進歩を阻むもの

自分を高め世界を変える純粋仏教
            目覚め覚醒乗り越え超越解き放て解放
⑴利己的な欲望
権威主義権威主義的メンタリティ
⑶階層的ヒエラルキー
⑷浅薄な自己愛と責任転嫁.無責任
⑸保守的な頑迷と革新的な賢明
⑹猜疑心
⑺享楽と怠惰
⑻物欲と自我
⑼感性と自由な発想の軽視

①利己的な欲望
物質文明を進歩は人の持つ利己的な欲望によって成されるが、それは同時に心の進歩を阻むものでもある。それは別に便利で快適な生活を批判する事ではなく、それは社会的な進歩は同時に人の心を盲目的に利己的な欲望に魅入られ翻弄され心を不浄に.貧しく.卑しく我欲を深めさせ人間存在としての価値を貶め心の進歩を阻むものでもあるのである。利己的な欲望は自我意識による妄想により造リ出され、自我は五集合要素(五蘊-物質的存在性.感覚.記憶.識別.感情.主観)により造り出される。
すべての悪の根源は無明(本質的無知)であり誤解であり無知を無知のまま放置しては進歩できないのは自明の理であり、同時に無明によりドゥッカ(苦.心痛,迷い...)は生起する。
人は疑問.躊躇い.無知がある限り進歩できず、物事を真に理解できず明晰に見えない限り.疑問.ためらい.戸惑い.無知な状態のままであり、疑問.ためらい.戸惑い.無知を無くしてゆく事が心を進歩させてゆく為には不可欠なのである。
[疑う事なく信じる]とか[人の言う事を鵜呑みにする]ことは本当に物事を理解した事でも本当に物事が見えている事でもなく.疑問を晴らした事でもなく、先に進むことを阻んでいる事に他ならない。
真に先に進む為には自ら調べ分析し思惟し検証し確証を得て疑問.ためらい.戸惑い.無知を取り除いて行かなければならない。
無我は知性(理性)による客観的見地に依って見い出され、諸行の無常性(空性)に神仏の非存在を見い出し.縁起(因果律)を見い出し、諸法の無我性に主宰的.実存的な永続的存在の魂.霊魂.霊体の非存在を見い出し、無我な現象的存在である事を自覚し.利己的な欲望.執着を離れれば諸悪と苦しみの根源から解放され、全くの平安と歓喜に梵住する。
●人類の業病
人類の進歩を阻む業病の一つが、世の中に蔓延る妄想.迷信.神秘思想.得体の知れない神や仏や超越的な力や怪しげな霊力.霊感などを肯定したり依存したりする無明(本質的無知)であり、原初的には人間には思議し得なかった天地自然に対し不思議を覚え、大いなる神性を見出し敬い畏れ崇め奉ったので在ろうが釈迦尊(ブッダ)が論拠を明確に指し示し否定されてから凡そ2500年を経て発達した科学文明社会に於いても尚、増え続け無明.暗愚.偏った人達を熱烈に魅了し染脳(洗脳)し知性(理性)を麻痺させ心を病ませてゆく。
●理由(reason)
☆第1の理由
人間は何の為に生まれたのかも解らない無明(本質的無知)な存在でありドゥッカ(不安定さ.不完全さ.苦しみ.悩み.迷い.心痛.怖れ.悔い.哀しさ.儚さ.弱さ.脆さ.空しさ.実質のなさ.惨めさ.欲)を生存の素因として根深い自己防衛と自己保存の渇望により自己防衛として保護.安全.安心.恩恵の為の依存し依り処とする精神的支柱を欲し神や仏や超越的な力を妄想し、自己保存として永続的.主宰的.実存的存在として魂.霊魂を妄想し、本質的なドゥッカに対峙する為にこれら二つの存在を欲し、保護.安全.安心.恩恵.永遠性への不毛な妄想であっても失なえばドゥッカ(苦.心痛など)に苛まれてしまうと錯覚してこれら二つのものを求めずには居られないが、これら妄想的な依存.依り処.精神的支柱は真の進歩を阻むものに他ならない。
☆第2の理由 (主観)
主観は真理(真実.現実)を映し出さない
主観とは状態.環境.時間などによる五集合要素(五蘊)による感覚.記憶の残滓.感情.情緒などにより全体性(真実.現実)を破壊.分断.分別.選別した認識こそが主観であり、現実的な選択には妄想的選択を併せ持ち、善の選択には同時に悪を隠し持ち、無いという選択には有るを併せ持っている本質的には思議しようとはせず不思議をそのまま受け入れ、自分が知り得ないだけであり自分の知り得る範疇の外には存在するだろうという真実の破壊.分断.分別.選択により成り立っている自我的.作為的な感覚.偏った記憶.感情に基づいた不安定で不完全なものであり一時的な喜び.快感.満足の為に感覚的.情緒的.感情的に得体の知れない神や仏や超越的な能力や怪しげな霊力.霊感などを無闇に受け入れようとするのは、無常が理解出来ず真実が見えないからであり真の進歩を阻むものに他ならない。
☆第3の理由 (悪魔の証明)
検証し得ない物事や現象を在ると証明出来ないように無いを証明する事は不可能な悪魔の証明である。自分の認識できる範疇に無いからと言って言下にそれを無いとは断定できないしいけない事だが、かと言って自分が知り得ないだけであり、自分の認識能力の外には在るに違いないという単なる想像上の推論や形而上学などは人を不毛な思想の荒野へと陥らせ、人を盲目的にさせる進歩を阻むものである。  
ただ信じるという言葉は単に感覚.記憶の残滓.感情.情緒.主観に過ぎず物事が本当は見えていない状態を言うのであり物事が見え事実を理解した瞬間には存在しない言葉でもあり、世の中に溢れる疑う事は悪だと主張し、無抵抗に無思考に鵜呑みにし信じて従う事こそ善だと主張し強要し染脳(洗脳)する全ての思想や教えこそ不善なものであり進歩を阻むものであり肝心なのは無抵抗.無思考に妄信する事ではなく知性(理性)や知識或いは叡智を通じて見る事であり信仰や確信.志向や嗜好.世評や伝統.同胞や利益などからではなく真理(真実.現実.実相)の発見こそが自分を堅固な喜び.幸せ.安定.進歩へと導く。
権威主義権威主義的メンタリティ
権威主義という観点から日本仏教を眺めれば凡そ釈迦尊(ブッダ)が説かれた仏教とは言い難い教義(新仏教)に依拠しながらも歴史と伝統による権威に支えられ、為政者に阿った中華古典思想(儒教.老荘.道教.朱子学)やバラモン教学色に染まった大乗思想を核とする滅びゆく中国仏教から派生した日本仏教を受け入れる日本人の権威主義的メンタリティ(権威主義的人格)を、釈迦尊(ブッダ)が説かれた至高なる真の仏教思想に触れ.学び..理解して頂き、人々が目覚め覚醒し.乗り越え超越し.解き放たれ解放されて真の幸せな人生の実現する純粋仏教を説いて居るのである、それは釈迦尊(ブッダ)こそ権威主義の弊害を身を以って体験され否定された方であったからに他ならず、権威を盲目的に信頼(妄信)してはならず自ら観察し吟味し分析し検証し確証を得たものを信じなさいと説かれ、権威に裏打ちされた物事であっても無思考に受け入れたり鵜呑みにしたりただ信じると言うのは物事が見えて居ない無明(本質的無知)盲目だからであり、信じるとは物事が本当に見えた瞬間には消え去る性質のものだとも仰っているのです。
大切なのは信じる事ではなく真理(真実.事実.現実.実相.摂理)を在りのままに観る事であり理解する事なのですが、権威主義的メンタリティ(権威に惑わされ阿る人格)と迷妄から目覚め.乗り越え.解き放たれる事が出来なかった大衆迎合的な脱落僧と民衆達が釈迦尊(ブッダ)の権威とバラモン教的な神仏の加護を騙って興したのが大乗(マハーヤーナ)でありガンダーラを経て中華思想に採り入れられ再構築されて釈迦尊(ブッダ)の権威を以って日本に伝わった約そ20%の釈迦尊(ブッダ)の仏教思想と20%のバラモン教的思想と20%の民間信仰と20%の中華思想と20%の開祖の思想から成り立つのが日本仏教(新仏教)だと言えるのです
③階層的ヒエラルキー
階層的ヒエラルキーとはピラミッド構造的階層による組織や社会を指し、一見は理想的形態のように錯覚させるが権威主義的な社会と同様に人々を現実から目を背けさせ現実面より心情や心理面に訴え掛ける魅惑的で都合のいい虚構や嘘がその構造体の維持に必須なものとなり、信仰に於いては得体の知れない神仏や預言者や怪しげな霊力を必要とし、社会に於いては権威を伝説により裏打ちしたり桃源郷(ユートピア)を夢想させたりしながら権威主義社会.組織も階層的ヒエラルキー社会.組織も客観的な認識能力を麻痺させ自由を許容できない硬直した既得権益などの権威的特権で自衛しながら全体主義的な社会.組織.国家を出現させてゆくのである。
⑷浅薄な自己愛と責任転嫁.無責任
⑸保守的な頑迷と革新的な賢明
浅薄な自己愛に埋没した者達によって築かれる社会に発展は望めず、例え新たなる宝の原石が現れたとしても磨き輝かせる労苦は厭い成果を我が賜物とのみ画策し、光り輝かないものへの批判には群を抜く才能を発揮し責任転嫁と無責任論を展開し責任を回避する保身こそが自己愛だと錯覚し累々たる残骸と打ち捨てられた人々と凋落した社会を遺して行くものである。
目先きの利ばかりに構ける保守的で頑迷な者達は常ならず変化生滅してゆくこの世界に於いては新たなる潮流の前に必ず敗北してゆく事は歴史が証明している、かと言って無闇に革新ばかりを追う者達も愚かであり革新には保身や自己愛を捨て去り理想の前に命を投げ出す覚悟と勇気と智慧と努力が必要であり、それが持てない革新など理想とは言えない空想でしかない代物か革新という言葉に酔っ払らっているだけに過ぎないのではなかろうか。
虎は死して皮を遺す、人は死して何を遺す
⑹猜疑心
猜疑心は真理を明確に理解し精神的に進歩する為の「五つの妨げ.五蓋」の一つであるが、疑いを晴らす事こそが進歩なのである
全ての悪の根源は無明無知であり誤解であり疑問.戸惑い.迷い.躊躇いがある限り進歩しては行けないものであり、物事が本当に理解でき物事が明確に見えない限り疑問は付き纏うものであり理解したつもり進歩したつもりになり自惚れず本当に進歩してゆく為には疑問を無くしてゆく事こそが不可欠であり、疑問を無くす為には猜疑心に捉われ目を閉ざすのではなく物事を明晰に観る事が必要なのである。
今まで正しいと思い込み信じて居たものが間違っていたと気付き、今まで間違っていると思い込み信じて居たものの真実に気付く事が出来る
☆疑わず信じるべきであるという言葉は正的を射ては居ない、唯単に信じると言うのは物事を本当に理解し物事が見えていると言う事ではなく真に進歩して行く為には疑問を無くす必要がある。
信じる.疑わないと言うのは問題を本当に解決する事なく受け入れ盲目的に生きる事でもあり、進歩.修養とは我執や主観を捨て去って絶えず疑問を無くしてゆく事を心掛ける事で目覚め覚醒し乗り越え超越し解き放たれ解放してゆく事である

●心的修養
心的修養に於ける進歩を阻むもの
☆所有への執着
金財.物欲.色欲.地位.名誉.称号など一時の位.権力.勢力.名声.世評.承認.寿命.健康.美.体力.能力
☆不善処
三毒(貪欲.愼恚.痴愚)悪意.憎しみ.恨み
☆物憂さ.無感覚
☆落ち着きのなさ.心配.不安
☆懐疑的な疑い

〇もしも人が見解によって浄らかに成り得るのであるならば或いはまた人が知識によって苦しみを捨て得るのであるならば、それは煩悩(存在欲)に捉われている人が正しい道以外の方法によっても浄められる事になる。
このように語る(騙る)ものを偏見あるものと呼ぶ。 SP-
〇真の修養者は正しい道の他には、見解.伝承の学問.戒律.道徳.思想の内のどれに依っても浄らかになるとは説かない。彼れは[禍福]に汚される事なく自我を捨て、この世に於いて禍福の因をつくる事がない。SP-

○実に此の世に於いては恨みが恨みによって消える事はついぞなく、恨みは恨みを捨てる事によってこそ消える。これは万古普遍的真理である。DP-05
○怒りは怒りを捨てる事によって打ち勝ち、悪い行ないには善い行ないによって打ち勝ち、物惜しみには施しによって打ち勝ち、虚言には真実によって打ち勝て。DP-223
○勝者は恨みをかい敗者は苦しみを味わう。安らかな人は勝敗を捨てて幸せを得る。DP-201
○戦場に於いて百万の敵に勝つよりも、己一人に打ち克つ人こそ、実に最上の勝者である。DP-103
○自分自身を依り処とし、自分自身を避難所とし、他の誰をも避難所とすることなかれ
ダルマ(真理.真実.現実.事実.実相.摂理)を依り処とし、ダルマ(真理.真実.現実.事実.実相.摂理)を避難所とし、他の何ものをも避難所とすることなかれ
自己の依り処(精神的支柱)は自己のみ也
他に如何なる依り処が在ろうか
自己の善く調御せられたる時、人は得難き依り処を得る DP-160
調御とは、例え解脱し大悟したる身にも煩悩の誘惑(悪魔)は甘美を以って誘惑せんと現れる。
その煩悩(悪意の誘惑)に気付き取り除く事こそが身の制御である

●目覚めの七要素
①気付き.自覚
②分析.検討.研究.思惟
③熱意.意欲
④喜び.前向きな態度
⑤寛ぎ.余裕
⑥集中力
⑦落ち着き.冷静

人の心のその奥に仏も住むが鬼も住む
進化は環境に依って為され、
発展は争いに依って為され、
進歩は努力に依って為される。