自己探求

無理に自分を愛そうとする必要などありません、だって皆んな世界中で一番自分を愛しているのだから…もしそうじゃないと思っている人がいたら、その人は.もっと自分の心に素直になればいいだけの話し…
人は皆んな幸せ探しの旅をしているのです…
ただ人それぞれに探す方向が違うだけ…
[青い鳥]のチルチル.ミチルも.[幸せの青い鳥]を探して世界中を旅して周ったけれども見つける事が出来ずに…失意のまま帰り着いた我が家の軒先に幸せの青い鳥がとまっていましたね…
幸せとは実はそんなものであり、それを無明という[無知さ]が無常な本質である欲望の充足に幸せがあると錯覚させたり.魅入らせたりするのです…
べつに欲望を否定している訳ではありません、生きる意欲も欲望であり.欲望のエネルギーに生かされてもいるのですから…しかし欲望とは心を満足させたり.幸せを味わうための便宜上の手段(アイテム)に過ぎず、決して欲望を満たす為に有るわけではないのです…まして欲望とは満ち足りる事がないのですから…
本当は[欲望の次元の事物]とは追いかけるものではなく.付いてくるもの(付随物)なのですが、生きたい生き方が欲望の充足の方向に有ると錯覚している方々は、[所有の次元の事物]の所有量が人間の価値のバロメーターだと勘違いしているからではないでしょうか…
そんな欲望に[執着]してもドゥッカ(苦.悩み.心痛…)を生み出すだけだと気付かずに.[欲望の充分]こそ[真の満足][真の心の充分]だと錯覚して無闇に欲望に翻弄されては、底なし沼にはまり込むだけで、一つの欲望を叶えても欲望の更なる要求に翻弄されるだけ…決して満たされる事も堅固な安らぎもないドゥッカ(苦.不満.恐怖.憂い…)と更なる欲望の中を生きる事となるだけなのです…
[欲望の充足とは決して充たされる事のない底なし沼のようなもの]

無明の闇を晴らしたら、満足.幸せ.平安.歓びとは何なのかも見えてきて、既に沢山の幸せに満ち溢れている事にも気付けるのです…
心の充足(幸せ)と、欲望の充足(幸せ)とは、真逆の次元に拡がっているのですから…


私の話は全て.我れを離れて、深淵なる真理の象徴[如来]が語っているのであり、私はその愚かで未熟な頭と心と行ないを以って拝聴し.思惟し.思推し.分析し.検証し.確証を得て.理解しているだけなのですから…

人間の本質とは苦(ドゥッカ)であり、不安定で.弱く.脆く.虚しく.無明で.無常な欲望の塊である…全てが苦の本質により生かされている(不安定さの安定化)
理解する為の簡単な方法(お笑い3つの例)
①小用
小便の排泄を我慢してると苦しくなります…
苦しくなったら排泄すると快感を得られます.
②呼吸
お薦めしませんが、風呂場で水に潜って呼吸を我慢すると苦しくなって藻掻きます…死にそうになったら慌てて顔を上げて呼吸を再開…
呼吸の有り難さ.甘露さに陶酔します.
③食事
絶食して食事をしなければ空腹で苦しくなります(水分補給は忘れずに)…幾日かの後には世界一のご馳走を味わえます.


他との関係性の中で.何かしらに依存しながら生かされている存在であり.他から独立して単独には存在できない現象的存在である…

しかし五つの要素が結合して働くとき五集合要素(五蘊)は実存的な自我(自分)が在ると錯覚してしまうのです…
つまりは世界も苦しみも幸せも平安も、五集合要求(五蘊)という精神作用が造り出しているのであり、真の平安もゴチャゴチャとそしてグルグルと五集合要求(五蘊)を回さない事なのですから…
ですから色眼鏡を掛けて.五集合要素(五蘊)を外界に彷徨わせ、つまらない者や物事、下らない者や物事、どうでもいい者や物事.今更どうにもならない者や物事に、捉われ.拘り.執着して五集合要素(五蘊)をグルグル.ゴチャゴチャと廻し続けていれば.不安定で.不完全で.儚く.脆く.弱く.虚しく.恐怖.実質のない.無明で.無常な毒華(ドゥッカ・苦)という本質により、存在の自己防衛と自己保存の為に、何かしら依り処を渇望して.保護.安心.安全.恩恵を求めずにはいられず.神仏や超越的な力や守護霊などを妄想せずには居られないのです…
つまりは、色眼鏡を掛けている自分に気付き.その色のついた眼鏡をはずし.物事を在るが
ままに眺めれば.天地自然.森羅万象の理法と他の存在のお陰様で存在している事への崇拝.感謝.畏れ.敬いの象徴としての神仏や霊性とは精神性の健全化や浄化や[心の充足]の糧となるのであり、得体の知れない神仏や超越的な力や霊体とは[欲望の充足]の為に必要だと妄想されたものであり、真逆な心を育成してゆくのですから…
心の充足の為の存在としての神仏は平和や安心の道へと導き、欲望の充足の為の存在としての神仏は、排他と闘争へと導くのです…
それは発達した近代社会の論理という無明な錯覚により、神仏や超越的な力の存在否定により、天地自然.森羅万象.他の存在への崇拝.感謝や畏れや敬いという[心の充足]の為の宗教観をも喪失させ、同時に[欲望の充足]の為に.金財.地位.権力など[所有の次元の事物]への崇拝.感謝.畏れ.敬いという決して満たされる事のない無明な宗教観に征服されてしまったからではないでしょうか…


整備され発達した現代社会に随分と守られてはいても、人は無明という一寸先は闇の中を盲目的に手探りでおっかなびっくりしながら辛うじて.運良く生きている存在なのです…
ですからテレビや新聞.雑誌やインターネットそして書店に並ぶ題目倒れの新刊本や根拠のない風聞や主観などに.知らず知らずに染脳(洗脳)され.弱虫がヤクザ映画を見た後.強くなったように錯覚して肩を怒らせているような愚かさで、如何にも自分の見解と一致するから真実だと思ったり.偉い先生様がいうのだから真実だろうと思ったりしながら、偏った正義を振り翳し.多様的で自由な世界を、狭く.醜く.住み難い世界へと.変質させているのですから…
■正信と盲信
例え高名を得ようが.権威があろうが.誰もが挙って支持していようが、世の中に溢れ返る単なる推測に過ぎない不毛な形而上の推論や学説や仮説などを仏教では無益な[思想の荒野]と見做します…
それは全ての愚かさの根源は無明(本質的無知)であり.錯覚であり.盲信であり.欲望だからなのです…

世の中に溢れる[信仰.信心]とは物事が見えてない盲信に依って立つのであり、物事は明確に見えた瞬間から[信じる.信じない]という選択は存在せず、事実(真実)だけがあるのですから…
汚れや堕落や不純さの消滅は物事が見え物事が理解できる人にとってのみ可能な事であり、物事が理解できず物事が見えない人には不可能な事なのです…
そして人は物事が明確に見えない限り疑問が残るのは当然の事であり、疑問が残ったまま本当には先へは進めないものなのですが、かと言って疑問に阻まれて一処に留まってばかり居る訳にもいかず兎に角、真実(事実)を明確に見て.理解することは先送りしながら、無明の闇の中を盲目的に生きているのです…
肝心なのは知識.実践あるいは智慧(叡智)を通じて見る事であり理解する事であり、情緒的な信仰.信心を通じて信じる事ではないのですから…
❖訶梨勒(ミロバラン)の果実
■満足
穿った人達には[負けるが勝ち]というような[敗者の論理]にも嫉妬心にも聞こえるらしいが、この世の中で本当に心から満足して毎日を生きている人が果たしてどのくらい居ると思いますか…
一桁…いや小数点以下かもしれませんね…
例えば、心理的に満たされて居ない人に.あれは駄目!これも駄目!と箍(たが)をはめたら.きっと怒りだすだろうと思います…それは満たされていない人に更なる我慢を強いる事になるのですから…
しかし既に満ち足りている人に.あれは駄目!これも駄目!と強いたら、その人は無常なものからの解放に歓びに打ち震える事でしょう…
それは満腹の腹には.更なるご馳走も苦痛でしかないのですから…
そして皆さんがきっと幸せで満足して暮して居るだろうと妄想している世界一の大金持ちでも王様でも、それが世界の征服者であったとしても、少しの幸せと大きなドゥッカ(苦しみ.悩み.不満…)の中を生きているものなのです…
ですから当然に2番手も3番手もしかり、上には上が居るうちは本当の幸せも満足も得られないのですから、諦めたり我慢したりしながら辛うじて今ある幸せや満足で心を慰めているのがせいぜいなのですから… 
つまりは決して充足される事のない欲望の世界の英雄.勝利者.征服者.王者などという人達は、却って庶民より欲望に心を汚し..世評や見栄に縛られ.苦悩し.恐怖し.不満を造り出して.憂いを深め.無常を嘆き.空しさを感じている憐れむべき人達なのです…
堅固な心の充足は.智慧(叡智)により.無明の闇を晴らした平安.悦楽.歓びの中に啓けるものなのですから…
■断見仏教の教えを説明する時、量子力学超弦理論を用いると本当は解かり易いのだが、世間ではカルト教団やインチキ新興宗教などが幸運や金運アップとか引き寄せの法則とか、高位次元と量子世界(ミクロ域)での現象を、実社会(マクロ域)での現象の如く.すり替えて混同させ悪用して人々を惑わせているように見受けられるので、平素は.なるべく平易な言い回しに努めているのですが.[輪廻転生]への断見に対して.やっと深淵なる仏の教えに追い付いてきた感のある現近代科学の[エネルギー不変の法則][エネルギー保存の法則][量子力学][超弦理論]を以って検証して見たいと思います…
この世界は途方もなく膨大な一源なるエネルギーの悠久なる流れであり、心的エネルギーも何かしらになりながら流れてゆく(輪廻転生)の、今で言う[エネルギー不変の法則][エネルギー保存の法則]による連鎖性.継続性であり、この連鎖性.継続性が理解出来ず、根拠や反証もないまま、無明なまま感情的.主観に否定する事を[断見]と言うのです…
●ミクロ域での量子力学超弦理論に照らしても、この世界が途方もなく膨大な一源のエネルギーの流動であることを補強していますし、無色(質量0)状態から色(質量)が生じ、生じては滅し.滅しては生じる変化生滅の世界であり、エネルギー状態から物質状態にまで貫かれる本質的意志(存在し.再生し.再生成し.膨張し.拡張し.安定したい)という運動性による.心的次元による波動という基本運動性質が形成され、この世界(時空)に両端を繋ぎ止められた色(物質.質量)状態と、真理への到達によりこの世界(時空)に繋ぎ止められた軛からの解放…堅固な安定的なリング形成(グラビトン化)により、この時空と高次元世界(彼岸)との往還.成仏の実在性が担保されるのです.
●心的エネルギーの業(カルマ)の形成力の連鎖は.性質.気質.性根として現れる(個人差)
●DNA.RNAの身体的要素の連鎖(個体差)
それと生命の本質 存在欲(自己保存本能) 幸せに成りたい 恐怖(防衛本能)など
本質的意志(存在し.再生し.再生成し.膨張し.拡張し.安定したい)

■オオカミ少女カマラとアマラ
世上は然りであるように.少数の賢明な人間と多数の愚鈍な人間達とで構成される学者の世界に於いても.昨今では否定的な見解が多数なようだが、詐欺目的.募金目的でなくとも[オオカミ少女カマラとアマラ]は因果律(縁起)の理法に遵って見ても.充分に起こり得る話であると言え、それは古代からあった地動説を脅迫や抹殺や火炙りの刑などで封印して18世紀まで天動説が主流であったように、つい最近まで時間を加えた四次元空間より高次元の存在を語る者を変人呼ばわりして排斥していたように、愚鈍な学者や大衆とは無思考で日和見なものなのですから…
要は[オオカミ少女カマラとアマラ]に見るならば、DNA、RNAの連鎖性による色(身体的要素)の継続性と.生命体それぞれの思考能力.身体能力差は、サンカーラ(本質的意志)とその性質である業(カルマ.形成力)の継続性とは別次元の連鎖性に依っている事を指し示しているのです…
つまり頭の良さと性格が一致してないように.生前取得と生後取得とが大別されるように.
精神性と教育とに相関関係が見い出されないように…(教養には見い出される)


生き.存在し.再存在し.継続し増大し一層蓄積(探求心)しようとする意志(欲望) 存在継続の根源的意図
発達した脳による思考力の差
心的意図の栄養素を理解
渇望.渇愛.意図.業(カルマ)は同一のものを指している…
ドゥッカの生起原因.五蘊の意志(サンカーラ)


■運がいいから今日も生きている
自分は運がよくないと嘆く相談者が案外といるものです…そういう相談者に[どうしたの?]と尋ねると.大概がアーダコーダという愚痴が始まります…
先ずは.その人の思い悩み.苦しみを.軽んじる事なく同情し.理解を示してあげ.その人の立場に立った上で、仏法を説いてゆくのですが、大体が自分の都合に周りを合わせようとする愚かさが思い悩み.苦しみを生じさせていたり、中には金財.家族.地位.環境.健康に恵まれているのに思い悩み.苦しんで相談に来られる方も居るのです…
それらは周りを自分に合わせようとしたり、周りと比べようとする処から生じている[無いものねだり]にも等しく、上を見たら切りがなく、下を見ても切りがない半端な立ち位置で欲望の炎に煽られ.ドゥッカという恐怖や不満と本質的な無知(無明)に依るのですから、先ず今ある幸せに気付き、感謝する心を取り戻す処から始めると憑き物が落ちたように平安と歓びを取り戻すことが出来るものなのです…(勿論、そこには如来への信頼が欠かせません)
それと運気とは波動なのです…
波動ですから良.悪の間を振幅してゆくもの…
小さい振幅を大きな振幅へと変化させるのも.振幅を上昇させてゆくのも下降させてゆくのも.今ある幸せ.幸運に気付いて感謝の心で.喜んで生きてるいるか次第なのですから…
☆感謝の気持ちは呼吸にのせる
■功徳を積まずして成仏なし


一切万象 因果応報
一切万法 自業自得