エネルギーの流れ

私.自分という意識により心は汚れ…
私.自分という意識が心を貧しくさせてゆく…
私、自分という意識により人は争い…
私.自分という意識により世界を分断する…
私.自分の絡まない善こそが真の善であり…
私.自分の絡んだ善とは偽善なのだから…
私も自分を指すのに、自分は.私は.と言うが、
そこに自我意識は存在しない…
自我の妄想に侵されない為には、心を統制して.一瞬々々.物事に没入してゆくだけ…
自我の妄想に誑されないためには、自分とは変化しながら移ろいゆくエネルギーの流れに過ぎないのだと気付くだけ…
昨日、私の皮膚としてあったものは既に流れ去り、今日は今日の皮膚がここに在り…
昨日、私の心としてあったものは既に朽ち果て、今日は今日の心がここに在る…
凡そ、自分だ、私だと呼べるような実体などは.何処にも探し出すことが出来ない…
意識は存在するが、その後ろに意識主体は存在しない…
思考は存在するが、その後ろに思考主体は存在しない…
意志は存在するが、その後ろに意志主体は存在しないのです…


無明なまま百年生きるより…真理を聴いて一瞬間生きるほうが尊く価値がある…


世界とは途方もなく膨大で悠久な.その姿と形を変化生滅させてゆくエネルギーの流れであり、変化生滅しないものは存在できないこの世界.…離合集散.結合.融合.分裂.再生.再再生.膨張し、拡大し、成長し、継続しながら、安定化してゆきたいと流れゆく…
心的次元の意志(運動性)の形成力 
業(カルマ)
身体(物質)を構成するエネルギー
心的次元に供給されるエネルギー
唯物論でも唯識論.唯心論でもない

私は何かと定義するならば、心も身体(物質)も現象(化学反応)に過ぎず、身体(物質)は変化しながら別の何かになってゆく…
心とは次元形状によるエネルギーの運動性…
歪んだ形状の次元では.歪んだ心を形成し、

美しき形状の次元では美しき心を形成する…
調った楽器は美しい音色を奏で、歪んだ楽器は醜い音色を奏でるように…
身体(物質)は変化し別の何かとなろうとも、心を形成力(カルマ)次元形状はエネルギーの流れの中で美しい音色を奏でる…それに則した身体(物質)と結び目を生じて…
業(カルマ・形成力)により形成された心的次元を.一源のエネルギーはその心的次元の形状に従って善い音色或いは悪しき音色を奏でるその継続性こそ輪廻してゆく流れ…

つまり敢えて自分を定義すれば、業(カルマ.形成力)による形状の心的次元の連鎖運動なのです…
記憶という夢幻な妄想など自分でも私でもない…単なる現象に過ぎない…
日々、変化生滅してゆく身体など自分でも.私でもない…単なる現象に過ぎない…
瞬間々々、変化生滅してゆく感覚など自分でも.私でもない…単なる現象に過ぎない…
瞬間々々、変化生滅してゆく感情など自分でも.私でもない…単なる現象に過ぎない…
瞬間々々、変化生滅してゆく心の作用(五蘊)など自分でも.私でもない…単なる現象に過ぎない…

前の最後の思考瞬間を条件として、次の最初の思考瞬間を形成している…
今の身であろうが、別の何かであろうとも、そこには唯、継続し.連鎖してゆく運動性が在るだけ…
無明(無知)なまま百年生きるより、真理を聴いて一瞬間.生きる方が尊いのですから

 

無明な鸚鵡信者が死刑となったとき、無に帰すのが怖いと言ったらしいが、[無に帰す]とは、ドゥッカ(苦.痛み.虚しさ…)により成り立つエネルギーの激流である生命の連鎖運動から脱出して平安を得る(成仏)ことであり、残念無念ながら無に帰すに能わずに、その心的次元に則した何かしらとなってエネルギーの激流を流れ続け、安息は得られないのだから…
無賃乗車を謀るが如く、成仏が金銭で贖えるが如く、無明の闇に包まれで盲目的な功徳を積もうとしない者の輪廻は果てしなく.而もその流れは激しい…
■輪廻転生
この世界(時空)に繋ぎ止められた心的時空は
業(カルマ)という形成力(因果律.縁起)に遵って.この世界(時空)を別の何かになりながら、激流を流れ続ける…
この世界(時空)の繋ぎ目から解き放たれた円満な心的時空は、業(カルマ)により形成力(因果律.縁起)を生じさせる因縁から解き放たれ因果律(縁起)に遵って.天界(異空間・彼岸)に成仏する…
■心の次元
心の次元の形質(カルマ・業)
良き形状の楽器を通る振動.波動が良き音色を奏でる如く、
良き形状の心の次元を通る心的エネルギーは、善き意識を奏でる…
悪い形状の楽器でも正しく修理されれば良き音色を響かせるようになる如く、
悪い形状の心の次元でも正しく修養されれば善き意識を響かせる…
良く調律されていない楽器では良い旋律を奏でない如く、
善く調律されていない心の次元では善き精神を奏でない…
❖心の次元の形状は変化してゆくもの

❖命には色々な次元がある
天.人.修羅.畜生.餓鬼.地獄
それぞれの次元での喜びと苦しみがある
❖満足感のエネルギーの波動
❖新たなエネルギーを供給ないし引き寄せる 喜怒哀楽
但し欲望、貪り、渇愛とは真逆
それらは不満のエネルギーを造
❖高い次元では
欲のない喜び快楽を味わう
❖気持ち良いなと感じた事はあると思いますよ。何もしないで、好きな音楽も聞かないで、好きな食べ物も食べないで、好きな遊びもしないで、ただ座って自分の呼吸だけを見ている。それで何か質の違う楽な感じ、楽しみの感じ、「ああ楽だなあ、リラックスだなあ」と感じる場合があるんですね
❖貪りから放たれる幸福と言うんです。質が違う。音楽を聞いて楽しいという感じと、何も音を聞かないで落ち着いている楽しみは違うでしょう。完全な静けさを楽しむというような、そういう欲から離れた楽しみを味わう次元もあるんです
❖そういうものから離れ、清らかな心でいようとするんです。その次元は、生まれたら清らかな心です
❖欲や執着を捨てる方向へ心を持って行かなくてはいけない
❖未練があって死ねば、来世でも不幸になってしまいます。逆に今の生き方に不満を持っている人も、死ぬときは満たせなかった欲望で死ぬんです。もっと色々やりたいことがあったのに、と思います。その人は、果たせなかった欲望を持ったまま、悔しい気持で死にますので、また来世は不幸になるんです
❖長生きしようという気持ではなくて、人間としての役目を果たして、いつ死んでもそれはその時だと満足して生きることです。

そのように生きる人の来世だけは幸福になります。