平安

欲望に支配され安らぎのない心に[他人と分かち合おう]とする精神性を求める事は不可能であり、自利.見栄.傲慢.嫉妬.憎しみ.怒り.不満により.貧しい心を醸成してゆくのです…
それによって業(カルマ)も深めているのです…


幸福(しあわせ)になることを望まない人など居ないにも関わらず、本当に幸せだと言える人が少ないのも、逆に言えば自分の幸福(しあわせ)を追求するあまり、却って幸福(しあわせ)を取り逃がしているからだと言えるのです…
それは幸福(しあわせ)を願い.探し求めながら、幸福(しあわせ)とは何なのかさえ理解する事が出来ないからでもあるのですから…
■安堵 
話を別の角度から照らして見れば、当たり前の話ですが.人は呼吸をしています…
しかしこの一番だいじな呼吸を.いつも心して呼吸してる人など稀有なのですが…
生命が尽きれば死ぬのは一瞬…
呼吸が尽きれば、死ぬのに2.3分…
水が尽きれば、死ぬのに2.3日…
眠りが尽きれば、死ぬのに1週…
食が尽きれば、死ぬのに1月…
運が尽きれば、死ぬのは早晩…

金が尽きれば、死ぬのは間近…
愛が尽きれば、死ぬのは自由…
呼吸が如何に大切なのか自覚出来るのではないでしょうか…笑


話が少し脱線してしまったので話を戻すと、

睡眠中を除いた.意識の管理下にある覚醒時は毎日およそ16時間あり、人によって.また呼吸法によっての差はありますが、因みに私の場合…一日に約そ26.000回前後、一年間に約そ880万回の呼吸をしている訳なのですが…
この呼吸に、無明で現象的な感覚的.感情的.主観的な喜怒哀楽を乗せて生きるのと、調御.自覚されたした安楽.安堵を乗せて生きるのとでは、全ての面に於いて.天と地ほどの差となって現れるのは自明の理なのですから…
また安堵の呼吸法や覚醒の呼吸法などにより自律神経(交感神経.副交感神経)をコントロールしたり集中力を高めたりする事も出来るのです…
安堵に勝る快楽はなく、

安らぎに勝る甘露なし…
平安に勝る歓喜なく、
静逸に勝る悦楽はなし…
安心に勝る満足はなく、
涅槃に勝る勝利なし…
■仏教(如来の教え)
仏教では苦行に精進する事を厭います…
それは苦行の中に発見し.そして培われるものとは[怒り]をベース(活力)とした精神作用(心)を育成する事でもあり、仏教は[悦楽の中に智慧の悟りを啓く]ものなのですから…
しかし多くの人を誤解させてしまう修行法である事も事実であり、それはお釈迦様ご自身も入滅される直前まで実践された托鉢行や無一物や知足という慎ましい生活法を以って、それを苦行の生活だと勘違いされるのだと思いますが、その実は全く違うものなのです…
それは日本仏教の中でもマトモな仏教とも言える禅宗(ダルマ教)を例にしても、[悟りしと.山を下りれば.ただの豚]と揶揄されるように、また寝呆けて酔っ払ったような人達が.その時折の無常でしかない経済的.社会的な安定を以って、苦を調伏できたとか悟りや涅槃(ニルヴァーナ)が啓けたと勘違いしたり、沙弥(しゃみ)が知識や情報に埋もれて仏教を理解したつもりになって.果ては本を書いたりと…人間とは兎角、思い込み.勘違い.錯覚.自己暗示.欲望.妄想.自我意識の強い動物であり、[本当の理解]と[理解したつもり]とを明確に自覚する為には実践を疎かにしてはならず、ロジックが実践を包括することなど有り得ないと.先ず気付けなければ到達など望むべくもないのです…
極限に於ける自分という存在の諸行を以って検証する為の、托鉢行や無一物や足るを知った慎ましい生活の実践なのですから、例えば金が有る事により、幸せな人は無くなれば不幸に戻るでしょうし、日頃、悪い人でも良い時には良い行ないをするものですし、日頃、良い人でも悪い時には悪さをする、現象に左右されている無常な存在から、目覚め覚醒し、乗り越え超越し、解き放たれ解放され、本当の勝利者へと進化.変身してゆく為には、托鉢行や無一物.足るを知った慎ましい生活や、無我となって.自分の物だと.しがみつき貪ろうとする貧しい心を、浄化してゆく中に平安.悦楽.歓喜.静逸.満足を顕現させるという、他人には一見.苦行にも見えるのですが、俗世と出世とは方向性が違うだけであり、求める目的物は幸福(しあわせ)なのです…
俗世では幸せになろうと所有の次元の事物(金.財…)に魅入られ.執着しているのですが、ドゥッカ(苦痛.苦悩.不満…)が満ち溢れていますね…
それは探し求める方向性が明らかに違うからなのですから…
ですから当然として仏道が向かう方向は俗世とは真逆であり、真の幸福の発見こそが[悟り]なのですが、それは経済性や社会性を優先した幸福ではなく存在の次元の事物とも言える精神性を優先した真理の顕現が涅槃なのですが、それが俗世の人には苦行に映るようです…
でも、卑下する事も.悲観する必要もありません…世の潮流とはそんなものなのですから…大乗も日本各宗派も、そんな幸せを願い求める民衆に幸せを届けたい一心で、幸せとは何なのか理解出来ないままに、所有の次元の事物による幸せを説いて来たのですから…笑
無明の闇を晴らし…自我の妄想から目覚め…
感覚.感情.主観を乗り越え…下らないもの事.つまらないもの事.どうでもいいもの事への捉われ.拘り.執着から解き放たれる時、堅固なるこよなき安らぎの中に梵住する…もはや死の魔王には見えず…