お陀物の物は仏に非ず

自分を高め世界を変える純粋仏教
             目覚め 乗り越え 解き放て!

⚫思考瞬間
諸法は無我であり、永続的.不変的実体(魂.霊魂.霊体)は存在しない、永続的.不変的実体が存在しない以上、ある瞬間から次の瞬間に継続するものは何もない。途切れなく継続してゆく連鎖運動であり、生死を分断.分別.区別するならば思考瞬間の違いであり、記憶の喪失だけである。
この生の最後の思考瞬間が、次の生の最初の思考瞬間を条件付けている。
今生も思考瞬間が次の思考瞬間を条件付けている思考瞬間の継続、連鎖運動である。
この存在したい.生成しようとする渇望がある限り、成仏出来ずに因果律(縁起)に遵って継続の輪(輪廻)は続いてゆく。
真理(真実.現実.実相)、涅槃(ニルヴァーナ)を見る叡智により、渇望が断たれると継続させる心的エネルギー及び心的次元は消滅する。

真の仏教思想では此の世の生への執着が断ち切れない人は死んで亡者となり彼岸の淵(天界・仏界と此の世の間の世界.冥界.迷界)を彷徨った後(休息後)に其々の業(カルマ)に遵い次の何かしらへと生まれ変わる輪廻転生という生命の連続性を説いているのであり、死んだら成仏し極楽や地獄へ行くとも説かれては居ず、大衆迎合的なガンダーラ.中国思想により歪められ仏教思想と称して伝えられたものである。
因みに六道(地獄.餓鬼.畜生.阿修羅.人.天)とは此の世での心の有り様(境地)と共に再誕するだろう生命連鎖の階層を現すのであり、仮に地獄の心で生きれば当然として地獄として表現される生命層に生まれ変わり、自分への執着(自我)を乗り越えれば天に生まれ変わり、全ての執着を断ち切れば仏へと生まれ変わり激しい輪廻の流れから解放されると言う因果律(縁起)に遵った自業自得.自因果応報と言う真理(真実.現実.実相.摂理)が説かれるのであり、魂.霊魂などは諸法無我により否定され魂.霊魂などという主宰的.永続的.実存的なものが存在せずとも生命は流れ続け次の何かに成り続けるのである。
これは生きている毎日と同じく、前の思考瞬間が次の生起を条件付けているのであり、因果律(縁起)に遵って次の何かへと変化生滅してゆく。  そして伝承されるように、釈迦尊(ブッダ)が最終真理(真実.現実.実相)に到達されその冷厳な真理を神通を以って透視.洞察された時、世の中の潮流に逆らう無明(本質的無知)で主観的.感覚的に死後のお花畑を夢見る衆生にはこの真理(真実.現実.実相)を説いても理解されず受け入れられないだろうと此の至高な真理(真実.現実.実相.摂理)を説く事を躊躇われたのも輪廻転生という生命連鎖の法則に付いてだとも言えるのです。
しかし梵天勧請(支持者.理解者.応援者)により、泥沼の中でも清廉な大華を咲かせる白蓮のように無明な人々の中にも理解できる人も居る事を信じて至高な真理(真実.現実.実相.摂理)を説いて下さったのですが・・・・・。
釈迦尊(ブッダ)の入滅から凡そ2500年の時を経て科学の発展に伴って汎ゆる信仰や宗教や哲学などは否定されて行く中に於いて釈迦尊(ブッダ)が発見され到達された真理(真実.現実.実相.摂理)を説く純粋な仏教思想の一つ一つは検証され科学によりその正しさが証明されそれは科学の発達とは釈迦尊(ブッダ)が到達した真理(真実.現実.実相.摂理)へと向かう事だと言っても過言ではないにも関わらず無明(本質的な無知)で感覚的.権威的.感情的.主観的.自我的な世の中の潮流は得体の知れない信仰や宗教や哲学を大切なものであり無くてはでありならないものだと錯覚していて目覚め.乗り越え.解き放つ事が出来ないでいる。
【参 照】