仏教の教えとは.

毎度おなじみのフレーズではありますが、皆、幸せになりたくて生きています…不幸になりたくて生きている人など居ないのですから…。
世の中には[俺なんか幸せになんてなれないし.別に幸せになりたいとも思わない…]と言う天の邪鬼な人でも、苦行してる自分を誇りにしてる愚かな人でも、これから自殺しようとする頑迷な人でも、その中に[幸せ.幸福]を見い出して居るからに他ならないのです…
そして[仏教とは何なのか?]と言えば、第一には[人々を堅固で実存的な幸せへと導く]世俗諦への道であり、第二には此の世界の本質と実相を見透し理解する勝儀諦への道であると言え、得体の知れない神仏や怪しげな力など眉唾な他力に縋り.救われようとする低次元の信仰.信心ではなく、強いて言うならば.万物が内包する神性や仏性への感謝.崇め.敬い.畏れを含め.諸行無常な此の世界に於いて.唯一の堅固なる依り処(精神的支柱)である無為(変化生滅しない絶対的なもの)なるもの真理(自然法則)を支えとした安定的で実存的な幸せ.平安.悦楽.歓喜.静逸の実現へ到達する道を指し示しているのが仏教(仏の教え)なのです…
これだけ平和で.豊かで.恵まれた時代と環境に生きていながら、多くの人々は何故か.不満不幸.苦しみの中を生きていて.心を貧しく.心を卑しくしているように思えますの…その現実は幾ら.否定しようとも.その顔や、社会の世相に明確に現れていて、疲れ.悩み.満たされて居ないような無気力な表情の人も多く見かけますし、ニュースを見れば凄惨な事件.問題.争いが絶えません…
[金持ち喧嘩せず]という例えがあるように、本当の満足.多幸感.充実感.歓喜.平穏の中に在る人には.争いも.憎しみや怨みも.怒りも.哀しみも空しさも無縁なのですから…
その答えは、唯、無明(本質的無知.真実が見えていない状態)だからなのです…
だから本来は欲望を奴隷として欲望を使役して意欲として溌剌に生きている筈なのに、欲望の持つその魔力に魅入られ[欲望の奴隷状態]に在るからなのです…欲望の本質とは.永遠の存在として在る為に.決して満たされる事のない要求をし続けるものなのですから…
却って欲望の要求を抑制し制御コントロールしてやれば、欲望の炎で燃え盛る如き.欲望で波立つ湖面の如き心は.次第に鎮まり.鏡面の如く真理(真実.事実.現実.実相)を映しだすのです…
[欲望の奴隷状態からの解放]

無明という闇の中を手探りで盲目的に、暗夜行路を行くが如く生きているから、変化生滅してゆく現象に過ぎない物事を、感覚的.感情的.主観的(自我意識)に捉えて、毀誉褒貶に拘り、一喜一憂しながら、喜怒哀楽に振り回されて生きているから、苦という本質(ドゥッカ)へと行き着くという理法(自然法則)に遵って、少しの喜び.幸せと引き換えに大きな不幸.不満.苦しみの中を生きているのです…

世の中には.欲望の炎を煽る魅惑的な話とか.心を捉えて離さない最先端の各種機器や.最新のトレンドなど人を魅了しないでは置かないような情報で溢れ返っています…
それは丁度、欲望の炎で熱せられた鉄板の上を、飛び跳ねては空中で一時の安堵を得ながら、熱い熱いと転げ回っているようなもので、余裕を失った心は、欲深く.貧しく.卑しくなってゆくのです…
そんな[欲望の奴隷状態からの解放]こそ、仏教の教えなのです…

目覚め、乗り越え、解き放て… 
覚醒と超越と解放
次章の[幸福(しあわせ)の三要素]へ続く…