八正道(禅定の章)

八正道(禅定の章)
心を浄化する修養の実践
(業.カルマ=行為)
修養者は正しい修養により[戒]から[定]…[定]から[慧]に至り一人の菩薩大士となる。
悦楽の中に修養の成果を味わい、生きる事の素晴らしさを享受し、命の意味を悟るだろう。智慧の修養は甘美な果実を収穫する。
自分の心に注意を向ければ苦悩の本当の原因が理解できる。
心が感覚的.感情的.思考.認識などの働きをした時に.自他の為にならない振る舞いをして.煩悩や苦しみを惹き起こす事がある
[戒]により心に刺激が入り込まぬよう感官を見張り、同時に心を不安定にする行いを慎む。衛兵が城門を守るが如く。
[戒]によって心が安定したならば、正しい精神集中[定]により想念を一点に留めて雑念を芽生えさせない、芽生える隙を与えない
定]により心は澄んだ水面の如く一切を映し出す。命の実相を観じ、大宇宙の法則を理解し、全てを在るがままに受け入れる。

6.正精進(正しい努め励み)
サンマーワーヤーマ
 四正断(断断.律儀断.随護断.修断)のことで、実践する行動は悟りへの正しい道である。                                          
☆たとえ千の偈を唱えても、実践せず心が浄らかに成らなければ無意味である
☆たとえ一行の偈でも実践するならば、それこそ真の言葉である
●四正断(四精進)   
※今生じてない悪(貪瞋痴)が生じないよう注意深く精進する       
※既に生じた悪(貪瞋痴)をなくすよう注意深く精進する。        
※今生じていない善(戒定慧)を行うことを決意し精進する。       
※既に生じている善(戒定慧)を安定させ修習し完成を決意し精進する。   
(善.徳.浄の方向に向かって努力する)

7.正念(正しい気付き・憶念) 
サンマーサティ  
 四念処(身念処、受念処、心念処、法念処)のことで、観察する瞑想は悟りへの正しい道である。                                     ●四 念 処                                                   ① 身念処  此処に身体において身体を観察して、正念正智して貪欲と憂いとを制御する。  
[呼吸の自覚・身体への気付] 
☆kaya ⇒この身体は不浄なものである。                       
②受念処  此処に感受(楽・不苦不楽・苦)において感受を観察して正念正智して貪欲と憂いをと制御する。  
 [感覚の自覚.感受作用への気付き]  
☆vedana⇒感受する感覚とは苦である  
③心念処  此処に心において心を観察して正念正智して貪欲と憂いとを制御する。  
[心の状態の自覚.心の状態への気付き]
☆citta ⇒心とは無常であり不安定である。      
④法念処 此処に法において法を観察して正念正智して貪欲と憂いとを制御する[ 観念の自覚・真理法則への気付き]        ☆dhamma ⇒すべての事物は無我である。           
●四念処経「人のすべての憂い、悲しみ、悩みを無くす為、清らかな心を作る為、解脱する為には気付きを実践しなさい。涅槃(ニルバーナ)へ至る唯一の道である」

●サティパッターナ・スッタ 
如来品翻訳版  ☟最下部に添付

☆その時々の今の瞬間(一息)の自分に気付いてゆく。          
☆心の汚れ(汚穢)をなくす方向へ客観的に気付いてゆく事。       
☆不放逸(今の瞬間(一息)に気付いている状態を維持してゆく。      
☆念処とは「気付いて止まる」ことであり、気付いた事についてゴチャゴチャと考えたり妄想したりしない事。(正とは一に止まると書く如く)      [一例]            
☆意識が外界へ向かい五感官の内の耳により「音」という刺激と出会う(聞く) ☆音を聞く事(感受)により五結合要素(五蘊)は意思(想行蘊・サンニャサンカーラ)を生じ(欲・怒り・無知など)、その音に対して意思(サンニャサンカーラ)に記憶されている記憶の残滓や知識・情報などにより意識を生じさせる    
☆その音に対して怒りなさいと命令されたり、執着しなさいと命令されたり言わば五結合要素(五蘊)の奴隷状態に居る
☆五結合要素(五蘊)という精神作用に縛られている          
☆毎日それに気付いてゆく事により対象への執着が段々と薄れてゆく☆少しずつ色々な対象から束縛されなく成って行き、五結合要素(五蘊)の束縛から解き放たれ(解放)てゆくと特別な智慧(叡智)が顕現してくる    
☆四念処の実践により同時に集中力・精進・善因が随いてくる      
☆呼吸に注意を向け呼吸に集中する事は、精神的発達や精神的安定や集中力の育成の為には欠かすことが出来ないものである。   
☆集中した心は快楽と安堵感を生じさせる。そして更に集中力が高まってくると強烈な悦楽と平安を味わうようになる
☆外界の事物への集中は依存症を生じさせるが、内界への集中への依存症はない。☆それは外部麻薬によれば麻薬中毒ともなるが、内分泌(脳内麻薬物質.βエンドルフィン.ドーパミンなど)による依存症はない   
☆競馬・パチンコ・スマホ・遊興・・・など(所有の次元の事物)への集中により、一時的な短命な快感とか安堵を得られるが、依存症を発症し妄縄自縛へ陥る    

8.正定(正しい精神集中・精神統一)サンマーサマーディ
 四如意足(欲如意足、精進如意足、心如意足、観如意足)は四神足のことで、集中する瞑想は悟りへの正しい道である
☆八正道では、正しい見解を持つことから始め、日常生活のすべてに対して、正しくあるように、意識的に行動する
☆意識的に正しい(と思われる)ことを、日々の生活の中で行う、というのが八正道の考え方である。これはとても分りやすい考え方であり、八正道が多く説かれている理由もここにあると思われる☆但し八正道において意識的に正しいことを行ってゆくだけではなく、同時進行的に四正断、四念処、四如意足の修行にも取り組んでいくのである   
●四 神 足(四如意足)         ①欲神足   欲求について意のまま集中し思念をもち実践する能力を修める   ②勤神足 精進について意のまま集中し思念をもち実践する能力を修める   心神足 思索について意のまま集中し思念をもち実践する能力を修める   ④観神足 観察について意のまま集中し思念をもち実践する能力を修める   ☆サマーディ(三昧)は通常の五感官の認識レベルを超えた認識体験である   
☆その為には、五感官から入る刺激や情報への欲から離れる         
☆五感官から入る刺激、その刺激から得られる情報が生きてゆく為、生命には必須なものだいうと誤解・誤認を乗り越える。(超越する)          
☆そう感じさせる衝動の大部分は渇愛による煩悩の衝動であり、生体維持の為に必要とする刺激量・負荷は僅かなのである。)   
☆五感官から得られる刺激や情報に強く執着していては幾ら内観や瞑想をしていても正定(禅定・ジャーナ)を得る事は出来ない。     
[内 観]              
●サマーディ法(禅那・止観)     無念無想☆何か対象の一点に集中し思念や雑念を抑制し徹底的に集中。(集中力の訓練)    
☆心に入る情報を遮断し、無念無想へと向かう訓練 (精神統一)       ☆集中し統一された心は、強烈な喜悦感・安らぎを与える        
☆世俗の物事に縛られ捉われ未練がある限り心は統一しない        
☆欲得(所有の次元の事物)から得られる喜びは、心の統一性(サマーディ)から得られる喜悦感とは正反対の性質のものである   
☆離欲が不可欠の条件である    
☆世俗的な所有の次元の事物への集中は、依存症に陥る        
☆心の自由がなくなり、強烈な束縛を生じる☆依存症による強烈な欲求により欲や怒りなどが制御不能な所にまで暴走してゆき人を破滅させる事となる   
●ヴィッパサナー法(観照.正観)正念正智☆自分を明確に在りのままに観察する自己観察(自分を学ぶ)        ☆物事に対して何も判断せず、在りのままに観る訓練           
☆意識を対象物に向けると五結合要素(五蘊)の働きにより何かしらの判断を下している。しかし五結合要素(五蘊)による判断とはサンニャサンカーラ(想行蘊)に蓄積された記憶の残滓や情報や知識により自分に都合よく捏造されたり分別されたり錯覚や思い込みや感情が入った偏ったり歪められたり誤解などに基づいた判断でありバイアスが掛かった判断なのである             
☆耳で聞くのは「音」であり騒音でも音楽でも自分を非難する雑言でもない 
☆眼で見るのは色と形であり薔薇の花でも小川のせせらぎでも美人でもない  ☆鼻で嗅ぐのは匂い香りであり、良い香りも嫌な匂いもない         
☆舌で感じるのは味であり、旨いも不味いもない              
☆皮膚で感じるのは硬さと温度であり、気持ちいいも不快もない       
☆そうやって事実を観てゆくと人間の次元で物事を判断して創り出している苦しみ(痛み)の構造が除々に消えて行く  ☆心というものを理解し尽すことは出来ない☆しかしそこには一貫したシステムが存在する            
☆在りのままに観るためには、色々なことをゴチャゴチャ考えずに思考を止めて観察する事が必要である                      ●内 観と内々観(超越瞑想)     ☆形式や作法などに縛られる必要はなく姿勢を正して渇愛による煩悩の要求により外界へ向けてしまう意識を内界へと方向転換させ煩悩を抑制し、雑念や妄想に気付いて止め、心を一点に集中させ思考を止める(禅)と、自分やあらゆる事物を冷静に客観的に観察する(定)とを、交互に段階を追って深めて行く訓練であり、特別に時や場所を選ぶ必要もなく誰でもが、開いた時間に喫茶店でお茶を飲みながらでも下らないテレビ番組を消してでも通勤電車の中ででも立っていようが座っていようが実践できる方法であり、縛られる事がない分、涅槃(ニルバーナ)目覚め(覚醒)への到達は早いかもしれません。(内観に必要なものは信念と精進と自己啓発だけなのです。)      ☆悦楽の中で[智慧の悟り]は顕現する 
●八正道では、正しい見解を持ち日常生活のすべてに対して正しくあるように意識的に行動することを目指す。ここで何が正しいか、どう考えることが正しいのか、どう行動することが正しいことなのか、ということが問題となる。正しいことは何かを考えるなら、目的である解脱ということを重視しなればならない。解脱という視点から考えると、解脱を助けるものが正しいことであり、解脱を妨げるものが正しくないことである。心を平安に保ち執着(煩悩、結)を減少させる事が正しいことであり、心を乱し執着(煩悩、結)を増大させる事が正しくないことといえる。正しい行動や考え方、正しい生活ができるようになるためには、戒を意識した生活をすることが必要になる。こういう視点(これが正しい見解となる)から、正しくあるように意識的に行動するのである。
正精進(正しい努力)・正念(正しい気付き)・正定(正しい精神集中)により心的規律(調った感性)は育成される。

●マハ.サティパッターナ.スッタ
(大念処経)
 目次 
 ①身体のサティパッターナ
    1.   息を吐く・息を吸う  
    2.   歩く・立つ・座る・横たわる  
    3.  きちんと把握する 
    4.   不浄の観想  
    5.   元素の観想  
    6.   九段階の死体  
②感覚のサティパッターナ
③心(感情)のサティパッターナ 
④精神作用のサティパッターナ
    1. 道の妨げとなる五つの障害 (五蓋) 
    2. 執着を生む五つの集合体    (五蘊)
    3. 六つの感覚器官と認識領域 
                                           (六根と六境)  
    4. 七つの悟りの要因  (七覚支) 
    5. 四つの真理 (四聖諦) 
   a. 苦の真理 
   b. 苦の原因の真理 
   c. 苦の消滅の真理 
   d. 苦の消滅への道の真理 (八正道) 
 サティパッターナの成果