絶対叡智

絶対叡智について、中部経典[ダートゥヴァンガ.スッタ]が明確に語っている。
人間は液体・固体・熱・運動・空間・意識の六要素から構成されている。
それらを分析してみると何一つとして[自分のもの][自分][我]ではないことが解る。

そしてどの様にして意識が現れ消えるか、どの様にして快適なもの、不快なもの、そのどちらでもないものが現れ消えるか解る。これらが解って心は初めて捕われがなくなる。
すると自分の内に純粋な平静があり、それを高度な精神状態に到達するように仕向ける事が出来ることを見出す。

そして.この純粋な平静が永く続く事が解る。
「もし私が、この純化され浄化された平静を無限の空間に集中させそれと一体化した心を発達させても、それは単なる心的創造でしかない。

もし私が.この純化され浄化された平静を無限の意識に集中させ.それと一体化した心を発達させても.それも単なる心的創造でしかない。

もし私が.この純化され浄化された平静を無限の無に集中させ.それと一体化した心を発達させても、それも単なる心的創造でしかない。

もし私が.この純化され浄化された平静を無限の無認識・非認識に集中させ.それと一体化した心を発達させても、それも単なる心的創造でしかない。」

これらに気付く人は生存・非生存を心に妄想することを欲する事もなくなる。
生存・非生存を心に妄想する事を欲する事もないので、世界の何ものにも執着しない。
執着しないので不安もない。不安がないので内面的に完全に平静である。

「誕生により条件付けられた無知(無明)の闇は終わり、純粋な動物的な生は生き終えられた。なされるべき事はなし終えられ、再生を条件つけるものは、もはや何も残っていない。」

今や快適なもの、不快なもの、そのどちらでもないものを経験しても、それらが永続的ではなく、自らそれらに捕われる事なく自分はそれらを欲望から経験したのではないことを理解している。

すべてのこうした感覚はオイルと芯がなくなるとランプの火が消えるように肉体の分解と同時に消滅することを知っている。

「そう理解した者は絶対叡智を具えている。何故なら全てのドゥッカ(不安定・苦・痛み)の消滅の知識こそは絶対的な聖なる叡智であり、この真実に依拠した解放は不動である。

非実存的な存在は仮体であり偽りであり錯角であり空しく儚い存在である。実存すなわちニルバーナ(絶対安定・涅槃)は真理である。

そう理解した者は絶対真理を具えている。何故なら絶対的な聖なる真理はニルバーナ(絶対安定・涅槃)であり.それは実存である。」