心の次元の形状

心の次元の形状
良き形状の楽器を通る振動.波動が良き音色を奏でる如く、
良き形状の心の次元を通る心的エネルギーは、善き想いを奏でる…
悪い形状の楽器でも正しく修理されれば良き音色を響かせるようになる如く、
悪い形状の心の次元でも正しく修養されれば善き意識を響かせるようになる…
良く調律されていない楽器は.良い旋律を奏でない如く、
善く調律されていない心の次元は.善い精神を奏でない…
❖心の次元の形状は変えてゆくことができるものなのである…
❖命には色々な次元がある
それぞれの次元の喜びと苦しみと満足がある
❖満足感のエネルギーの波動
以前にも書いたが心の各次元に於ける喜び.満足を得るそれぞれの対象の違い
天界 ・ 他の生物の喜びに満足を得る
人界 ・ 無常な欲望の達成に満足を得る
修羅界・争い.怒り.征服に満足を得る
畜生界・他の生物の哀しみに満足を得る
餓鬼界・渇望.貪欲.物惜みに満足を得る
地獄界・怨み.殺生.恐怖に満足を得る
☆それぞれ満足度または不満度により同質の波動の新たなエネルギーが供給され.膨張し拡大し引き寄せる。
❖高い次元では、
欲のない喜び快楽を味わう
❖何もしないで、好きな音楽も聞かず、好きな食べ物も食べず、好きな遊びもせず、ただ座って自分の呼吸だけを見ているだけ…それで何か質の違う安楽な感じ、快楽の感じ、「ああ楽だなァ、リラックスだなァ、気持ちいいなァ」と感じる場合がある。
❖貪りや自我から放たれた幸福
音楽を聞いて楽しいという感じと、何も音を聞かないで落ち着いている楽しみは質が違うんです。
完全な静けさを楽しむというような、欲から離れた楽しみを味わう次元もあることに気付く
❖下らない物事、どうでもいい物事、つまらない物事などから離れ、浄らかな心でいようとする…その次元が形成されてゆくと.浄らかな心へと向かっているのです。
❖欲や執着を捨てる方向へ心を持って行かなくてはいけない。
❖未練があって死ねば、来世でも不幸になってしまいます。逆に今の生き方に不満を持っている人も、死ぬときは満たせなかった欲望で死ぬんです。もっと色々やりたいことがあったのに、と思います。その人は、果たせなかった欲望を持ったまま、悔しい気持で死んでいきますので、また来世は報われない境遇に生まれ、而も不幸になるんです
❖長生きしようという気持ではなくて、人間としての役目を果たして、いつ死んでもそれはその時だと、満足して生きることです。そのように生きる人の来世だけは幸福になります。
❖ストレスとプレッシャー
世の中の苦しみの大半はストレスとプレッシャーから生み出されています…
しかも生きるとはストレスとプレッシャーとの戦いそのものなのですから…
例えば.進化について見れば海中から陸上へと躍進を果たした始めの陸上生物(ご先祖様)は重力というストレスとプレッシャーに打ち勝ったのですが、何故.陸上を求めたのかと言えば海中には怖ろしい敵が居たからに他なりません、もしストレスとプレッシャーがなければ.たぶん私は今もまだイモリか美しい錦鯉のままだった筈ですから…
それは宇宙飛行士が地上に生還した時の映像などでも、短い期間.無重力の環境下で.身体的なストレスとプレッシャーから解放されてから地上に戻った時、重力にさらされた途端に崩れ落ちてしまう程のストレスとプレッシャーなのですから…
心理面も同様であり、適度なストレスやプレッシャーという刺激がない無刺激な環境に放置されると幾日か程度で気が狂ってしまうと言われています…
要はストレスやプレッシャーという刺激を、過度の負担としないように心掛け、ストレスとプレッシャーの原因を明確に認知し、更に妄想により有りもしないストレスやプレッシャーの種を作り出さないよう気付いてゆく事が大切なのです。
風邪も無理をして拗らし重症化させてしまう前に、適切に対処するのが.いい薬なのだから…
生きるとはストレスとプレッシャーの中に在り、このストレスとプレッシャーに、如何に向き合い.どう対処してゆくのか…
これが天と地ほどの差となって現れてくるのだから…
⚫参考項目
【 負担量 】
【勝利への道 】
【 真の勝利者
「愚かなものは、実にそぐわぬ虚しい尊敬を得ようと願うであろう。修行僧らの間では上位を得ようとし、僧房にあっては権勢を得ようとし、他人の家に行っては供養を得ようと願うであろう」(Dh.73)

「在家の人々も出家した修行者たちも、私の行ないだけをよく知って欲しい。何かことが起ったら、それについて私の指導に従って欲しい。—— 愚かなものはこのように思う。こうして欲求と高慢とが高まる」(Dh.74)

「愚かなものはたとえ毎月(苦行僧の風習に習って一月に一度だけ)茅草の端につけて(ごく少量の)食物をとるようなことをしても、(その功徳は)真理をわきまえた人々の16分の1にも及ばない」(Dh.70)

「愚か者に知識があっても、それは彼には不利なことになってしまう。その知識は彼の好運(しあわせ)を滅ぼし彼の頭をうち砕く(人生が破滅する)」(Dh.72)

無理に自分を愛そうとする必要などない、だって皆んな世界中で一番自分を愛しているのだから、[もしそうじゃない]と思う人がいたら、その人は.もっと自分の心に素直になればいいだけの話し…
私の話は全部、私を二の次にして、真理の象徴としての如来が私(多々方路傍石)に向かい語っているのであり、私は愚かな頭と心と行ないを以って拝聴し.思惟し.思推し.分析し.検証し.確証を得て.理解するだけなのだから…