妄想癖

人がもし妄想から離れることが出来たならば.苦しみはその人から離れ去る…

 

莫妄想(まくもうぞうー妄想するな)という禅語もあるように.妄想とは今という大切な時間を浪費させてしまったり.今やるべき事.今考えるべき事を蔑ろにしてしまったりするものなのです…

まして知識や情報は湯水の如く溢れ返り、人の欲望を刺激して止まず、何かしらに追われ急かされているような現代社会では、何時もゴチャゴチャと雑念していたり、妄想へ陥ってる人達も多く.それが為に尊大であったり.心を貧しくさせたり、我欲に翻弄されて苦しみや不満を造り出し、却って満たされる事がない人が多いのです…

人間とはその卓越した思考力で物事をアレコレと想像しながら生きています…

それは人間の人間たる証でもあるのですが.その卓越した思考力が我欲に基づいて感覚的.感情的.主観的に働くと雑念から妄想へと陥るのです…

言い方を変えれば.想像世界では現実問題として自分にも他人にもプラスとなるものを想像するものですが.人はそれぞれの妄想世界では絶対君主であり.世界の支配者であり.絶対神であり.スーパーマンでもあり.現実世界で怨み辛みとか毛嫌いする人達を何万人でも何百万人でも抹殺してしまえるのですから…

自分の都合に応じて展開してゆく妄想世界と、自分の思い通りにはならない現実世界とのギャップの中で苦しみ(ドゥッカ)を造り出したり、また在りもしない苦しみ(ドゥッカ)を妄想して造り出し杞憂を囲ったり、自己暗示や錯覚したりする苦しみ(ドゥッカ)の妄想に縛られたり(妄縄自縛)しているのです…

仏教でいう[妄想]とは単に欲望の空想.夢想や誇大妄想を指すのではなく、感覚.感情.主観.我欲による汎ゆる虚妄な想念(色気.食い気.邪念.迷妄.自己暗示.杞憂.根拠のない決め付け.思い込み.未練.記憶の残滓.執着など)只今は存在しない想念や意識に気を取られ.今と言う瞬間を疎かにしてはならないという意味であり、今という瞬間に無いものは自我を離れた創造.想像のほかは全て妄想に他ならないのです…

それらが自らが造り出した苦しみや悩みの根源であり、在りもしない妄想に縛られて今を取り逃がしたり、現実逃避のオカルティズムに魅入られてしまい.折角の人生を酔生夢死して激しい輪廻の激流を下層から繰り返すこととなるのですから…

成仏する為の絶対条件とは[貪瞋痴思考]から覚醒し.超越し.解放されることでも有り、その為には五集合要素(五蘊)への捉われ拘り執着から解放される事であり、その為には五集合要素(五蘊)により形成される自我意識(エゴ)とそれ(我執)による感覚.感情.主観への捉わり拘り執着から解放されて全ては縁起の上での現象に過ぎないことに気付き、目覚め(覚醒)乗り越え(超越)解き放たれる(解放)ことでもあるのですから…

先ず定理しなければならないのが、自我意識や主観的欲望(我執)により生じる思考が妄想であり、自分の事であっても客観的な思考であったり.また他人や社会の利益のある思考は想像(創造)であり、何れも[一で止まる]正しい思考を心掛けず、いつもゴチャゴチャと雑念を巡らせていると、空想.夢想.想像や妄想へと陥り易いのです… 

人は理解できないものに不安を覚えたり、今更どうしようもない変えられない物事や、失ったものに考えが及んで詰まらない妄想をしてしまいがちで、そんな妄想ばかりしているといつの間にか現実だか妄想だか判らない混乱した思考と妄想世界の甘美感の誘惑に魅入られ妄想を深め、ある日.傍と現実に気付く時.現実世界と妄想世界とのギャップに現実逃避へそして躁鬱症、分裂症へと陥ってゆくのですから…

 

ネガティブな妄想は、現実世界を歪めてしまいます…それでなくとも社会に溢れる知識や情報の類に気付かずに染脳(洗脳)されて既に物事にバイアスを掛けて見ているでしょうから…               

不幸な未来を想像すれば、自ら不幸な未来を引き寄せてしまいます…       

変えられないことではなく変えられることに目を向ける。失くしたものではなく、まだあるものを考えてみましょう…

 

妄縄自縛

不安や悩み、貴方を縛る執着はただの妄想自分の心が造り出した、幻想(妄想)でしかないのです…              

そんなものに苦しむ必要はありません。  

今自分ができることをやる…      

どうなるかわからないからこそ、どうなってもいいような心構えでいる…      

妄想を手放し、しなやかで自由な心で在りましょう…               

分別分断は迷いであり、妄想であるあれこれゴチャゴチャと雑念してると妄想へと入っていってしまう…            

物事を相対的に見て、一方を欲すれば.片一方を怖れる…             

一方を引き寄せたいと欲すれば、片一方を遠ざけたいと嫌う…

兎角、この[妄想思考]が人を[貪瞋痴思考]へと誘い、心を貧しくさせてゆく[苦しみの根源]なのですから…

貧しい心とは.いつもまだ満たされていないという不満と.もっと欲しいという我欲が住みつき、満ち足りることが少ないのです…

幸福や満足とは外世界からもたらされた物の多寡には関係なく、自分自身の心の満足度.如何なのですから、真の満足をもたらすものは[足るを知る心]だけなのです…

欲に塗れていたり.他人の評価に気を取られたり.自己顕示欲に苛まれて名利や所有欲に魅入られていては平安が訪れることなどないのですから…

全体性として存在している世界を在りのまま受け入れようとはせずに分断し.分別して捉えようと焦点(フォーカス)をあてて、これは好き.あれは嫌いとか、これは良い.あれは駄目とバイアス(偏見)が掛かった主観で判断.判別し、これが[自分の考え]だと錯覚している事にさえ気付けないでいるのです…

しかしそれらは単なる五集合要素(五蘊)という精神作用による無常な現象に過ぎず、妄想への捉われ.拘り.執着などを捨て去れば、時間.環境.状態.心境などで如何ようにも変わる凡そ真実(真理.事実.現実.実相)とは掛け離れたものに過ぎない事に気付くでしょう…

また生と死・善と悪・美と醜・得と失・勝と負・悟りと迷いというように、物事を相対的にみて、一方を取り他方を捨てようと分別し、それに執着する念慮などもすべて妄想と言えるのです… 

簡単にいえば、迷える想念のことであり、したがって[妄想を止める][一で止まる]とは、「相対的な見方に立って思いわずらうことなかれ」という意味なのですから…