万病の元

万病の元は.心の使い方であり、最高の治療もまた..心の使い方なのです…
不幸への道も.心の使い方であり、最高の幸福への道もまた..心の使い方なのですから…

得る事(所有の次元の事物)によって生じる一時的で短命な感覚的な小楽(喜び.快感.満足感.愉しさ)が幸せだと錯覚して魅入られ.欲望の炎を滾らせている無明(無知)な人は.本質的には自分の心が貧しい事に気付けないだけなのです…
愚かで貧しい心とは、欲するものが得られた時は.楽しく快よいが、もし得られなければドゥッカ(苦.悩み.心痛.憂い.哀しみ.悔い.迷い.不満.怒り.儚さ.空虚さ.惨め.弱さ.脆さ.無明さ.無常さ.欲望.怒り…)へと陥ってしまうという、不満や貪欲を基軸とした餓鬼心(まだ足りない〜.もっと欲しい〜.もっとくれ〜などと言う満たされる事のない貪りの心)に他ならず.尊大.物惜しみ.自我利得.吝嗇に州ちゃして、得たものは全て自分のものだとしがみつき、無私で他者に分け与える事が出来ない心を言うのです…

そんな煩悩(存在欲)に起因した.貪り.怒り.無明(三毒)を根底とする[餓鬼心]を浄めていかなければ、その分泌させている毒素(猛毒)により癌.心臓病.アルツハイマー.脳梗塞などを引き起こすのであり、その為に近年それらが死亡原因の上位を占めるのは言い換えれば、物質文明に魅入られた日本人の心が貧しくなってきたという[心の貧困化]こそが本当の原因でもあるのです…
また責任感が強く完璧主義的傾向がある方が自我意識を深めると理想と現実とのギャップに苦しみ視野を狭めて躁鬱症などに陥り易く、自信喪失してゆくとパニック障害などを起こしたりするのです…
もっと心を解放し.ゆったり呼吸して.詰まらないもの事.どうでもいいもの事.下らないもの事などを、ゴチャゴチャ.クヨクヨと考えず.捉われず.拘らず.執着せず.を心掛けていれば良くなっていくのです…

それは在るがままに喜び.満足.愉悦.快楽.安定.安心.多幸感を味わう事が出来ず.常に五感管(眼耳鼻舌身意)を外世界へと向け、何かしら得るものはないかと彷徨わせている心(餓鬼心)であり、その餓鬼心により心を汚し.欲深くさせ.自我意識(自己中心.自分勝手.自利自得)から離れられなくなるのです…

物質文明.権威主義社会の中で生きる多くの現代人が惑わされ冒され苦しみ悶ながらも気付かない難病でもあるのです…
世間と言うものは.事実を素直に認める性格は持ってないもので、伝統的な事.思い込み.権威.信仰.迷信.先入観.既成概念.固定観念.文化的価値観.染脳(洗脳)....などいつの間にか掛けられた.心理バイアス(色メガネ)が優先的に信頼され.人々に事実(真実)を理解させる事はひどく骨の折れる作業を伴うものなのです…
まして医者でもない宗教者が.例え多くの生命を現実に救って来たという事例があるからとは言え、何かしら得るものはないか〜.自利自得するものはないか〜と.貪り.欲しながら[所有の次元の事物]に愛着.執着しながら[自分は正しい]と錯覚して生きている人々に向って、説教臭く[捨てなさい]と語ったとしても恐らく理解されはしないでしょうが、難解で深淵で.微妙で.奥深く理解し難い.真理(真実)を、無明の闇の中で欲望に魅入られて生きている人々に説くのを躊躇って居られた釈迦様に梵天が勧請したと言われる「池に咲く水蓮の華の如く.水面に清らかに咲く華もあれば.泥水に浸かっている華もあります……水蓮の華.同様.人も千差万別…真理が如何に難解であろうと.必ず理解する者も居るはずです…どうぞ人々の為に、お説きください…」という一説を頼りに.如来は善の香りを放ち続けるのです…