思考停止

お互い様とお蔭様

【思考停止について】
「俺はツイてない」と、自分の不運を社会や他人のせいにする人は思考停止しがちだと言われるが、これは全くの誤解である。
●まず[思考停止]という言葉の誤解について、世の中で言う[思考停止]を、[何も考えていない]と解釈すると、大勢の愚かな人達は「私は違う」と勘違いして安堵するだろうが、実はそれが大間違いであり.何処が違うか理解できない処が[思考停止]だと言えよう
【思考停止】
思考停止とは高度な瞑想などで得られる状態であり、普通の人達は考える必要がない時でも.何かしら考えていないと落ち着かない(つまりは煩悩に考えさせられている)のである

世の中で使われる思考停止とは、詰まらないもの事.下らないもの事.どうでもいいもの事はいつもゴチャゴチャと捉われ.拘り.雑念したり.妄想しているくせに.集中してよく考え.よく吟味すべき大切な物事に対しては.難儀だと感じたり.頭が痛くなると言って.考える事を放棄し.そられはの思考停止させて、またぞろ、詰まらないもの事.下らないもの事.どうでもいいもの事をゴチャゴチャと思考しているような集中力が散漫な人達の事をいうのであり本当の意味での思考停止を試みても、多分.何秒間も続かず.何かしら快楽や喜びや楽しさや興味を向ける先を求めてゴチャゴチャと、五感官(眼耳鼻舌身)を彷徨わせていることだろう。

「感受する刺激がない処には、意識や思考は生じない。」
意識や思考とは五蘊作用(色受想行識)を回転させて、現れた概念に対して脳が思考し主観を形成しているのであり、感受器官の情報や刺激へ心が向かわなければ、五蘊(五集合要素)は回転せず、概念➡意識➡思考➡主観は生じない。
🔵これを仏教では思考停止(想受滅)という高度な境地を指す。
●下らないもの事.どうでも良いもの事.
詰まらないもの事に.捉われなくなって、初めて人は安寧は訪れる。
●下らないもの事.どうでも良いもの事.
詰まらないもの事に.捉われなくなって、
初めて人は考えるべきものが見えてくる。
●[自分]を主語とする思考は、自我を深めてゆき、諸行無常という理法により、苦と不満の中を生きてゆく事となる。