悪貨は良貨を駆逐する

[グレジャムの法則]とも言われる[悪貨は良貨を駆逐する]とは、社会に於いて[名目上の価値]が同等と受け取られる場合、悪がはびこってゆき、善は駆逐されてゆく現象を言います。
例として…[金の含有量が高い金貨]と.[金の含有量が低い金貨]とが同じ額面通貨として流通した場合、実質的価値のある[金の含有量が高い金貨]は手元にしまい込まれて、[金の含有量が低い金貨]が社会を流通するようになり.市場を支配するようにさえなってしまうという現実であり、悪が栄えると.善は滅ぼされてしまうものでもあり…まったく悪の力は侮れないものなのです…
また[安物買いの銭失ない]という言葉がありますが、これは価格重視で物事を選ぶと多くの場合、質や機能の劣るものを選ぶ破目になる例えですが、もし実質的な価値や機能やブランド力が然程も変わらなけば安価なものが選ばれ、高価な方は駆逐されてゆくものなのです…
そして私事ですが、以前.上野駅不忍口の托鉢場(心の沐浴処)の周辺は.路上ライブやパフォーマンスを披露する若者たちも登場するような場所でしたが、駅の警備員たちは彼らを排除してしまい、その後にはホームレス達が居つくようになり.歩道に布団を拡げ寝ていたり、昼間から酒盛りしていたり.周辺には食べ残したものは散乱し.ゴミの山を築いてしまいましたが、駅の警備員達は排除することもなく黙認し、やがては僧侶の托鉢に刺激されたのか、彼らも空き箱や椀を自分の足元に置いて酒代をせびるようになるに随い、環境の悪化も手伝ってか.托鉢の施与は減ってゆき、一日辻立ちしても十円.百円位にしかならなくなり.虎口を凌ぐことさえ覚束なくなり、[悪貨が良貨を駆逐する]寸前へと至りました…
幸いにもその後.東京都環境局により駅前から彼らは排除される事となり、コロナ禍にも関わらず托鉢場(心の沐浴処)は護られ、悪貨に駆逐されるのを免れました…
また[正義]という側面から見てみても、世の中には理に適った正義と呼べるような代物は実は幾許もないのです…しかし、右を向いても左を見ても正義というものが溢れ返り、正義を振りかざして.多様性と自由とを破壊して一律な世界を出現させようと企んだり.正義の名の元に殺人さえも平然と行われているのです…
[悪貨が良貨を駆逐する]の喩え通り、泥水の中でも清香を放つ白蓮の如く.無欲に辻に立つ身なればこそ感ずることなのでしょうか…


仏教について
お釈迦様も仏の教えとは、現象に過ぎない感覚や感情や刺激に執着し、楽しみ、耽り、嬉しがっている人々の世の中の潮流に逆らうもの.
社会について
悪がはびこると.善が滅びる如く、
世の中は欲望と享楽に魅入られている
仏教は智慧の宗教であり、まさしく世の潮流の逆らうもの…
呪文や神仏はバラモン教への回帰思想を仏教の守護神と偽って持ち込んだ悪貨であり、その無責任に謳い約束する救済.守護.ご利益という甘露な毒薬により良貨を駆逐して、バラモン神や阿弥陀と観音とお釈迦様の御名と権威への信仰が仏教だと誤解されているのですから…