勝利への道

いくら平和を掲げ.友愛を謳い.平等を標榜し.利他を説き.安心安全を願い祈ろうが、生きるとは戦いであり社会とは戦場である現実.事実の前ではそれに向かって戦って居ないならば単なる綺麗事を並べ立てているだけの脳天気な自己満足に過ぎず、また知識や情報を誇り権威を積み上げ多くを語ろうとそれに向かって戦って居ないならば単なる能書きか戯れ言(プラパンチャ)を並べ立てている自我意識の自惚れに過ぎない、戦後生まれの私にとって先の対戦の災禍は記録でのみ知る身であり確かに今の平和な日本を実感もするが、その戦争は形態を変えながら今なお続き人々は戦い争い他者を傷つけ奪い抹殺しながらも平和という仮面を被りながら社会を戦場として戦い争い続けて居る。
●今の戦争とは所有の次元の事物の争奪戦
所有の次元の事物とは、
金.財(動産.不動産.権利).地位.名誉.称号など一時の位.権力.勢力.承認.支持(主義.主張.観念.見解).安心安全.健康.長寿・・・・
所有の次元の事物とは手段としての付随物に過ぎず決して目的物ではないのだが、手に入れた瞬間に煩悩が感じる直ぐに色褪せ失せてしまう快感に魅入られて煩悩が要求する決して満たされる事のない欲望に翻弄され、幸福だと思える欲望が叶い手に入れても直ぐに別の不幸.不満.不平が生まれるだけであり煩悩に主導されて居るかぎり四苦八苦から免れる事が出来ない。
(煩悩の要求に従って所有の次元の事物がドゥッカな本質のものである事に気付かずに魅入られ翻弄され空虚な幻の如き喜び.幸せ(小楽)を追い続ける事となる)
苦楽は、外界からもたらされたものの多寡には関係なく、自身の心の満足度.如何である。
心が貧しい者は欲深く満たされる事なし。
心が豊かな者は例え得られるものが少なかろうと.足るを知る。
●形を変えた戦争
経済戦争.情報戦争.心理戦争.受験戦争.就職戦争.受注戦争.出世戦争.権利戦争・勢力戦争・・・
煩悩に塗れ欲望に満ちた社会にあって決して満たされる事のない煩悩の炎は燃え盛り、それら煩悩や欲望を一時的にでも満たす事が幸せだと錯覚して.もっと新しい車.もっと大きな家.もっと高い地位.もっと多くの金財.もっと大きな勢力権力を得ようと競い争い戦いながら、欲望を満たす事が幸せだと錯覚しながら煩悩と自我の尽きる事のない欲望の炎は却って不満を生じ燃え盛り燎原の焔となり我が身と社会とを焼き尽す。
誰かの利得は誰かの損失であり、奪う人が居れば奪われる人が居る道理は軽んじられ富める者は更に富み.貧しい者は更に貧しくなる社会を生じさせ.報われない不満と.苛まれる苦しみと.格差への怨みと.やり場のない怒りが社会を更にドゥッカ(不安定さ.不完全さ.苦悩.心痛.悔み.迷い.哀しみ.儚さ.弱さ.脆さ.空虚.無常さ.無明.欲望)へと向かわせる事に気付き省みる事もなく戦い争い傷付けあう。
孫子の兵法
この戦いによって成り立つ社会に於いて孫子の兵法と釈迦尊(ブッダ)の教えとは一見.違う土俵.違う次元.違う領域のものに見えるが実は同じ方向を指し示し同じ目的へと向かわせるものである。
孫子の兵法の概略
(下策)百戦百勝を目指す 勝ちに拘る 猪突猛進・力攻め
☆激しい味方の損害や消耗を伴う
(中策)彼を知り己を知れば百戦殆うからず
☆敵の作戦.行動.習性が解り自分の状況や能力を正しく判断出来れば殆うい戦いは無くなる
☆負けるが勝ち
目先の勝利や成果に拘り勝ちを急ぎ大局を見誤るような愚を避け深慮遠謀を以って深く現況を推し量り先を見通す。例えれば今戦は負けといて兵力.戦力を温存し要となる決戦の為に温存する智慧
(上策)戦わずして勝つ
♤上の下 己の威力.勢力.能力.戦闘力などを見せつけて敵の戦意を挫く
♡上の上 生きる事は戦いであり、その目的は勝利であり、勝利の目的とは歓び.満足.安全.安心.幸福(スカ)を得る事であり、敗北とは苦しみ.悩み.痛み.悔い.迷い.哀しみ.不満.儚さ.弱さ.脆さ.虚無さ.惨めさ.実質のなさ.不安定さ.不完全さ.無明.欲情である(ドゥッカ)を得る事である。 
所有の為の下策.中策.上の下の戦いには必ず痛みや犠牲が伴い英雄は累々たる屍(しかばね)の上に築かれ更には夢幻の如く儚いものでしかなく勝者も敗者もドゥッカから逃れる事が出来ない。
仏道とは上の上たる勝利を獲得する道である
ここで留意すべきは人は煩悩(存在欲)を生存の素因として煩悩の欲望により生かされているのであり、意欲もまた欲であり煩悩を滅却したり煩悩の炎を消すという事は生きる意欲を失う事を意味する、必要なのは煩悩を消す事ではなく煩悩の欲求や執着の暴走.膨張を抑制(コントロール)する事であり、煩悩が制御コントロールされて欲望(渇望)が減るに連れて生きる自由度は増し、物事を冷静に観自在に見れるようになり現実世界と私(仮体)との差異は無くなり、自我も消えてゆく。
釈迦尊(ブッダ)は仰った。
「戦場に於いて百万の敵に打ち勝つよりも己一人に打ち勝つ者こそ、実に最上の勝者である。」「何故なら彼は煩悩の軍団(悪魔の軍団)に打ち勝ち堅固なる歓びと平安と静逸と幸せを得ているのだから。」
「正見する人の目は世間の人達の目とは正反対なものであり、人々が安楽(スカ)であると称し信じて疑わないものを諸々の聖人(如来)は苦悩(ドゥッカ)であると言う。多くの人が苦悩(ドゥッカ)であると称し信じて疑わないものを諸々の聖人(如来)は安楽(スカ)であると知る。この解き難き真理(真実.現実.事実)を観よ、無明(無知)なる者は此処に迷っているのである。」
「凡夫は欲望と貪りとに執着するが目ある者はそれらを捨てて道を歩み、この世の地獄を超えよ」
●人生とは儚いもので、例え人身を極め.英雄と称され.天下人となった人でさえもが人生夢の如し(人生如夢)、重い荷を背負いて坂道を昇る如し、ただ風の前の塵の如しと嘆く辞世の句を遺して逝ったように煩悩の自我欲望に翻弄されて所有の次元の事物を必死に追い求め、それがゆめまぼろしの如き儚いものであった事に気付いた時に慄然として悔い嘆くような勝利は真の勝利ではなく、無明(本質的な無知)なまま煩悩の欲望に誑かされた酔生夢死でしかなく目覚め(覚醒し)乗り越え(超越し)解き放たれ(解放され)、叡智により此の世界と彼の世界との真理(真実.現実.事実.摂理.ダンマ)を顕現させ煩悩への執着による欲望(渇望)を抑制コントロールし自我の妄想を振り払い到達した実相と生きる自由度による堅固な安定.静逸.歓喜.幸せ.満足の中で命を奥深く味わいながら人様の役に立つ存在として生き、笑って死んでゆく人生こそ真の勝利なのではないだろうか。そしてこの真の勝利はこの現象世界に於ける生命エネルギーの輪廻(継続の激流)からの解脱乃至善き母の腹に宿る縁をも意味し絶対安定世界(仏界.天上界.虚空.彼岸)への成仏する真の勝利への道と言えるのではないだろうか。
●生きるとは戦いであり、最良の味方も最悪な敵もその一身の内にあり、頼るべき味方は意欲と智慧であり、伏すべき敵は無明と自我である。
⚫宝 経
  • ○ここに集いし諸々の精霊は、地に棲むものたちも虚空に棲む者たちも、一切の精霊は、心喜ぶがよい。そして、我が語るところを謹しんで聞くがよい。
  • ○それゆえ、一切の精霊は耳を傾けよ。人間に慈しみを垂れるがよい。昼夜に供物を持ち来る人々を、怠ることなく護るがよい。
  • ○此の世、あるいは来世における如何なる富も、また天上にある如何なる妙宝も、我らの如来に等しきものあらず。此は仏陀が勝宝たる由縁なり。此の真実により幸いがあらんことを。
  • 釈迦牟尼が到達されし禅定は、煩悩の滅尽、離貪、不死の境地で優れたるものなり。その法(禅定)に等しきものあらず。此は法(ダンマ)が勝宝たる由縁なり。此の真実により、幸いがあらんことを。
  • ○最勝たる仏陀が、清浄なりと賛嘆せし禅定は「無間」と呼ばれる。彼の禅定に等しきものは存せず。此は法(ダンマ)が勝宝たる由縁なり。此の真実により、幸いがあらんことを。
  • ○仙人たちが賞讃せし者は、彼の八輩即ち四双の者たちなり。彼ら善逝(ブッダ)の弟子たちは布施.供養を受くに値す。彼らに施されしものには大果あり。此は僧伽(サンガ)が勝宝たる由縁なり。此の真実により幸いがあらんことを。
  • ○堅く決意し、ゴータマ(ブッダ)の教えに基づきよく励み、欲から離れている彼らは達すべき境地に達して、不死なる境地を体得し、その涅槃を余すところなく享受せり。此は僧伽(サンガ)が勝宝たる由縁なり。此の真実により、幸いがあらんことを。
  • ○[城の]主柱が地に立ちてあるならば、四方の風に揺らぐことはない。四聖諦を如実に観ぜし仙人[預流果の者]は、是の如く喩えらるると我は言う。此は僧伽(サンガ)が勝宝たる由縁なり。此の真実により、幸いがあらんことを。
  • ○深き智慧により正しく説かれたる。四聖諦を実践する者たちはたとい後に大いに放逸になろうとも、八回目の転生を引き寄せること有らず。此は僧伽(サンガ)が勝宝たる由縁なり。此の真実により、幸いがあらんことを。
  • 知見[四聖諦の明知]の成就と共に、以下の三つのもの(煩悩)は捨て去られる。有身見、疑、あらゆる戒禁取なり。また四悪趣に陥ることを離脱し、六重罪を為すことは能わず。此は僧伽(サンガ)が勝宝たる由縁なり。此の真実により、幸いがあらんことを。
  • ○身、口、意にて悪を犯すことになりても、彼はそれを隠蔽すること能わず。知見に達した者は隠蔽すること能わずと言わるるなり。此は僧伽(サンガ)が勝宝たる由縁なり。此の真実により、幸いがあらんことを。
  • ○夏の最初の月(春)叢林の枝先に花咲き満てるが如く、その如く最高の利益となる涅槃に導く尊き教法を説き給いし。此は仏陀が勝宝たる由縁なり此の真実により、幸いがあらんことを。
  • ○至善にして至善を知り、至善を与え至善へ導く無上士は、最上の至善たる教法を説き給いし。 此は仏陀が勝宝たる由縁なり。此の真実により、幸いがあらんことを。
  • ○「古き[業]は尽き、新しき[業]は生ぜず」。再び生まるることに未練はない。種子[業]が尽きた。貪欲を根絶やしにした。彼の賢者たちは、灯明の如く寂滅す。 此は僧伽(サンガ)が勝宝たる由縁なり。此の真実により、幸いがあらんことを。
  • ○(以下は精霊たちの仏陀に対する応答の言葉である)ここに集いし諸々の精霊は、地に棲む、あるいは虚空に棲む我らは、人・天に尊敬さるる如来を敬礼せん。仏陀に礼拝奉る。幸いがあらんことを。
  • ○ここに集いし諸々の精霊は、地に棲む、あるいは虚空に棲む我らは、人・天に尊敬さるる如来を敬礼せん。法(ダンマ)に礼拝奉る。幸いがあらんことを。
  • ○ここに集いし諸々の精霊は、地に棲む、あるいは虚空に棲む我らは、人・天に尊敬さるる如来を敬礼せん。僧伽(サンガ)に礼拝奉る。幸いがあらんことを。
  • 祈願文
    この真理の言葉の力によって 皆さんのドゥッカ(苦)がなくなりますように。
    • ⚫勝利の経
    • ○歩く、立つ、座る、横たわる、伸ばす、縮む。身体の動きはこれだけです。
    • ○(この身体は)骨と腱で組み立て、肉と皮膚で舗装されている。
    • 皮膚に隠れているので在りの儘には観れない。
    • ○身体は腸に充ち、胃に充ち、また肝臓の塊・膀胱・心臓・肺臓・腎臓・脾臓があります。
    • ○(この身体には)鼻汁・唾液・汗・脂肪・血・関節液・胆汁・膏がある。
    • ○またその九つの孔からは、常に不浄物が流れ出る。目からは目やに、耳からは耳垢、鼻からは鼻汁が出る。口からはあるときは(食べたものを)吐く。
    • またあるときは胆汁を、あるときは痰を吐く。全身からは汗と垢とを排泄する。
    • ○またその頭蓋骨の空室は脳髄に充ちている
    • しかるに愚か者は無明に誘われて、身体を清らかなものだと思いなす。
    • ○また身体が死んで横たわるとき、膨れて、青黒くなり、墓場に棄てられる。
    • 親族もこれを顧みない。
    • ○犬や野や狐こや狼や虫類がこれを喰らい、烏や鷲やその他の生き物がこれを啄ばむ。
    • ブッダの言葉を聞いて、智慧ある修行者は、この身体のことを完全に了解する。
    • 在るがままにのみ観る。
    • ○〈かの死んだ身も、この生きた身のごとくであった。この生きた身も、かの死んだ身のごとくになるであろう〉と、自分の身体に対する欲をも、他人の身体に対する欲をも、離れるべきである。
    • ○愛欲を離れた智慧ある修行者は、不死・平安・不滅なるニッバーナ(涅槃)という最高の境地に達した。
    • ○不浄で、悪臭を放つ、この身体を人間が守っている。
    • 種々の汚物が充満し、ここかしこから流れ出ている。
    • ○このような身体をもちながら、自分を偉いものだと思い、また他人を軽蔑するならば、彼れは〈観る能力が無い〉という以外の何だろう。
    • ⚫自分の身体に余りにも愛着すると修行が後退する事となる。
    • 身体を気にし過ぎる事は愛着(執着)である。
    • 執着を捨て去る為の実践を成就させるには[在りのままの身体を観察する]ことが重要です。
    • 釈迦尊(ブッダ)の時代には修行者たちがこの文言を日夜唱えて「身体の事が気になって修行に励めない」という心のわだかまりを解いて解脱.解放を目指した勝利を得る為の経典である

    勝利の経 Vijaya suttaṃ 







この真理の言葉の力によって 皆さんの恐怖がなくなります