幸せに生きる為に必要なもの

物質的には何でも揃う今の世の中が.却って無明な人々の欲望を刺激.翻弄してしまうのか、幸福度.満足度の調査では日本は随分と下位集団にランクインされているらしい…
マァ、幸福度調査に因らずとも.世の中を見渡して見ても肯けることではあるが…
つまりは幸福度.満足度調査とは心の貧困度調査に他ならず、過っては物質的な豊かさより心の豊かさに依って立っていた我が瑞穂の国が、何故こうも心の貧しい人々が増殖する破目となってしまったのかは、社会が物質の豊かさばかりを追求してきた余り、精神性の豊かさへの追求を疎かにしてきたからである。

先ず人間は誰でも何時でも幸せや喜びを探し求めながら生きている…
これから自殺しようとする人達でさえ.その中に喜び.幸せ.安心を見い出しているからに他ならず、行き場を失った無明(無知)で純粋な了見の狭い心にはユートピアとさえ映るらしい…
では現代人は幸せや喜びを必死に探し求めながら得られたのだろうか…
否、世の中には苦しみと不満が渦巻き.せめてもの救いとして.手身近な所有の次元の事物や者に執着.愛着しながら、辛うじて短命で一時的で無常で空しい喜びや満足に依存し魅入られている…

世の中には[単に感覚.感情.主観を慰める為のもの]と[生きる為に必要なもの]と[幸せに生きる為に必要なもの]の三種の必要なものと不要なものがあり、先ず、それらを明確に認識してゆく事が大切である

判り易くする為に.必要なものを道具(アイテム)と表現するならば、生きる為に必要な道具(アイテム)として便宜的.付随的な手段としての[所有の次元の事物(後記)]があり、幸福に生きる為の道具(アイテム)として[存在の次元の事物(後記)]があり、それ以外は[単に感覚.感情.主観を慰めるもの]乃至[不要]なものである…
〘大別〙
❖単に感覚.感情.主観を慰める為のもの
人生の大半はこれらの為に費やされ、忘却されたり記憶の残滓として残される
❖生きる為に必要なもの道具(アイテム)
所有の次元の事物
❖幸せになる為に必要な道具(アイテム)
存在の次元の事物
これらの違いの認識が出来ないと手身近な感覚的.感情的.主観的な刺激をもたらす物事や生きる為に必要な所有の次元の事物などに魅入られ.翻弄され.執着.愛着しながら、心を貧しくさせ、自我意識(自己中心的なエゴ意識)を膨らませてゆき、幸せや満足を追い求めながら、結果として苦や不満を積み上げてゆく…
❖つまりは幸せや満足を探し求める方向性が違うのであり、現象的な感覚.感情.主観への刺激への執着.愛着や.所有の次元の事物への執着.愛着という方向には.本当の幸せ.満足.平安.安全.歓喜.悦楽.静逸などない事に気付かなければ、真に堅固で安定的な幸せや満足は得られない。

所有の次元の事物とは、何かしらの為に有る道具(アイテム)であって、道具(アイテム)自体には何の意味もない性質のものなのです
例えばお金は社会で生きるための道具(アイテム)であって、砂漠に一人で彷徨っていれば空腹も.喉の渇きも癒やすこともできませんし、大富豪でも社長や博士や権力者でも、苦しみや悩みや問題をいっぱい抱えて生きているのですから、決して幸せになる為に必要なものだとは言えない、単に生きるために必要なものの類でしかないのです。
若い人は幸せになろうと結婚に憧れますが、果たしてどれほどの人が幸せになれたでしょうか?結婚=幸せと考えるのは単なる妄想に過ぎませんね、子孫を残すという所有の次元の事物の一つであり、生きる為に必要なことであり、決して幸せになる為に必要なこととは言えませんね
生きる為の雑事が増えただけで、雑事の中に幸せを感じたとしても何時.変化生滅し.移り変わりドゥッカ(苦しみ.悩み.痛み…)となる性質を持っていますね

所有の次元の事物により、その時の感覚や感情や主観(想い)を一時的に満たした無常な想い出(記憶)で虚しさ(心の隙間)を慰めるだけ、ましてその想い出(記憶)に縋り付いていては、今を生きているとは言えず、[今]は死んでいるも同然となっている

❖何を学び、何が自分の糧となり、幸せに生きる為にどう役立っているか

所有の次元の事物とは生きる為に必要な道具(アイテム)であり短命で一時的で無常で空しい喜び.多幸感.安心.満足は得られるが変化し消え去る本質のものであり、決して堅固で安定的な幸せや満足を得る為の道具(アイテム)ではなく、便宜的.付随的な手段.道具(アイテム)に過ぎず、目的物ではない…
食べるでも[何を食べる]は問題ではなく、
感覚.感情.主観にどんな刺激を与えるかも重要ではなく、生きる為に何が必要か、もっと掘り下げれば、幸福に生きる為に健康は重要な要素であり、その健康を培い保つためには何を食べるべきかが最重要なのです。
どんなに知識や情報があろうとそれを幸せのために役立てないとしたならば、大切な時間とお金を無駄に浪費してきただけに過ぎず、真に必要な事が明確であるならば、悩みや苦しみを生じさせる盲目的な無明(無知)の闇は晴れるのです。
❖人間、当たり前だと思っている事が案外.当たり前ではなく、当たり前だと錯覚させてしまうほど恵まれた環境.現実.時代に生きている喜び.満足.幸せに気付き.見い出し.感謝できるか.できないかの違いだけであり、その感謝の心が、次の感謝の心を生じさせてゆき、豊かな心を培ってゆく、自業自得.自因果応報の真理なのです、だから頂乗なる仏教は.他力ではない[智慧の宗教]と呼ばれる所以なのです…

❖真の幸せ.満足とは…
①即今実存
幸せ.満足とは.過去にも未来にもなく.今という瞬間.瞬間の中に在るもの
②所有量ではない
幸せ.満足とは.もたらされた物事の多寡(所有量)には関係なく、心の満足度いかんである
③他人の評価によらない
幸せ.満足とは他人と比較するものでも他人の評価にもよらない…
欲に塗れて他人の評価や名利に捉われていては幸せ.満足は得られない
④心の余裕
自分に執着.愛着していれば他人の幸運は苦痛であり、他人の不運は蜜の味がする…
心が本当に幸せ.満足を得ていくと他人の幸不幸を我が事のように同調できる
⑤思惑や都合に寄らず
自分の思惑や都合に執着していると思い通りに運ばない現実にイライラしたりする…
晴れの日があれば雨の日もあり、良い日があれば悪い日もあって当然であり、どちらも受け入れる度量.寛容さを育成するのは自分の多幸感.満足感.充実感である
⑥孤独と孤立
協調性を高めるか.孤独を楽しむか
孤独を楽しむことも出来ず.尚且.自我意識が強く協調性を保てないような人は、苦しみや不満(ドゥッカ)の中を生きてゆく事となる…
心が満ち足りて幸せな人には孤独は苦痛ではなく安楽なのである…
社会やコミュニティへ執着.愛着.依存しながら孤立してゆく人に必要なものこそ、自我意識や貧しい心から解き放たれ解放されてゆくことであり、死んでから解放される訳ではなく、生命は心のレベルに遵って輪廻してゆくのですから…
⑦精神性(人格)
人はその精神性(人格)により幸せ.満足の質と対象が変わってゆく、低次元では感覚.感情.主観への刺激の中に幸せ.満足を見い出すが、無常で空しく現象的な短命なものでしかなく、多くの苦と少しの楽の間を翻弄されながら生き、中次元では生きる為に必要な[所有の次元の事物]の所有量=幸せ.満足だと錯覚するが[所有の次元の事物]の変化生滅してゆく性質に翻弄されてゆくこととなる
真の心の幸せ.満足とは自我意識と執着.愛着から解き放たれた心の富貴と智慧(叡智)の中に顕現する。
【定義】
🔵所有の次元の事物 
金銭.財産.物欲.地位.名誉.称号.身分.異性.伴侶.家族.仲間.権威.権利.承認.理解.権力.勢力.威力.健康.長寿.若さ.知識.情報など
🔵存在の次元
人間性.精神性.人格.人の質.人柄.器量.寛容さ.実直さ.知性.存在感.本質的性質など
🔵真実を歪めるもの(色フィルター)
思い込み.勘違い.欲目.偏見.邪見.固定観念.既成概念.錯覚.誤解.無知.仮説.風説.権威.歴史.伝統.迷信.主観.感覚.感情.格調.染脳(洗脳)など

心の富貴

目覚め, 乗り越え, 解き放て!
❖堅固な幸せの達成こそが.真の勝利者である。
繁栄した日本に生まれて.物質文明の洗礼を受け、所有欲に翻弄されて便宜的で付随的な価値しかない[所有の次元の事物]への欲望に魅入られ執着.愛着しながら.苦しみや不満(ドゥッカ)を造り出しているのが現代人であると言え、そんな現代であるからこそ頂乗で真正な仏教が必要とされるのです。

情報社会の真っ只中を生きる今の人々は、世の中に溢れ返る知識.情報(新聞.TV.書籍.雑誌.インターネットなど)の90パーセントが作為的.洗脳的.誘導的.煽欲望的なバイアスが掛かったものである事に気付かずに、世の中に張り巡らされた罠とも言える情報.知識に振り回され.洗脳(染脳)され.誑かされて.真実を見失いながらも.真実を追求しようともしない…
多くの無思考な人達は[では何を信じたら良いのか]と言うものであるが…元来.[信じる]とは物事が明確には見えてない人のものであり、人は物事が明確に見えない限り.真には先には進むことなど出来ないものだから、蔑ろにするか.諦めるか.無思考に従うしかないのであるが、人は自分を基準とした尺度でしか物事を見ることが出来ず、それでいて先に進まなければならないから、偏った見方をしたり、間違った見方をしたり、浅薄な見方をしたり.迎合的な見方をしたり.追随的な見方をしながらも、[自分の判断は正しく.間違っても偏っても居ない]と主観には自己肯定しかなく、決して自分を吟味することも自分を否定するも出来ないのですから。
無常な現象でしかない感覚.感情.主観を尺度として物事を測れば、視野の狭い妄想的な自我意識に翻弄されることとなり、妄想的な自分勝手な自分の都合や感覚的.感情的な嗜好に基づきながら貧しい心を造り出してゆく事となり、それが苦や不満(ドゥッカ)を造りだしてゆくのです。

一切万象 自業自得
一切万法 果律応報
衆生 心を浄めたもう
貧しき心を 浄めたもう
賎しき心を 浄めたもう
衆生 徳を 積みたもう
衆生 無明を晴らしたもう
衆生 妄迷 目覚めたもう
衆生 渇望 超えたもう
衆生 軛(くびき)解きたもう
衆生 執着 捨離したもう
一切万象 自業自得
一切万法 因果応報
如来憐れみ 辻に立つ

①煩悩(存在欲)生存の素さ。因
存在していたい(生きていたい)
価値ある存在でありたい
意味ある存在でありたい
生きる目的が欲しい…
②煩悩の衝動により、内界及び外界に意識を彷徨わせ探し求める
③煩悩(存在欲)の衝動は盲目的な無明(無知)の闇を晴らしたい.渇きにも似た無明を真理(真実.事実.現実.実相)で潤したいという欲望(渇望)である
④善処・不善処
煩悩(存在欲)は.永遠の存在の為にプラスだと感じる物事に対して.引き寄せたいと欲する(貪欲)
永遠の存在の為にマイナスだと感じる物事に対して.遠ざけたいと欲する(瞋恚.怒り)
永遠の存在の為にプラスかマイナスか迷うとき戸惑う(痴愚)
⑤理性(客観性)が煩悩(存在欲)による主観.自我.感覚.感情.欲望などに勝るとき慈悲に基づく対応を選択する(善処)
⑥身体的.感覚的.感情的.主観的な喜び.快感.安心.満足は無常な性質のものに過ぎず…執着.愛着するほどの価値はない。
⑦不善処に向かうほど心は貧しくなり、善処へ向かうほど心は富貴となる
⑧生きるとは.即ち欲望の具現である(生きる意欲)
⑨しかし煩悩(存在欲)に主導.差配された自我的欲望は不善であり、苦しみ.不満(ドゥッカ)は自我的欲望によって生じる
⑩知性.理性に主導.差配された欲望は善であり、喜び.快感.満足(スカ)は理性(知性.客観性)によって生じる
⚫つまりは、心の貧しさにより.自分や所有の次元の事物に執着.愛着し魅入られて苦しみや不満を生じさせている事に気付かずに造り出し続けているのであり、故に無明の闇の中を盲目的に手探りで探し求めながら彷徨い生きていると例えられるのである。
数ある所有の次元の事物の何れかを所有していたり.新しいうちは.まだしも便宜的.短命.一時的であれ喜び.安心数.快感.幸せを得られるが常ならず無常な本質の現象に過ぎず、結果的に苦しみと不満を携えて生きることになる…
煩悩(所有欲)の欲求とは.決して満たされる事のない.要求に幾ら応えた処で更なる要求をしてくるだけの底なし沼のようなものであり、煩悩の要求に翻弄され執着.愛着し魅入られ.心を貧しくさせてゆく…
苦楽は、外界からもたらされたものの多寡には関係なく、自身の心の満足度.如何である。
心が貧しい者は欲深く満たされる事なし。
心が豊かな者は例え得られるものが少なかろうと.足るを知る。

❖心が貧しい人の欲望
有ればあったで.まだまだ不満..
無ければ無いで.尚更.苦悩し.怒る…
❖心が富貴な人の欲望
無ければ無いで.満たされて.
有ればあったで.嬉しくて…
⚫自分のものだと握り締め、他人と分け合ったり、分け与えたり出来ない.物惜しみ.吝嗇な人は心に何かしら不満や苦しみや怒りを抱えて無明の闇の中を盲目的に彷徨っている人であり[良い悪い]という話ではなく、目覚め覚醒し.乗り越え超越し.解き放たれ解放されさえすれば、堅固な喜び.快感.幸せ.安心.安全.静逸な世界があることに気付けない憐れな人なのである…

🔵ドゥッカ
不安定さ・不完全さ・苦しみ・悩み・憂い・難儀さ・迷い・心痛・嫉妬・憎しみ・恐怖・哀しさ・悔い・飽き・退屈・儚さ・脆さ・弱さ・空虚さ・惨めさ・実質のなさ・不満・怒り・不本意・無常さ・無明・欲・渇きなど
🔵所有の次元の事物 
金銭.財産.物欲.地位.名誉.称号.身分.異性.伴侶.家族.仲間.権威.権利.承認.理解.権力.勢力.威力.健康.長寿.若さ.知識.情報など
🔵存在の次元
人間性.精神性.人格.人の質.人柄.器量.寛容さ.実直さ.知性.存在感.本質的性質など
🔵真実を歪めるもの(色フィルター)
思い込み.勘違い.欲目.偏見.邪見.固定観念.既成概念.錯覚.誤解.無知.仮説.風説.権威.歴史.伝統.迷信.主観.感覚.感情.格調.染脳(洗脳)など
⚫「我を捨てよ」
己れすら我がものではないのに、子や財を勝手に自分の所有物と思うことが間違いである。
我を捨てれば、苦悩というものが生ずる場所がなくなる。
⚫愚の骨頂とは、本当に向き合うものが見えていないこと
⚫苦しみ…それは一切を如実に観ずることのできない人間の無智からきている
⚫外なる快楽を追い求めるところから苦しみは生じる
⚫金が天からいくら降ってこようと欲望は満たされない。
智者は知っている。欲の追究の果てに得られる快楽は少なく、苦悩は多大であることを…
身心の一切をコントロールできることが最高の善である。自制は善である。
⚫たとえ得るものが少なくとも不満を抱かず、清らかで勤勉な生活を送る者こそ讃うべき心の富貴な者である
無一物の境地に至れば、苦悩はもう生じようがない。
⚫<好き嫌い>
好きという感情を抱いた時、同時に嫌いという感情も芽生える…
好きと嫌いは「分別」の二つの側面である。
この「分別」から好きなものを失なう怖れに苦しむと同時に、嫌いな物事に出会う怖れに.更に苦しむのである。
愛別離苦
愛するものとも必ず離別する時がやってくる…愛するものを失う恐怖と苦しみ
怨憎会苦
嫌いな物事、怨みや憎しみ.忌むものに見舞われたり出会ってしまう恐怖に苦しむこと。
五蘊盛苦
五感管(眼耳鼻舌身意)により生じる現象的な感覚.記憶の残滓.感情.主観.概念とそれ基づく妄想により苦や不満(ドゥッカ)を造り出す。
⚫「知足」とは[今あるもので我慢する]という意味ではなく[全ては既に与えられている]
だから「満ち足りているのだ」という一種の 信仰なのである。
⚫<忍辱(にんにく)は難行>
忍辱より難しい行はない。
忍辱とは、いかなる侮辱や迫害にも耐え、動じないこと。
日常、頭にくることに出会ったら、いい修業だと思って怒りをしずめる練習をしなさい。
怒りより大きな罪はない。
憎悪よりひどい悪はない。
寂静にまさる安らぎはない。
[四無量心]によって、[私]が次第にいなくなる。
心の主とは、「私」のいなくなった「いのち」である。
<二つの道>
俗世の利益を求めるのも一つの道、また永遠の寂静に向かうのも一つの道。
人の選ぶ道は.このどちらかしかない。
前者は欲望の充足を目指し[所有の次元の事物]へと向かう道.後者は心の充足を目指し[存在の次元]へと向かう道…
前者をめざす人多し、後者をめざす人少なし。
⚫[仏教的な[悟り]は、簡単に云えばあらゆる感覚も思考も、縁起のなかの無常なる出来事(現象)に過ぎないと達観することにある。]
⚫因縁起果報.一因に縁らず一法に立せず、然し明々歴々、一因一法を晦まさず
⚫戦場において百万の敵に打ち勝つよりも、己一人に打ち勝つ者こそ実に最上の勝利者である。
何故ならば.彼れは煩悩の軍団(悪魔の軍団)に打ち勝ち.堅固なる歓びと平安と静逸と幸せを得ているのだから。
⚫煩悩の欲求に幾ら応えた処で、更なる要求をしてくるだけで、決して満たされる事などない。
逆に、煩悩の要求を抑制しコントロールしてやれば、煩悩の風に波立つ湖面が.しだいに鎮まってゆくように. 心は鏡面の如く澄み渡り、その湖面に真実(真理.事実.現実.実相)を映し出す。

セイムセイムかモアザングッド

貴方はベンツに乗っている
私は心のベンツに乗っている
セイムセイムかモアザングッド…

貴方は金財の富を築いてる
私は心の富を築いてる
セイムセイムかモアザングッド

貴方は所有で輝いて
私は存在で輝やいて
セイムセイムかモアザングッド

貴方は愛着と執着の世界で暮らし
私は捨離と無一物の世界で暮らし
セイムセイムかモアザングッド

貴方は感覚に刺激を与える喜びを求め
私は感覚に刺激を与えない喜びを求め
セイムセイムかモアザングッド

貴方は恐れと不安を友として
私は真理と喜びを友として
セイムセイムかモアザングッド

貴方はこの世の王となり
私は天界の世の王となり
セイムセイムかモアザングッド

心の次元の形状

心の次元の形状
良き形状の楽器を通る振動.波動が良き音色を奏でる如く、
良き形状の心の次元を通る心的エネルギーは、善き想いを奏でる…
悪い形状の楽器でも正しく修理されれば良き音色を響かせるようになる如く、
悪い形状の心の次元でも正しく修養されれば善き意識を響かせるようになる…
良く調律されていない楽器は.良い旋律を奏でない如く、
善く調律されていない心の次元は.善い精神を奏でない…
❖心の次元の形状は変えてゆくことができるものなのである…
❖命には色々な次元がある
それぞれの次元の喜びと苦しみと満足がある
❖満足感のエネルギーの波動
以前にも書いたが心の各次元に於ける喜び.満足を得るそれぞれの対象の違い
天界 ・ 他の生物の喜びに満足を得る
人界 ・ 無常な欲望の達成に満足を得る
修羅界・争い.怒り.征服に満足を得る
畜生界・他の生物の哀しみに満足を得る
餓鬼界・渇望.貪欲.物惜みに満足を得る
地獄界・怨み.殺生.恐怖に満足を得る
☆それぞれ満足度または不満度により同質の波動の新たなエネルギーが供給され.膨張し拡大し引き寄せる。
❖高い次元では、
欲のない喜び快楽を味わう
❖何もしないで、好きな音楽も聞かず、好きな食べ物も食べず、好きな遊びもせず、ただ座って自分の呼吸だけを見ているだけ…それで何か質の違う安楽な感じ、快楽の感じ、「ああ楽だなァ、リラックスだなァ、気持ちいいなァ」と感じる場合がある。
❖貪りや自我から放たれた幸福
音楽を聞いて楽しいという感じと、何も音を聞かないで落ち着いている楽しみは質が違うんです。
完全な静けさを楽しむというような、欲から離れた楽しみを味わう次元もあることに気付く
❖下らない物事、どうでもいい物事、つまらない物事などから離れ、浄らかな心でいようとする…その次元が形成されてゆくと.浄らかな心へと向かっているのです。
❖欲や執着を捨てる方向へ心を持って行かなくてはいけない。
❖未練があって死ねば、来世でも不幸になってしまいます。逆に今の生き方に不満を持っている人も、死ぬときは満たせなかった欲望で死ぬんです。もっと色々やりたいことがあったのに、と思います。その人は、果たせなかった欲望を持ったまま、悔しい気持で死んでいきますので、また来世は報われない境遇に生まれ、而も不幸になるんです
❖長生きしようという気持ではなくて、人間としての役目を果たして、いつ死んでもそれはその時だと、満足して生きることです。そのように生きる人の来世だけは幸福になります。
❖ストレスとプレッシャー
世の中の苦しみの大半はストレスとプレッシャーから生み出されています…
しかも生きるとはストレスとプレッシャーとの戦いそのものなのですから…
例えば.進化について見れば海中から陸上へと躍進を果たした始めの陸上生物(ご先祖様)は重力というストレスとプレッシャーに打ち勝ったのですが、何故.陸上を求めたのかと言えば海中には怖ろしい敵が居たからに他なりません、もしストレスとプレッシャーがなければ.たぶん私は今もまだイモリか美しい錦鯉のままだった筈ですから…
それは宇宙飛行士が地上に生還した時の映像などでも、短い期間.無重力の環境下で.身体的なストレスとプレッシャーから解放されてから地上に戻った時、重力にさらされた途端に崩れ落ちてしまう程のストレスとプレッシャーなのですから…
心理面も同様であり、適度なストレスやプレッシャーという刺激がない無刺激な環境に放置されると幾日か程度で気が狂ってしまうと言われています…
要はストレスやプレッシャーという刺激を、過度の負担としないように心掛け、ストレスとプレッシャーの原因を明確に認知し、更に妄想により有りもしないストレスやプレッシャーの種を作り出さないよう気付いてゆく事が大切なのです。
風邪も無理をして拗らし重症化させてしまう前に、適切に対処するのが.いい薬なのだから…
生きるとはストレスとプレッシャーの中に在り、このストレスとプレッシャーに、如何に向き合い.どう対処してゆくのか…
これが天と地ほどの差となって現れてくるのだから…
⚫参考項目
【 負担量 】
【勝利への道 】
【 真の勝利者
「愚かなものは、実にそぐわぬ虚しい尊敬を得ようと願うであろう。修行僧らの間では上位を得ようとし、僧房にあっては権勢を得ようとし、他人の家に行っては供養を得ようと願うであろう」(Dh.73)

「在家の人々も出家した修行者たちも、私の行ないだけをよく知って欲しい。何かことが起ったら、それについて私の指導に従って欲しい。—— 愚かなものはこのように思う。こうして欲求と高慢とが高まる」(Dh.74)

「愚かなものはたとえ毎月(苦行僧の風習に習って一月に一度だけ)茅草の端につけて(ごく少量の)食物をとるようなことをしても、(その功徳は)真理をわきまえた人々の16分の1にも及ばない」(Dh.70)

「愚か者に知識があっても、それは彼には不利なことになってしまう。その知識は彼の好運(しあわせ)を滅ぼし彼の頭をうち砕く(人生が破滅する)」(Dh.72)

無理に自分を愛そうとする必要などない、だって皆んな世界中で一番自分を愛しているのだから、[もしそうじゃない]と思う人がいたら、その人は.もっと自分の心に素直になればいいだけの話し…
私の話は全部、私を二の次にして、真理の象徴としての如来が私(多々方路傍石)に向かい語っているのであり、私は愚かな頭と心と行ないを以って拝聴し.思惟し.思推し.分析し.検証し.確証を得て.理解するだけなのだから…

うんこ道

過っては忌み嫌われ.異端者扱いされたマイナーな同棲愛者とか.オカマ.オナベなどの人達が一定の権利を有しメジャーな存在となり、一昔前なら世間体を憚かられた[うんこ]も、子供達を中心に[うんこドリル]が人気を拍している今日なら語れるのではないかと思い[うんこ道]とした…笑
これは一つの価値観の話でもあり、当たり前の事でも世の中の通念として憚かられる事柄は多々あるものであり、敢えてそれに踏み込もうとする者を異端者.変人として排除しようとする歪んだ社会傾向やら論理やらが方向性を誤らせたり.正しい道を踏み外させたりするのである。
元来、世間と言うものは、事実を素直に認める性格は持ってない…
伝統的なこと.思い込み.権威.信仰.迷信.先入観.既成概念.文化的価値観...などが優先的に信頼され、人々に事実を理解させる事はひどく骨の折れる作業を伴うものであり、世の大半は自分に実害さえ及ばなければ無責任にそして無思考に重大問題であっても放置し、空しい感覚的.感情的.主観的な刺激と快感を追い求めるのに忙しいのだから…
現に文明開化から今日までを冷徹厳峻に俯瞰すれば.盲目的な系譜には連なることのない.無明(本質的無知)の闇を晴らした無名な先達が築いた繁栄を.エリートと称する[うんこ]な者達が破壊してきたのではなかろうか?
[うんこ道]としたので、うんこから言えば[うんこ]とは排泄物であり汚物に過ぎない…しかし皆、立派なうんこを造るのに忙しく心を清めようとはしないのである…
体に良いもの.美味しいもの、高級料理などの情報には敏感なのに.体の維持、健康の維持、心の浄化の為には本当は何が必要なのかに付いては至って鈍感だと言えるのではないだろうか…
先ず健康に良いもの.美味しいもの.高級料理.人気店という括りは、体型の維持、健康の維持、心の浄化とは無関係な事柄であり、幼稚園の先生ではないが.心掛けるべきは海のもの.山のもの.生きてるものであり、栄養あるもの.美味しいもの.高級料理ばかりを摂っていたら栄養を偏らせ.不健康や贅肉.肥満を造り出すだけであり、却って粗食の人の方が余程、健康で理想的な体型と健康を維持しているものである…
つまりは美食家とは、一生懸命に.せっせと立派な[うんこ]を造るのに余念がない人であり、無常な感覚.感情.主観的な刺激に翻弄されながら生きている事であり、人生に例えるならば多くの人が.一生懸命に欲し.求め.しがみつく所有の次元の事物(金.財.地位.権力…)とは便宜的な付随物に過ぎない[うんこ]に過ぎず、況して[うんこ]を人糞として利用しない現代に於いてはトイレに流す汚物にすぎない記憶の残滓に他ならず、来世へと運び行く.心の健康.栄養素(人格.質.精神性.カルマ.形成力)を阻害した貧しい心が残るのである。
例えば200円の弁当と300円の定食で栄養面では然程の変わりはないだろう…その時、200円の弁当と100円を他の人々や他の生物の為に使えば100円分の功徳が残るが、300円の定食を食べて虚しく感覚を満足させれば300円分の[うんこ]を造り出しただけではなかろうか…笑
愚の骨頂とは、本当に向き合うものが見えていないことであり、真の苦しみとは、一切を如実に観ずることのできない、人間の無智が造り出しているのだから。

退屈の虫

人は皆、退屈の虫を飼っている… しかも愚かで無明な人は、絶えず退屈の虫に悩まされ、振り回されている… 退屈の虫も又.煩悩(存在欲)であり、退屈の虫の要求に応えようと.外界に意識を向かわせて無明に何かしらを探し求める...しかしそんな退屈の虫の要求に幾ら応えた処で、束の間の喜びを得るだけで.又候.飽き(苦)を生じ.退屈の虫は.更なる要求をしてくるだけ… これが人が何かをしなくては居られない衝動により、じっとして居られず.ゴチャゴチャと雑念したり.落ち着きなくガタガタと何処かしらを動かしたり.意味もなく不満を呟いてしまう原因である。 さらに煩悩に支配されている人は、日常においても絶えず五感官(眼耳鼻舌身意)に刺激を与え続ける事により辛うじて安定を得ているのであり、何かしら退屈の虫を治める術を失うと遠からず、理性を失ったり、狂気を来たしたり、命を失なうことさえ有るのだから... では退屈の虫をどう退治していったら良いのかと言えば…それは[智慧と叡智]に尽きるのである。 飽きと退屈はワンセットであり、飽きも退屈もドゥッカ(苦)のひとつであり、生きるとは.気を紛らわすことであるとも言え、何かしら一つの事に飽きて目的意識が定まらない時に退屈の虫は蠢きだす… それは言い換えれば[不満]であり…不満とは満たされて居ない事である… 不満でいっぱいの心を.仕事や遊びや趣味や娯楽などで.一時的に.なだめ.癒し.誤魔化し.隠し.忘れていても我れに返ると、心の中は不満でいっぱいであり、不満のエネルギーで.またぞろ退屈の虫が騒ぎだす... その上、景気が良くない昨今は.尚更に不満ばかりで.満ち足りる事を知らない人々が増えている… 不満ばかりで生きていると.豊かで自在な心を失って、自ずと心は貧しくなってゆく… 貧しい心で煩悩の欲望に翻弄されれば.満たされぬ不満は更につのり、心は阿修羅.餓鬼.地獄へと堕ちてゆく… 即ち... 満ち足り[満足]するのに.必要なもの全ては既に具している事に、煩悩に魅入られ.翻弄され.波立つ心は.真実を映し出せず.気付けないだけなのだから... 所有の次元の事物(金.財.…)の所有量により.得られるものは便宜的で付随的で一時的な満足でしかなく、真の満足など決して得られないことが解らず、苦と不安と迷いと不満の中を流れてゆく事となる… その根源は煩悩(存在欲)の要求であり、煩悩は何かしら生存にプラスと感じるものを貪ろうと欲するが、その行っていたものが生存にとって決してプラスではないと気付くと飽き、何かしら生存にとってプラスなものを探して来い!と退屈の虫を走り廻らすのです。 ❖煩悩(存在欲)はプラスだと感じる物事は引き寄せたいと貪り欲し、マイナスだと感じる物事は遠ざけたいと怒り、プラスでもマイナスでもない物事に愚痴るのです(不善処・貪瞋痴) 煩悩(存在欲)は一寸先は闇である現実を認めませんから、永遠に生きている.生きていたいという前提で物事を分別していますから、下らない物事であれ、つまらない物事であれ、どうでもいい物事であれ、取るに足らない物事であれ、今という一瞬一瞬を疎かにしながら.何かしら一時的にでも気を紛らわし存在にプラスと感じるものを貪り欲すのです。 叡智により、そんな煩悩(存在欲)の要求に振り廻されず、今日一日ぐらいは多分生きているだろうから、今という大切な一瞬一瞬の時間を無駄に浪費せず、有効に意味ある生き方をしようと思い定め、一日の99%の、下らない物事.どうでもい物事.つまらない物事の情報や知識に振り回されず、考えるべき時に考え、するべき時にする、話すべき時に話し、雑念や妄想に気付く事が退屈の虫を退治する有効な方法でもあるのです…

如来品正師 多々方 路傍石

欲望は底なし沼のようなもの

日々の忙事に泥むれば 顕貴(ときめき)の歓びを忘れる

群れ戯れる者達と組み縛られることなく、同して和せず

放てば手に満ちて

放てば手に満ちて…
その握り締め.しがみつく心が.苦しみ(毒華・ドゥッカ)を深めさせるのです.…
いったい何が握り締めさせ.しがみつかせ.執着.愛着させるのかと自分の内を眺めれば、そこには煩悩(存在欲)が化身している自我意識を自分だと錯覚し、誑かされた愚かな自分を見つける事が出来るだろう…
⚫幸せへの道
①人は皆、幸せ.喜び.快感を求めていきている…(自殺しようとする人でも死の中に幸せ.平安.喜び.解放を見出している)
②幸せ.喜び.快感.安心.満足の為に所有の次元の事(金.財.地位.承認…)を追い求める…
③しかし煩悩(存在欲)の要求に従って所有の次元の事物を得ても、、更なる要求をしてくるだけで決して満たされる事がない…
④それは便宜的な付随物に過ぎない所有の次元の事物の所有量により、大いなる幸せ.喜び.快感.満足.安心を手に入ると錯覚しているから…
⑤煩悩(存在欲)に翻弄され、何時までも生きているという錯覚に基づいている
⑥しかし現実は危険がいっぱい…
豆腐の角に頭をぶつけても死ぬときは死ぬ.無常で.儚く.弱く.脆く.虚しい存在だと気付けない
⑦何時までも存在してると錯覚すると、心が貧しくなってゆく…
明日の為、将来の為の自分のものだと、所有物を握り締め、しがみつき.物惜しみ盗まれたり無くす事を恐怖しながら生きてゆく…
⑧それでも未だ.幸せを探し求める方向性が間違っているからだと気付けない…
⑨心が豊かならば無一文.無一物だとしても幸せ.喜び.快感.安心.満足は得られる…
⑩お陰様で、今日も生きている…
生きている事自体、最高の快楽、
生きるのに必要な全ては既に具している
朝に道を聞かば夕べに死すとも悔いなく
朝に命.授かれば夕べに死すとも悔いなく生きる(今日が最後の一日という覚悟)
○今という唯一の現実を悔いなく.味わい.満たされ.楽しみ尽くす…
あたら.下らない物事、つまらない物事、どうでもいい物事などに使ったら.モッタイナイ〜
❖運気(福運)もしかり也…
運気(福運)が訪れるから他を労り.慈しみ.喜ぶことが出来るのではなく…
握り締め.しがみつく自分の立場や都合を離れ、他を労り.慈しみ.我が事のように喜ぶから、運気(福運)が訪れるのだから…
❖つまりは、[不満]と[心の貧しさ]とは同じものであり、貧しい心で物事を見、聞き、話し、感じ、探し.求め.欲せば.欲望に魅入られ満足することを知らない煩悩(存在欲)は.不満(苦)を生じさせ、不満が蓄積してゆくと.更に貧しい心を造り出してゆくのです。
そうして自我意識に支配されてゆくと、常ならず無常なこの世界に於いて物事は、そうそう自分に都合よく、自分の思い通りには運ばないものだから、不満は怒りへと成長し、自分に仇なし.自分を傷つける.自分自身の最大の敵となってゆく…
❖財布の中の豊かさは無常であり…
所有の次元の事物に過ぎず…
心の中の豊かさは堅固であり…
存在の次元の宝珠である…

財布の中の豊かさは無常なものであり、心の中の豊かさは堅固なのだから…
物惜しみ.吝嗇で.ケチな者は、不満と怖れと苦しみの中を流れてゆくのです…
[今、自分は幸せ]だから関係ないと錯覚している人も、それは自分の力ではなく環境.時代.周り(友達.家族.知人…など所有の次元の事物)のお陰様で幸せなのであり、常ならず無常な世界では変化して消滅していってしまう性質の儚く.虚しい幸せに過ぎないのです…

日々の忙事に泥むれば. 顕貴(ときめき)の歓びを忘れる
その握り締め.しがみつく心を解き放ち、自我の妄想から目覚めて自在となった心には、最早.苦しみ(毒華.ドゥッカ)が生じる場所がなくなる。

⚫苦しみ…それは一切を如実に観ずることのできない、人間の無明(無知)からきているのだから…
無明(無知)を乗り越え盲目的な闇を晴らせば、人は真理(真実の価値観)を見出すことが出来、人を依り高い精神性(境地)へと高め.真の幸せへと導くのである。
これを出離(ネッカンマ)とも(デタッチメント)とも言い、八正道.輪廻.因果律(縁起)を象徴する法輪(宝輪)と共に、仏の教え仏教に於いて象徴(シンボライズ)として用いられる蓮の華もこの出離(ネッカンマ.デタッチメント)を現わすのであり智嶷に連なる系譜が説く観念的な真我(魂)である阿摩羅識の法力により欲望が叶えられるという思想とは真逆とも言える、欲望に塗れた世俗の泥沼の中にあっても汚されす侵されず出離(アッカンマ・デタッチメント)して清らかな白い大輪を咲かす白蓮を現しているのである。
一つの捉わり拘り執着から心を切り離し、放棄し解き放たれ(解放)、平安や自由は得られるのである。
その為には現実や状況や変化に、抵抗し.目を背け.捉われ.拘り.執着し.握り締め.しがみつく心を解き放ち離れ、受容(アクセプト・受け入れる)して行くことにより平安.自由.歓び.幸せは現れるのである。
♡四聖諦に観て三法印に言う一切皆苦全ての生きるという事の本質はドゥッカ(苦.心痛)であると言う真理を受容(アクセプタンス・受け入れる)することにより、人は救われて行くのだから。
■毒華(ドゥッカ・苦しみ.心痛.不安定さ.不完全さ.悩み.悔み.哀しさ.恨み.儚さ.脆さ.弱さ.空しさ.惨めさ.実体のなさ.無明.欲)とは、在るがまま成るがままの現実(変化生滅してゆく現象世界)に毒華(ドゥッカ・苦.心痛)が在るのではなく現実を受け入れられない心が造り出しているものだから。
因みに一切皆苦とは…人(生きとし生けるもの)は煩悩(存在欲)を生存の素因として.苦に依って生かされている事を言う.
例えば.人は空腹になれば苦しいから食べ.やがて消化すれば苦しいから排泄し…苦しいから空気を吸い.苦しいから空気を吐いているのであり、苦しいから眠り.苦しいから起きている、苦を条件(因縁)として煩悩(存在欲)の意欲により生かされているのであり、本質的な苦をドゥッカ(毒華)とするのは心の負担量だと言え、苦楽は一如なものであるのに苦と楽を分断化して偏って認識しようとするのは無明な心なのである。

■祈り

今更どう仕様もない物事を
受け入れる心の平穏が現れますように

まだ変える事が出来る物事を
変えてゆく勇気が現れますように

そして変えられる物事と出来ない物事を見分ける賢さが現れますように

■拠り処(精神的支柱)
人の本質とはドゥッカ(不安定さ・不完全さ・苦しみ・痛み・迷い・悩み・儚さ・脆さ・弱さ・空しさ・惨めさ・実質のなさ・無明・欲)な存在であり、根深い自己防衛と自己保全への渇望から赤児が親にすがりつき保護と安心と安全と恩恵を求めるように何かしら握り締め、しがみつき依存(拠り処・精神的支柱)するものを必要とする。
■ドゥッカとは煩悩(存在欲)が脅威と感じる恐怖心である。
人間の生存の素因である煩悩(存在欲)は永遠に存在したいと渇望する
煩悩(存在欲)の永遠への存在欲にとってプラスだと感じるものに貪欲(貪り)を生じている
煩悩(存在欲)の永遠への存在欲にとってマイナスだと感じるものに瞋恚(激しい怒り)を生じている
煩悩(存在欲)の永遠への存在欲にとって満たされない感覚に痴愚(不満)を生じている
■煩悩(存在欲)は、死という対極があるからこそ生に存在価値が見い出せる事が理解出来ない。
■煩悩(存在欲)の要求に幾ら応じても決して満たされる事などなく更なる要求をしてくるだけ、却って煩悩(存在欲)に翻弄されながら大切な時間を浪費してゆく事となる。
■生存の素因である煩悩(存在欲)を滅却する事は出来ない。
煩悩(存在欲)を制御(コントロール)して有益に用いれば生きる意欲となる。

■人生は横木を依存する支え(拠り処)として梯子を昇りたるか如し、両の手を離したれば支えなく奈落へと落ち行くは必定なれど、墜ちるを怖れ両の手で握り締め、しがみついて居ては低き処に甘んじ上へ昇っては行けない・・・如何に梯子を昇りたる
片手でしっかりと横木を握り締め体を支えもう片手で上の横木に手を伸ばしながら一段一段、上へ上へと昇るもの

■所有の次元の事物
(金財・物欲・地位・名誉・権力・勢力・知識・教育・承認・世評・)

所有の次元の事物や検証も実証も出来ない空理空論は堅固で安定的なものとは言えず、条件(因縁)により生滅する不安定な本質の支え(拠り処・精神的支柱)でしかなく、変化生滅によりドゥッカ(不安定さ・不完全さ・苦しみ・痛み・迷い・悩み・儚さ・脆さ・弱さ・空しさ・惨めさ・実質のなさ・無明・欲・心痛など)は現れる。

■見解.観念.哲理.思想.信仰
検証出来ない単なる見解.観念.哲理.思想.信仰など、時代・時間、環境・空間などで変化してゆく条件(因縁)により変化生滅してゆく不安定な本質の支え(拠り処・精神的支柱)でしかなく、変化生滅によりドゥッカ(不安定さ・不完全さ・苦しみ・痛み・迷い・悩み・儚さ・脆さ・弱さ・空しさ・惨めさ・実質のなさ・無明・欲・心痛など)は現れる

■真理(真実) 天地自然の法則(摂理)
無常な常ならざる現象世界で唯一の安定的なもの
八正道 
苦に偏り楽に偏る苦楽の両極を理解し中道で安定を得る事こそドゥッカの消滅への道であり八正道である。
両極の一方へ極端に偏らず中道(支点)に於いて安定するヤジロベエの如く、感覚的な快楽を通じて幸福を求める低俗で通俗的で無益な享楽的な道に偏らず、又一方の禁欲的な行為で自らを苦しめる事により幸福を求める苦痛を伴い無価値で無益な自虐的(ストイック)な道に偏らず、自らこの両極を経験しそれらが共に無益な本質のものだと理解し、その何方へも偏る事のない中道(支点)に於いて軽安と悦楽を得る。
慈しみという愛.慈善.親切.利他.寛容という情緒的な気高い気質と、叡智という真実を見透す深い理解力による知的な至高な資質その中道こそ涅槃(ニルバーナ)である。

■握り締め.しがみつく無明な心に気付き
目覚め.乗り越え.解き放ち.自由自在な心
こそ叡智により到達する寂静である

一、吝嗇(りんしょく)
本質的には付随物(手段)に過ぎない金財を依り処(精神的支柱)とし、倹約の「倹」とは本来は金財欲を薄める事をいい美徳だが、節約を誤解して詰まらないもの、無くても困らないもの、どうでもいい下らないものに無駄使いしながらも、自分のものだと金財を握り締め物惜しみするのは餓鬼の心(貪欲・執着)であり、福受け尽くせば縁必ず弧なりと言われるように金の切れ目が縁の切れ目となる却って金財で苦しむ事となるものであり、福とは循環してこそ福となるものであり困っている人を助ける為や他者に分け与える事で大きく育って返って来たり生きる深い意味や価値を生むのである。 情けは人の為ならず(他人に情けを掛けるのは他人の為と言うより自分自身の為になる行為なのである)
ニ、得体の知れないもの
得体の知れない絶対神・創造神・仏像とか超越的な力や能力、霊感
霊力など眉唾なものとは握り締めた掌の中に絶対神・創造神・像仏とか超越的な力や能力、霊感や霊力が在るとか居るとか無責任に主張する事に他ならず、在る居るという疑問は掌を開いた瞬間に解けてなくなる性質のものでしかなく、決して開く事が出来ない握り締めた掌の中を妄想しているだけに過ぎず、検証も確証も得られない心的欲求の投射による得体の知れない妄想なのである。
三、自我
心とは五集合要素(五蘊)による精神作用であり、この五つの精神作用の内にドゥッカ(不安定さ・不完全さ・苦しみ・痛み・迷い・悩み・儚さ・脆さ・弱さ・空しさ・惨めさ・実質のなさ・無明・欲・心痛など)も智慧も叡智も涅槃も地獄も極楽も平安も悦楽も福楽も静逸も歓喜も満足も不満も無明もあるのであり、色受想行識という五つの要素が集まって働く時、自分という意識を生じさせるのであり、本質的・主宰的・実存的な魂・霊魂・霊体という妄想を抱かせるのである。
身体的にも細胞から神経・肉・熱・空間・骨・臓器・筋肉・表皮・爪・毛髪に至る全ての物質的要素は新陳代謝により常に入れ替わっていて、凡そ自分と呼べる固定的・実体的・実相的・永遠的なものなど何処にも見付ける事が出来ない。
そんな流れゆく無我(アナッタ)な存在が、妄想に過ぎない自我に拘り捉われ自我意識を握り締め、自己中心的に自分の都合で物事を観て物事を判断し物事を行ない物事を語れば、物事は自分の思い通り都合通りに成らないものであり不満・怒り・ドゥッカ(不安定さ・不完全さ・苦しみ・痛み・迷い・悩み・儚さ・脆さ・弱さ・空しさ・惨めさ・実質のなさ・無明・欲・心痛など)に翻弄されながら生きるアーサバー(汚穢・知識.情報.刺激)を外世界から染み込ませながら、アーサバー(汚穢・感覚.衝動.記憶)を内世界から染み出しながら、精神性(六道)を堕としてゆく事となる。