妄想は自分の思うままの空しい世界を出現させる)

つまり無思考な人とは[何も考えていない]のではなく、煩悩(存在欲)に促された感情的.主観的.自我意識で何時もゴチャゴチャと雑念していたり妄想しているが.知性的(理性的.客観的)な思考をしてない人を指すのであり、[何も考えない]という無念無想へ向かう高度な思考制御とは真逆な性質のものである事も理解せず「私は何時も何かしら考えているから無思考な人間とは違う」などと勘違いしている人が悪為ある者達に染脳(洗脳)されたり誘導されたり騙されたりしているのである。

現代社会で顕著に増えている[うつ病]など統合失調症や果ては精神分裂病などは一部の遺伝的要素を有する方を除き、一般的には実直な主観的思考から妄想的思考へと深まり、そうそう思い通りには物事が運ばない多様的な社会の中で.現実を受け止められずに理想と現実とのギャップに苦しみ.現実を受け止められずに妄想世界へと逃げ込んだ[主観]が.やがて[現実]と[妄想]との識別.認知能力を喪失してゆく事により.人格を崩壊させながら深めてゆく病だと言える。
だが主観とは自分の心を形成する大切な要素でもあり、無思考に社会に翻弄され誘導されている多くの人々よりは救いがあり、要は現実を受け止める勇気と捉われ.拘り.執着から.目覚め覚醒し、乗り越え超越し、自らを縛る妄想という縄目から解き放たれ解放され、自分(人間)の能力では.どうしようもない物事は[自分(人間)の能力では.どうしようもない事]だと理解し.無明な者.愚かな者.悪意ある者が張り巡らせる罠(霊能力.予言.超能力.魔術…)に騙されない心掛けが必要である。

【中道の思考】
人類だけが具する至高な思考法である中道の思考とは[主観に偏らず][客観にも偏らず]、[主観と客観]の中道に於いて.真実を導き出すものであり、主観的な直感が案外と的を射ていたりする事も在るが.主観とは大概は感情的な分別や嫌悪などに基づいているのである

そして何故、客観的思考ばかりではなく[中道思考]が重要なのかと言えば、客観的思考は必ずしも知性的.理性的思考ではなく知識や情報に基づいているものであり、今まで社会生活をしてきて既に何時の間にか身についてしまった私というフィルターを通した.思い込み.錯覚.権威.世評.既成概念.学説.通説.常識感…などに汚染されている処も多く、決して真理(真実.事実.現実.実相)を映し出してはいない。
⭕主観に偏らず、客観にも偏らず、主観と客観とを超越した処に在る中道を見い出す

【中道思考の修養】
女性の方に多く見受けられるのが、[自分の事しか考えていない人]
そんな方が、主観的思考➡雑念(ゴチャゴチャと自分の事ばかり考えている)➡妄想を始める。
※創造は知性によって生み出され、妄想は感情によって生み出される。故に妄想世界では自分は絶対者となり、自分の意に染まぬ人間や物事は破壊の限りをつくして殲滅し.自ら心を汚し.人を欲深くさせてゆくが[現実と妄想]のギャップの中に苦しみを増してゆく。
🔵自分の事ばかり考えてる
➡十の内に一つぐらい、他の人の事を考える
➡礼儀.状況判断.気配りを育成する
➡雑念や妄想を始めたら.その都度.気付いて止める(正念は一に止まる)➡集中力
➡多様性によって成り立つ社会➡阿呆や基地外も居る
自分好みの人ばかりが居てほしいという願望が適う事は、自分を嫌う人ばかりがいる世界も適う事になる。
色々な人がいて、幸せなのです。

「お互い様」と「お陰様」