教条主義

道は語るものではなく、歩くもの…
教条主義者が崇高な仏の教えを歪め、貶め、そして滅ぼす…
凡僧は道に阿り.愚僧は道に惑い、無自覚な僧は無思考に追従し、違えし道を疑う事もなく、俗物僧は金財勘定で余念なく、生臭は妻子に縛られ.道.違えしも疑うことなく、教条主義者となり果てて不毛な盲目的系譜を紡いでゆく…
歴史を鑑みれば.全て.これこそが衰退の因であり、滅亡の果を現わす。

深淵なる先見の明により.お釈迦さまが、アーナンダの冀求に応じて遺された御言葉こそ無記なる最上聖典[自燈明経][法燈明経]という一対の経典であり.有難い道標である
自燈明と法燈明
アーナンダよ…今でも、私の死後でも、此の世では[自分を依り処(燈明・島)とし、他を依り処としてはならない…法を依り処(燈明・島)とし他を依り処としてはならない]という真理に至る能力は皆んな既に自分自身の内に具され、法(ダンマ・真理法則)は天地自然の法則(移ろい)の中に見い出せる…
権威、親愛の情、従順、協調などより
大切なものは、 皆な既に己に具された能力である自覚と感性と直感 であり、智慧.意志.信念.啓発.克己.努力.精進である…​
アーナンダよ、今でも、私の死後でも、此の世で[自らを島とし自らを頼りとし他人を頼りとせず、法を島とし法を拠り処として他のものを拠り処としないであれ]それを実践している人々がいるなら. 彼らは修行僧として最高の境地にある者である...

 

苦しみは何処から生じる…

不安は何処から生じる…

不満は何処から生じる…

恐怖は何処から生じる…

痛みは何処から生じる…

憂いは何処から生じる…

空しさは何処から生じる…

儚さは何処から生じる…

弱さは何処から生じる…

悩みは何処から生じる…

凡そ全ての心外なドゥッカ(苦)は、無明(本質的無知)の闇の中を手探りで盲目的に幸せや喜びを探し求め、尽きぬ欲望への渇望と執着から生じる…

八正道により.真理(真実.事実.現実.実相)を灯火として無明の闇を照らし出し、無明の闇を晴らしたならば.自ずとドゥッカ(苦)からは解放され.堅固なる平穏.安楽.歓喜.静逸.こよなき幸福は訪れる…

条件(縁起)により生起し形成されたものは、条件(縁起)により変化し滅する性質のものは、苦であり.空であり.無常であり.非我であると、確かに識って無明(本質的無知)の闇を振り払い、当たり前でない事を当たり前だと錯覚して、当たり前の事を当たり前ではないと感じさせる無明の闇の中に居る事にさえ気付けない者は、決して真理へ到達することなど出来ない…

教条主義(ドグマティズム)

実践的な検証を怠り、教義.教説(ドグマ)を無批判に盲信する組織の知的怠惰や驕りや硬直化をさし、真理(真実.現実.事実.実相)の実現の為には 教条主義を脱して実践的な検証に根差す理論.観念の深化と進化と創造を試み.推し進めて行かねばならない、真理に裏打ちされない妄想的な単なる定説.理論.形而上学や観念が頑迷で独善的な組織や個人を造り出し、協調性をそこなった他説.異説に対する排除.攻撃.敵対を肯定化するようになるが、しかし単なる仮説や観念が実践により検証された真理(真実)を包摂することなど有り得ないのである。[真理は真理、虚仮は虚仮]