精神的支柱(拠り処)

子のある者は、子について憂い、
また牛のある者は、牛について憂う。
人間の憂いは執着する拠り処により起る、実に執着する拠り処のない人は憂うる事がない。
自己の拠り処は自己のみなり
他に如何なる拠り処が有ろうか
自己のよく調御せられたる時、
人は得難き拠り処を得る。
人間の本能とは自己防衛性と自己保存性と客観的理解認識能力(理性.知性)という三要素(純質・激質・暗質)により成り立ち、[誕生]による無明(本質的無知)を条件として生起する。
無知(無明)による本質的なドゥッカ(生存苦.不安定さ.不完全さ.苦しみ.悩み.悔い.心痛.弱さ.渇き.怖さ.哀しさ.儚さ.空しさ.惨めさ.無常さ.実質のなさ等)による根深い自己防衛欲により自分の保護.安全.安心.恩恵のために神や仏を妄想して精神的支柱(拠り処)とし、また根深い自己保存欲により永遠的な実体としての魂.霊魂.霊体などを妄想して精神的支柱(拠り処)として、本質的な不安定性を辛うじて安定化させているのであり、己の理性.知性(客観的理解認識能力)や現実が幾ら疑問を呈してもそれらを自分という存在にとって必須な無くてはならない精神的支柱(拠り処)だと錯覚して、それらにしがみ付き乗り越える事が出来ない。それらを否定される事は自分の存在の否定だと捉え怒り恐れ狼狽るのだか、しかし単に信じると言う事は[虚妄]を依り処(精神的支柱)として依存する事であり.それは無明な人を更に盲目的にさせる事であり不安定な本質を更に不安定化させる事に他ならず.自分という存在の真の意義や価値観を放棄し他人の意義や価値感で生きる事を意味するのである。神や仏の価値観を否定している訳ではなく、各人が何を信じ.何を選択し.何を精神的支柱(拠り処)として生きようが悪事に向かわせるものでない限りに於いては自由であり、精神・肉体両面における本質的な不安定状態を一時的にせよ安定状態へ向かわせるものであるならば一定の価値観は見い出せるのだが、真に人を無明の闇の中から目覚め覚醒させ.乗り越え超越させ.解き放たれ解放される道とは真逆な道でもある。それでも何れの道であろうと安定を維持させてゆくことが幸せに生きてゆく為の絶対条件であり、真に堅固で安定的な依り処(精神的支柱)とは真理(真実.現実.事実.実相)をおいて他にはないのである。しかし現代社会においては得体の知れない信仰と、本来的な宗教(宗となる教え・人が人として生きて行く為の精神的支柱.(拠り処)とすべき教訓・倫理・道理・徳目・死生観)を混同し同じものの様に捉え、現代人の中には得体の知れない信仰を捨て去る時に同時に真の宗教観(精神的支柱)さえも放棄してしまい、肉体的.精神的な本質的不安定を安定化させるための精神的支柱(拠り処)を所有の次元の事物(金銭.財産.物欲.地位.名誉.称号.身分.権威.権力.勢力.家族.承認.評価.見栄.健康.長寿…)に盲目的に求めた結果として、それらに魅入られ誑かされ執着し、却って苦や悩みや不満や恨みや争いを造り出して不安定な人生に翻弄されているのではなかろうか。
「汝らは自らを燈明とし自らを依り処(精神的支柱)とし、他人を依り処とせずに在れ、法(真理)を燈明とし法(真理)を依り処(精神的支柱)とし、他を拠り処とせすに在れ」
※自らが正しく眺め理解した真理(法・真実.摂理.自然法則)を精神的支柱とし、他人の説を依り処とするな、この世界の真理(無常の理法・縁起の理法・輪廻の理法)を精神的支柱とし、他のものを精神的支柱とはするな。
⚫では何を精神的支柱(拠り処)として生きてゆくべきなのかと言えば、真理(真実.事実.現実.実相)であり、諸行無常(常ならず変化生滅している)のこの世の中においては、凡そ全ての物事はその関係性・相対性における縁起(条件によって生起し、条件によって消滅する)という因果律(物理法則・摂理)に支配されているから、所有の次元の事物は皆、いつか必ず去っていったり.壊れたり.失なったり.盗まれたり.飽きたりと価値が変わったりと条件性を前提とする事物なのだから必ず苦や悩みや不満や恨みや争い空虚や不安定(ドゥッカ)へと還り付く性質のものなのであり、この世界の中で真に精神的支柱(拠り処)とすべきものは条件によって変化したり消えたり逃げたりしない唯一、絶対的(無為)な真理(真実)という堅固なものを精神的支柱(拠り処)とすべきだと、お釈迦様は説かれたのであり真に安定的な幸せの為には.真理の発見とその修養の道を[自燈明]自らの内にある真理を認識し理解する能力による(叡智)を精神的支柱(拠り処)とし、[法燈明]法則(真理)という安定的な実体(条件により生起し条件により消滅しない唯一のもの)を精神的支柱(拠り処)とし、他の一切を精神的支柱(拠り処)にしてはならないとお釈迦様は説かれているのです。
「頭ではなく心(サンニャサンカーラ・想行蘊)が無常なる流転の法を理解できたら、全てのドゥッカ(苦・悩み・空……)から解放される。」