心の栄養素

心の栄養素
一切皆苦
他の宗教.信仰と言われるものが、恩恵.幸福.救済.守護.愛やら欲望や願望の成就を主張して説いているのに対し、何故、仏教だけは生きるとは苦しみ(ドゥッカ)である…と、人が忌み嫌う苦(ドゥッカ)を掲げて説かれているのか…
それは苦も楽も実は一如なものであり、ただ捉え方の問題なのだよ…と説いているのだと言え、感覚的な楽とは、心は汚し.直ぐに飽き.更なる刺激を求めて苦しみと不満の中を暮らす事となる酔っ払いの酒や中毒患者の麻薬のようなものであり、真に自分を高め.育てる[心の栄養素]でもあり智慧の泉でもあるものは苦(ドゥッカ)なのだから…
世間では、心の栄養素とは知識や情報とか教育や経験だと錯覚するが、それらを熟成させて智慧(叡智)となれば.苦(ドゥッカ)の消滅に役に立つアイテムともなるだろうが、そのままでは無明な人を妄迷に惑わし小賢しくするだけでしかなく、苦(ドゥッカ)という不安定性に生かされる本質から言えば心のの栄養素とは、苦(ドゥッカ)そのものなのです…毒によって毒を制すのですから…


失敗は成功の母.とも言われるように.失敗の中から革新的な価値ある物事は生み出されるのです…
ですから戦争という大失敗の中から、戦後の復興と発展と平和な社会が築かれたのてすから…
しかし失敗の中から学ぼうとせず、また過去の成功体験に縛られて、失敗を怖れてばかりいては何も価値あるなど生み出せないのです…
世の多くの人達は、他人の成功体験ばかりに目が向き.興味も示しますが、本当に自分の為.自分の糧となるのは失敗体験とか苦難の歴史などであり、例えば今日の豊かな世の中にあって不満や欲望や怒りとか恨みに取り憑かれて生きる人達は尚更であり、戦後80年も近づき、当時の大人世代は冥籍に入られ、その現実体験を拝聴することも困難となってきた昨今、それに伴って愚かな戦争を肯定したり.讃美したりする、獣性を刺激し好戦的な闘争心を煽る劣悪な知識や情報が増えてきているようにも見受けられるのは残念でなりません…
不幸で悲惨な戦争体験という苦しみの時代を一つの尺度として、今の世を測れば…恵まれた今の世に生まれた幸福に感謝こそすれ、犠牲となられた方々を弔いこそすれ、何処に不満があると言うのでしょうか…
管子に「倉廩(倉庫)みちて則ち礼節をしり、衣食みちて栄辱を知る]とありますが、現実はどうでしょうか…飽食の時代とも言われるように、倉庫には食料.物品が山のように備蓄され、衣食も満たされた世の中であるにも関わらず.世の中には苦しみと不満と我欲が渦巻いて.人を騙したり.押しのけてでも自利利得に拘り.礼儀も節度もプライドもなく、そこに在るのは見栄や虚栄心や自己顕示欲に彩られた、妄想的なドゥッカ(苦しみ.不満)に過ぎず、ただそれが理解できず.気付くこともできない.無明で.浅薄で.貧しく賎しい心が培われてゆくだけなのですから…


知識や情報などは現実の前では無力なものであり、知識や情報が現実.事実.真実を包摂することなど有り得ないことが理解出来ない無明な者は、テレビやインターネットの知識や情報から、洗脳(間違い.偏り.汚れた意識を洗い清める事)されるならいざ知らず、染脳(間違ったり偏った情報で染めてゆく事)されている事に気付かず、[自分は正しい]という煩悩的主観に基づいた単なる見解を真理(事実.真実.現実.実相)であるかのように錯覚し、それを大衆は無警戒に.そして無思考に受け入れ、社会のコンセンサスを形成させてゆく…無明の闇の中を盲目的に生きる人々が殖えてゆくこととなる…


労苦を惜しまず.苦労は買ってでもしろ…と言われたり…

昔のお侍さんが、我に艱難辛苦を与え給え…と神さんに願ったのも、四苦八苦しながら生きるから.生の実感も得られるし.幸せとは何かにも気付けるし、自分を高め成長させる心の栄養素にもなるのですから…
能力は具しているのに、既に.多くの幸運や喜びの中に居るのに気付けないのは…無明だから…
人間、易きに流れて得るものは、無常な一時的で短命な感覚的な喜びや安息に過ぎず、それを尺度として生きれば.僅かな感覚的喜びや安息と引き換えに、大きな苦しみや不満の中を生きることとなるのです…
これらは苦行とはまったく違います…
苦行とは、現象として現れる[苦楽]の中の苦の部分に焦点(フォーカス)をあて、楽を否定して苦の中に真理を見つけようとする、在るがままにない行であり、苦しみによる[怒り]により成り立っているものであり、一方、心の栄養素とするのは苦しみの本質を理解して、苦を反面教師として、苦楽の中道の.在るがままの歓び.幸せ.快楽.平安に気付くことなのです…
仏教とは、悦楽の中に智慧の悟りが顕現するものなのですから…
生.老.病.死.愛別離苦.怨憎会苦.求不得苦.五蘊盛苦の四苦八苦も、真正面から向き合い、その実相を真に理解できれば、大切な心の栄養素なのですから、心配しないでも.やがて必ず死が訪れますから、今という瞬間を大切に.在るがままに. 奥深く味わえるもの….愛する人との別れも来れば、嫌な人と出会う事もあるだろうし、求めても得られない事も多々あるもの、五蘊をグルグル.ゴチャゴチャと廻し続けるのは難儀だし、老いも必ず来るものだから、それらを心の栄養素として[人の功より.亀の甲]などと揶揄されないように.今を励んで行きましょう…