詐欺師の発想

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仏道修行とは究極から言うならば、至難な道なれど.お釈迦さまが到達された境地へと向かう事であり、如何に理路整然と語ろうが如何に深く理解しようが、実際にお釈迦さまを目指して歩いていないのならば、それは学者かお宅か単なる信者に過ぎず.人々を真理を依り処とした堅固なる安心.安全.静逸.歓喜.こよなき幸せへと導く導師とも修行僧とも言い難い。
[教条主義]の項にも書いたように[自灯明経][法灯明経]という無記の経典こそ仏の教えの最上経典であるのは、お釈迦さまの遺された御言葉と検証された理法(法)を戒めに、自分に具された理性や智慧を頼りに、この場合.お釈迦さまなら
どう考え.どう振る舞い.どう為さるかのかと考え、お釈迦さまのように考え、お釈迦さまのように振る舞い、お釈迦さまのように行ずるように努め励む事こそが真の聖なる仏道なのである…
故に.何時も言うように.能書きは立派な大乗信仰宗を、お釈迦さまの仏の教えを真に理解できなかった脱落者達が大衆迎合的に編み出した信仰宗教(新興宗教)であり. お釈迦さまの権威へは縋ってはいるが、決してお釈迦さまの説かれた仏の教え(仏教)とは言い難く、上座部も文字に準じた観念論者(唯識)に過ぎない…
そして大衆迎合的とは、無明の闇に包まれた大衆の闇を晴らすのではなく却って更に盲目的にさせる無明な大衆の欲求.願望に添う、得体の知れない神仏からの他力.不可思議.浄土極楽.守護.御利益などを耳障りのよい文言と舞台.演出.儀礼.儀式などを駆使して根拠もなく無責任に約束する詐欺師の発想による詐欺師の手法に他ならない…
詐欺を詐欺ですと認める詐欺師などいないように、これを多くの無明な大衆と僧は必ず否定するだろうが…笑