神秘と不思議

不思議(ワンダー)と神秘(オカルティズム)という言葉は混同して捉えられがちですが、似て非なる真逆で対極的ものなのです…
不思議(ワンダー)とは不可思議の略語であり人間が[思議し得ない]ことを指すのであり、つい近代に至るまでは.生命を生み出した大いなる力である光も.水も.電気なども.無知で未開だった人類にとっては.不思議な力でしたが、その知性と努力と探究心や知的好奇心で開拓し.開明して思議できるようになったのです…それでもこの世界は.まだまだ通常の人間には思議し得ない不思議(ワンダー)で溢れてもいるのです…
そしてそんな人類を覚醒させ超越させ解放させ幸せをもたらす超現実的とも言える不思議(ワンダー)の対極に、人間の持つ未知への憧憬や探究心や知的好奇心や無明さに漬け込み、染脳(洗脳)コントロールして支配することを目的とする神秘主義(オカルティズム)があるのです…
つまりは不思議とは解明されてゆく性質のものであり、神秘とは否定されてゆく性質のものであり、不思議とは無明の闇を晴らすものでもあり、神秘とは無明の闇を深めさせるものでもあり、不思議とは人の心を豊かにさせるものであり、神秘とは人の心を貧しくさせてゆくものでもあるのです…
しかしドゥッカ(不安定さ.不完全さ.苦.不安.恐怖.欲望.無明さ…)な本質を有する人間は、理性では理解できても五集合要素(五蘊)による感覚.感情.主観な自我意識では自己保存欲求や自己防衛欲求の働きで、神秘主義へ魅入られ易いのです…
ですから愚かにも今だに御神託とかイタコや霊能者.スピリチュアリストなどと言う眉唾なものに[寝呆け.染められ. 縛られる]人が絶えず、作為ある妄想的な神秘主義が蔓延っているのです…折角の人生を無明なまま酔生夢死してしまわぬように[八正道]と[十二因縁]を学んで頂きたいのです…
智慧と神通力
不可思議とは、思いはかる事も言葉で思議することも出来ないものを広く指し、神通力とは高度に高められた直感力を含めた深淵な洞察力に基づく超現実的な法力であり、魂や霊魂.霊体(スピリチュアル)とか、神仏や精霊などからの啓示とか第三の目の開眼などを主張する妄想的パラノイア神秘主義(オカルティズム)とは対極的な性質のものなのです…
人智を超えた不可思議力を現代語では「不思議」と略して呼ぶことも多く、英語で[wonder]に当たります…

仏教で般若(prajñā)と言われる智慧(叡智)とは、一切の現象や.現象の背後にある道理を見透す知性を意味し、現在の自然科学では解明できない高次元を感知.認知することを言うのです…
⬛十二因縁と八正道

 
十二因縁 : 路傍の如来
資本主義社会.物質文明の真っ只中を生きている現代人は.好むと好まざるとに係わらず、感覚.感情.情緒.主観.自我意識につけ込む.所有の次元の事物への欲望(金欲.財欲.物欲.色欲.知識欲.情報欲.地位欲.権威欲.名誉欲.権力欲.健康欲.長寿欲.…)を煽る.偏り.如何わしく.作為的で
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八正道(禅定の章) - 仏教の最高峰   頂乗仏教学舎    路傍の如来 多々方路傍石
八正道(禅定の章) 心を浄化する修養の実践(業.カルマ=行為) 修養者は正しい修養により[戒]から[定]…[定]から[慧]に至り一人の菩薩大士となる。 悦楽の中に修養の成果を味わい、生きる事の素晴らしさを享受し、命の意味を悟るだろう。智慧の修養は甘美な果実を収穫する。 自分の心に注意を向ければ苦悩の本当の原因が理解できる。 心が感覚的.感情的.思考.認識などの働きをした時に.自他の為にならない振る舞いをして.煩悩や苦しみを惹き起こす事がある [戒]により心に刺激が入り込まぬよう感官を見張り、同時に心を不安定にする行いを慎む。衛兵が城門を守るが如く。 [戒]によって心が安定したならば、正しい精神…
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八正道(戒律の章) - 仏教の最高峰   頂乗仏教学舎    路傍の如来 多々方路傍石
八正道(戒律の章) 心を浄化する修養の実践(業.カルマ=行為) 修養者は正しい修養により[戒]から[定].[定]から[慧]に至り一人の菩薩大士となる 悦楽の中に修養の成果を味わい、生きる事の素晴らしさを享受し、命の意味を悟るだろう。智慧の修養は甘美な果実を収穫する 自分の心に注意を向ければ苦悩の本当の原因が理解できる 心が感覚的.感情的.思考.認識などの働きをした時に、自他の為にならない振る舞いをし煩悩や苦しみを惹き起こす事がある [戒]により心に刺激が入り込まぬよう感官を見張り、同時に心を不安定にする行いを慎む。衛兵が城門を守るが如く [戒]によって心が安定したならば、正しい精神集中[定]に…
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八正道(智慧の章) - 仏教の最高峰   頂乗仏教学舎    路傍の如来 多々方路傍石
八正道(戒定慧) アリヤ・アッタンギカ・マッガ「もしも人が見解によって清らかになり得るのであるならば或いはまた人が知識によって苦しみを捨て得るのであれば、それは煩悩に捕らわれている人が正しい道以外の方法によっても清められる事になるであろう。 このように語る者を偏見ある者と呼ぶ 真のバラモンは正しい道の他には見解・伝承の学問・戒律・道徳・思想のうちのどれかによっても清らかになるとは説かない。 禍福に汚されることなく自我を捨て、この世に於いて禍福の因をつくることがない者は平安である。 ☆仏道修行はその修行者の数に比べて到達者(目覚め覚醒)が実に少ない道であると言え、その理由の一つに忘筌(ぼうせん)…
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