受難

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今日はちょっと厄介な[受難]をテーマとして語ろうと思いつく…
受難と聞くと先ずキリスト様が思い起こされ、キリスト教にも触れるが批判や否定ではなく[分析]だと心得て頂きたい…キリスト教とはキリスト様の数々の受難を語る書物であり、その数々の受難について加害者を悪と定義し、罪深き人類に代わって受けた聖なる受難であるという定義により成り立っている…その真偽や善悪は別として、キリスト教の素晴らしい処はその演出力に尽きるとも思う….壮麗な教会な教会から流れ聞こえる.その美しき旋律の賛美歌や儀式.儀礼に、感覚的.感情的.情緒的.主観的な無明な人たちが心奪われてしまうのも当然である…
しかし愛と救いという耳障りのよい言葉で覆い隠してはいるが、生死の苦しみからの解放というテーマは全宗教共通のテーマでなのであり、演出下手な仏教には仏教イコール[死と苦]というレッテルが強調され刷り込まれてるだけであり、信仰宗は別として.仏教には凡そ受難も宗教戦争も差別も洗脳(染脳)とも無関係であり、ただ信じる(盲信)ことを強要する事もなく、却って戒めて真理(真実.事実.現実.実相)へと向かうだけであるのだから受難も争いも差別も存在し得ないのである…