生前取得と生後取得

最近は世俗諦ばかりを取り上げて来たので、たまには久しぶりに勝儀諦(大悟)を取り上げて見ようと思い立った…
お釈迦さまも勝儀諦に関しては苦しみの消滅や平安.幸福の生成に直接に役立つものではなく、聖者の教えは.その掌に何も隠すものはないと仰っては居ても、深淵で高度で難解で微妙な勝儀諦は無明の未だ残る未熟な者には混乱を来たすだけだろうから.普段は極力、お説きになられなかったのは.無明の闇の中を盲目的に彷徨っている者が、単なる知的好奇心を満足させる為だけに求望しても.それは平安と幸福へと向かう道に役立たない処か、妄迷を深めさせるだけでしかないからである…現に.現代人以上に.迷信的で.得体の知れない.怪しげで.眉唾な[不可思議や奇跡]などに魅入られ易かった当時の盲目的な人々は、天地自然の理法(物理法則)から逸脱した非現実的な世界に魅入られていたのだから…
説話として[ある時.お釈迦さまは.コーサンビ近郊のシンサパーの森に滞在して居られた時、木の葉を数枚手に取り.弟子達に尋ねられた「弟子達よ.どう思うか…私の手の中にある木の葉と、森の中にある木の葉と、どちらが多いか…」
弟子達は「師の手の中にある木の葉は少なく、シンサバーの森の中の木の葉のほうが.ずっと多くの木の葉があります」
「弟子達よ.それと同じく、私が教えたのは、私が知っている真理の.ほんの一部に過ぎず、説かなかった事のほうが遥かに多い…何故.説かなかったかと言うと、それらは涅槃(ニルヴァーナ)に赴くのには役立たない真理であり、それ故に説かなかったのである…それはニルヴァーナに達した者が.自ずと知り得る.この世界と万象の真理でもある…」
世俗諦に到達し.更なる向上(高見)へと向かう弟子達に説かれた真理こそ勝儀諦(大悟)という絶対真理なのです…
この章の副題は[渇愛]であったが、一般論から踏み込んで渇望(渇愛)を解説する為には、先ず心的エネルギーの解説が必要と考え、生前取得するものと生後取得するものとの分類から話を始めようと思う…
そしてこの難解な箇所(勝儀諦)を少しでも理解して頂きたいと.なるべく一般的な科学単語を多用しているが、誤解しないで頂きたいその本意は.仏教思想を現代西洋科学に近づけようとしている訳ではなく、寧ろ現代科学が仏教思想に近づき.追いついて来たとさえ言えるのだから…
確かに近代科学はギリシャやエジプトの古代天文学や科学を下地にして.西洋の偉人達の手によって成されてきたのは事実であり否定するつもりもないが、迷信と無明の闇に包まれた社会の中で.この世界は得体の知れない神が創造し、地球を中心に宇宙が周っていると本気で信じられていた時代において、森羅万象.天地自然の法則の中に神性を見い出し.真理(真実.実相)を探求して来た偉大な西洋の先達の姿勢と方向性こそ、お釈迦さまの到達された真理と教えに一致するのです…
しかし一方の仏教世界に暮らす人々は西洋の偉人達とは逆に.神性や仏性を妄迷に捉らえ.得体の知れない神仏を次から次へと妄想しながら造り出し.無抵抗に鵜呑みにし.妄信し.追随ながら幻影に祈りを捧げ、一時の気休めに甘んじながら真理(真実.事実.現実.実相)を探求しようという賢明で優れた人物を生み出すことも.それに続く開明的な者達を育てられなかった(却って排除してきた)という差によるのです…
宗教とは宗(む)ねとなる教えであって、決して無明の闇を深めるファンタジーでも妄想的.幻想的な得体の知れない神仏への妄信でも信仰でもないのです…
そして未来科学を予想すれば科学と仏教思想とが合一した世界では、深淵で奥深い真理が顕現した輝いた世界が出現している事でしょう…(但し、その前に自滅しなければですが…)
■世界は途方もなく膨大な一源のエネルギーの流動である…
空より現れては、空へと戻ってゆく、悠久の流転により、膨張し.増大し.成長し.変化し.発展しながら、安定化へと向かっている…
■非物質(無色.むしき)

=一源エネルギー(梵) この状態を空(プラス.マイナスの中道状態)という。
■三位一体=心的エネルギーを形成
■対称性の破れによる根源エネルギー(梵)の物質化(色.しき)
①物質(仏教の原子論)
一源のエネルギーが空状態(プラス.マイナスの中道状態)から.その本質的意志(変化し.成長し.増大し.発展し.より安定したい)により急膨張(インフレーション・ビックバン)を始め.プラス電荷とマイナス電荷へと分離して物質化して互いに打ち消し合いなが、空状態(安定状態)へと戻ろうとする…が、プラス電荷とマイナス電荷との若干の性質の違い(対称性の破れ)により.残存した一源エネルギー(梵)のプラス電荷物質により.この世界の物質(質量を有する)物質は離合集散しながら.その結合により一源のエネルギー(梵.アートム)→素粒子(パラマ)→原子(アヌ)→分子→物質を形成しているのです…
②心的エネルギー
唯物論者は偶然の結合により生命が誕生したように捉え、生命構築の設計図であるDNAやRNAが時間的要素による偶然性により創り出されたと考えて.そんな主張が主流化もしていますが、この世界の一源のエネルギーを始め素粒子から物質.物体.心に至るまでの全てが状態性の安定化運動をしている事実に基づけば、偶然に見える必然であり、得体の知れない神仏ではない天地宇宙の法則(自然法則)のもつ神性.仏性と呼べる意志の存在を無視しては.生命誕生の秘密を解き明かす事など出来ないのです…
③生前取得と生後取得
人は.この世に生まれてくる時に、宿して来るもの(生前取得)があります…これが宿命と呼ぶものであり、男の方が良かったとか.女の方が良かったとか、もっと背が高かったらとか色白だったらとかの遺伝的形質と、過去世の残存記憶(残滓)の影響による性根(傾向)であったり.今更どうにもならないものを言い、
環境.時代.経験.素養などによる性格を始め.多くのものは生後取得ないし生後形成しているのです…
因みに渇望(渇愛)とは生後取得なのです… 
④渇 望(渇愛)
渇愛自体は生後取得しているもので、持って来ているものではなく、満たされる事を知らない煩悩(存在欲)によって生成されているのです…
煩悩(存在欲)の要求に幾ら応えた処で、更なる要求をしてくる代物であり、欲望や欲求が深まると.それが渇き(渇望感)となって生じてくるのです…


在るでなし、無いでなし

胎蔵界
この世界の途方もなく膨大な留まることのないエネルギーの悠久の流動を体内に胎蔵するとき、此世と彼世とは一体と化し、此世で浄化(中性化)されたエネルギーは.彼世へと戻りゆき、彼世から色化(物質化)した新たなエネルギーが此世に.現れては消えてゆく実相を悟る…


諸行無常な世界を生きし
虚しき身空よ…人の身よ…
諸法無我な世界を生きし
儚き身空よ…人の身よ…
一切皆苦な世界を生きし

憐れし身空よ…人の身よ…
一切万象 因果応報なり…
一切万法 自業自得なり…
夢幻に頼りし無明な者よ…
妄想に安堵す暗愚な者よ…
せめて堅固なものに依れ…
せめて価値あるものに依れ…
虚しき身空の、人の身なれば…
儚き身空の、人の身なれば…
憐れし身空の、人の身なれば…
如来、憐れみ.辻に立つ…
衆生…心を浄めたもう…
乏しき心を浄めたもう…
汚れし心を浄めたもう…
衆生…徳を積みたもう…
衆生…無明を晴らしたもう…
衆生…軛(くびき)を解きたもう…
これが幸せへの道なれば…
如来、憐れみ.辻に立つ…