六根清浄

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        自分を高め 世界を変える真正な仏教
目覚め、乗り越え、解き放て!

六つのもの(六根)がある時世界が生起し 
六つのもの(六竟)に対し親しみ愛し執着し
世界は六つのもの(六識)に悩まされている
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sp169.
世間には五種の欲望の対象(色音香味触)があり意の対象が第六(法)であると説き示す
それらに対する貪欲と執着を離れたならば
即ち苦しみから解き放たれる。sp170.
世界は気持ち次第で如何ようにも変わるもの。恨みを抱いていれば恨み辛みの日々を生きる事となり、悦楽に充たされていれば楽しく快適な毎日となる。
世界は自分の心の投影されたものであり心が楽しければ花も雲も微笑んでいるように感じ、心が悲しみに沈んでいれば風も海も咽び泣いているように感じる、感覚器官が感受し認識している世界だと錯覚しているものは実は心の反映であり、心が孤独を感じれば誰と居ようが大勢で居ようが孤独であり、自分の心が卑しければ世界も卑しく映し出され、自分が清ければ世界もまた清く映し出される、心の在りようで如何ようにも映し出されるもので、自我意識で自己中心的に自分の都合を優先させた色眼鏡を掛けて世界を自分の意に沿って眺めようとすれば現実と妄想との間に齟齬を生じさせ、自分の意に沿わない世界を憎んだり怒ったり怨んだり、苦悩して世界に対して破壊欲を抱く嵌めに陥る事さえあるのです。
六根清浄とは即ち各感覚器官(眼耳鼻舌意)により生じる感覚への貪欲、執着からの解放に他ならない。
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しかしこれを後ろ向きにそして否定的に捉えてはならない。目を閉じ耳を塞ぎ鼻を詰まらせ味覚を害して触覚が鈍い事を礼賛するのではなく、喜びや快い感覚を次から次へと求め続けようと彷徨う煩悩の要求に翻弄されるから苦しみ(ドゥッカ)に行き当たるのであり、在るがままに目に入る視覚情報を味わい、耳から入る聴覚情報を味わい、鼻から入る聴覚情報を味わい、味蕾から入る味覚情報を味わい、接触から入る触覚情報を味わい、心に生じる心象を味わいながらも常ならざる変化生滅してゆく一つの感覚として捉え、貪欲も執着も起こさず囚われず変化生滅さえも味わう情緒や感性の中に平安も歓びも悦楽も永遠性も見い出すことが出来るのであり、人は常に一生一度の感覚情報を受け取り世界を想像しているのであり、それを五集合要素(五蘊)の想蘊(記憶情報)が固定概念化して感情化(行蘊)し主観化し妄想化させた意識(潜在概念)を積み重ねながら煩悩(生存欲)の意欲により儚い永遠の存在への渇望を叶えようと次から次へと喜びや快楽を貪り欲し執着し続けているのです。
六根清浄とは感覚的なものを貪り欲し執着する事により感情化させ主観化させ妄想化させ心に色を付け自我意識を深めた心からの解放であり浄化であり、それは感覚的なものへの貪りや執着がドゥッカ(不安定さ.苦しみ.悩み.迷い.悔い.儚さ.空しさ.惨めさ.実質の無さ.哀しさ.恐怖.欲.愚かさ.無明)を造り出してゆき、心を汚し無明の闇を深め人を盲目的にさせてゆくからであり、六根清浄(眼鼻耳舌身意)から得る各情報を制御(コントロール)して煩悩に取り込まれ囚われ魅入られ汚されないように各感覚器官をよく見張らなければならないのです。
それは無理に大切なお金を倹約しても不満を溜めるだけで何れ何処かで散財してしまったり節約に奔っても心が貧しくなるだけであり、浪費しない為には財布をよく見張るだけであり無理して見たい物を見ない事でも聴きたい物を聴かない事でも食べたい物を食べない事でもなく本当に欲し必要な物なのかを理知により識別するだけであり、心をよく見張り制御(コントロール)して煩悩の要求に踊らされず現実的な身の丈、身の程、身の分に沿って計る事が平安で快適で楽しく幸せな日々を造り出してゆくように、六根をよく見張り貪りや執着から離れ、感覚に汚されす目覚め(覚醒)、乗り越え(超越)、解き放たれ(解放)、清浄で自由な感性で総てを奥深く味わいながら平安,安定.安楽.悦楽.歓喜.清逸などを実現させてゆくのです。
「刺激に虚を衝かれぬよう感覚器官をよく見張り、心を鎮め、心身を調える事こそ正しい浄化への道である。」
「自我の妄想により人は貪り争い憎み合う自我の妄想から目覚め乗り越え、自我に捉われ拘る執着により人は汚穢れてゆく」
♥自我とは・・身体.心(意識)とは条件(因縁)により生起している変化生滅を繰り返しながら移ろいゆくものであり、何処にも絶対的で実存的で主宰的(魂.霊魂)なものなどないにも関わらず五つの要素(色蘊.受蘊.想蘊.行蘊.識蘊)が集まり機能する時、自分や私という意識を生じさせ、固定的で実存的で実相的なものだと錯覚し、捉われ拘り執着してしまう自我意識を創り出す。
身体は細胞.血.肉.骨.神経.内臓.器官に至るまで全てが日々入れ替わっていくものであり心(意識.思考)も、条件(因縁・内部刺激.外部刺激)のない処に意識や思考は生起せず、その意識や思考は条件(因縁・環境.時間.状態.内部刺激.外部刺激)などにより変化生滅しているだけのものであり決して固定的で実存的で実相的なものではないのだ。
故に六根(眼耳鼻舌耳意)という感管を浄化させてゆく事により心根(潜在意識.潜在煩悩)を清浄化させることが出来るのである。
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