想 念

貴方が見て.聞いて.感じて.思考して.認識している世界とは貴方の想念が描き出した虚像に過ぎないのです。
物質的.化学的.電気的.心的なエネルギー体が五つの要素として集まって機能(現象)する時.私という想念を生じさせ、外界の現象との出会いにより世界という想念を創造しているのです。
哲学者ショーペンハウエルが言った[意思と表象としての世界]も[生きんとする意志]も.言わば想念により自分観と世界観を生じさせているのだと仰った釈迦尊(ブッダ)の言葉に通じるものであり、思考.想い.感覚.感情に意識が向いた時に生じた想念であり、その想念に働いた意志が業(カルマ)という動機であり、想念に動機(カルマ)が働いた[行為]と.動機(カルマ)が働かない[働き]とがあるのです。
⚫苦は愚心に付き従う
見て.聴いて.感じて.考えて意志.衝動.情緒.理性により、想念を生じさせる。
今ここに居る我々.それは私達の想念の産物であり、想念によって見え方も変わる。
この世界も同じように想念が創造したもの。
間違った想念に基づき、話したり行ったりすれば、煩悩や苦しみ(ドゥッカ)が我々に付き従うだろう。
轍(わだち)が牛車の跡に続くように。
私達が世界だと信じている(錯覚)ものは実は想念による心の反映であり、自分が孤独を感じれば家族と居ようが仲間と居ようが、やはり孤独なもの。
⚫心、清ければ悦楽なり
今ここに居る我々.それは私達の想念の産物であり想念によって如何ようにも変わる。
この世界も同じように想念が創造したもの。
正しい想念に基づき話したり行ったりすれば、悦楽(福楽)は我々に付き従うだろう。
影がその身から離れず付いてくるように。
世界は想念による心の投影である。
心が楽しければ、花も雲も微笑みながら踊り舞い、
悲しみに沈んで居れば風も海もむせび泣いている。
恨みの想念に妄執すれば、恨み辛みの日々を送り他を慈しむ想念を育成すれば憎まれ恨まれる事なく平安で歓びと幸せな日々を送る事が出来るだろう。
恨みに報いるに恨みを以ってしたならば、遂に恨み恨みの止む事なし。
恨みを除くものは慈悲の心で捨て去るのみ、此れ万古の真理なり。
⚫成功の法則(達成のエネルギー)
この世界の全ては不安定性の安定化運動性である。
例えば地球自体が廻っているのも.太陽の周りを廻っているのもるのも安定化運動であり、ドゥッカ(苦)と言う不安定状態から安定状態(スカ.楽)への欲求により空腹で苦しいから飯を食べ、やがて苦しいから排泄する安定化運動を繰り返し、苦しいからいきを吸い.やがて苦しいから息を吐く安定化運動を繰り返しているのです。
絶対的な安定は無欲に他ならないのですが、人間、生きる意欲も欲ですから.全くの無欲では生きられず、生きていたい存在していたいという煩悩の欲求による快感.快楽を求める利己的な欲望を全く否定しては活力(エネルギー)も失なうだけなのです。
諸々の苦しみ(ドゥッカ).諸々の悪事の根源は利己的な欲望ですが.同時に文明や進歩や発達を促し成し遂げさせたのも過酷な大自然や社会に対する利己的な欲望であり、仏教の説く[中道]とは利己的な欲望に偏らず利己的な欲望の対極にある利他との中道に於いて堅固な平安.悦楽.喜び.幸せが得られると説き、実は成功や達成にはこの偏らず縛られず惑わされない軛(くびき)を解かれた(盲目的状態から目覚めた)自由な発想(想念)と努力が必須なのは[やじろべえ]の如く片極に偏らない両極の中道という安定の次元に於いて.全てのエネルギーはそのポテンシャルを十二分に発揮させ観自在に働くものなのです。
⚫究極の中道(安定)とは[空]であり.空の概念とは.無の概念と全く別物であり、無の概念とは[全く何も無い事]を言うのに対して.空(中道)とは[満ち溢れているが安定していて作用しない状態にある]という事であり、例えばこの大宇宙はエネルギー(梵)に満ち溢れていますが空(中道・無色・非物質)の状態では現代科学の電気的.光学的な探査装置を以ってしても認識.確認.探知.作用する事が不可能であり、唯一.浄め貴められた同根のエネルギーである心的エネルギーに依ってのみ認識.確認.探知.作用が可能なのです。(しかし心的エネルギーで星は動きません)
現代科学でいう[相対性の破れ]とは空(中道.無色.非物質)状態の不安定化により物質化したエネルギーの運動によりこの世界の全ての活動があるという事にやっと気付けたという事に他なりません・・笑