自業自得と因果応報

一切万象 自業自得
一切万法 因果応報
実は[運不運]を書いている途中だったのだか、今回のコロナ禍に関連した記事の中に.看過出来ない記事を見つけたので急遽、[自業自得と因果応報]に付いて記そうと思いたった次第である…
それは自粛警察と揶揄される人達がコロナ風邪の罹患者を間違った正義(本当は不満の解消)で.非難中傷したり攻撃したりする時の論拠が[自業自得]という自己責任論であり、諸外国と比べて突出しているという記事である…
何を言いたいのかと言えば、コロナ禍を含めた全ての現象(結果)には原因があり結果があり、自業自得とは[偶然による発生][原因もなく突然に生じる事][神仏の意志による現象]などないのだという否定と共に.自己責任という短絡的な因果関係ではなく.全ての現象として現れた相互関係性は大宇宙的な関連性.相補性によって現れてくるのであり、人間には認知し得ず.計り難い森羅万象の深淵な働きにより現れる現象であり.そんな因果律(縁起)による現象に対し、人間が対処出来るのは[自分の身を真に守り.救うのは自分自身だけ]という意志と信念に基づき、その為に業(カルマ)という意志や行為の[形成力]を高め.磨き.調えなさいと説かれるのであり、詳細は.ここでは省きますが、その為の自我意識からの超越であり、無明の闇からの覚醒であり、人としての質.格.境地.器量などの育成に努め励み存在の次元の価値という果報を得ることなのです…
もし短絡的に捉えるならば、例えば人相ひとつ取っても攻撃を受け易いと言われる人がいるし、また受け難いと言われる人がいますが、人相が為に他人から攻撃を受けるのは自業自得だから仕方がないと括って諦めろと言うのであろうか、人相など全く影響しないと言っているのではなく、人相ひとつで結果へと繋がって行く影響力などせいぜい10%〜20%位の要素でしかなく別の因果律(縁起)に従った相互関係性と意志や信念による形成力などか重要な要素なのですから…
■精神性により各次元に見い出す価値観や形成力(カルマ)は変わってゆく。
低次元に於ける階梯  

渇望と存在欲に発する衝動による執着。

①肉体的.物質的レベル(自我的)

②感覚.感情レベル(自我的)

③知識レベル(自我的)

④知性レベル

⑤精神性レベル

⑥覚醒.超越レベル


①肉体的・物質的レベル  
このレベルの人は物質主義的であり物事の獲得に価値を見出し物質的肉体的な安逸が主体的であると錯誤し,本質的には宗教や哲学でさえも物質的所有として「使えるもの」という認識でしかなく、それ以上の価値観を持ち得ません。ですからこのレベルの人達の関心は信仰によるご利益であったり御守護であったり恩寵や恩恵でしかなく、宗教(宗となる教え)や哲学には実は興味が余り持てないのであり、物質的.肉体への価値判断が、精神的・存在的価値判断を上廻ってしまうのです。 
②感覚・感情レベル      
このレベルの人には繊細な人が多く、好き嫌い・快不快・美醜などという主観的な感覚によりものごとを判断します。これらの人達は感情による自我を満足させる物事に価値観を見出し、感覚的な欲望を満たす事こそが主体的であると見出し、善悪.浄不浄などという倫理感を上廻ったります。妄想的・神秘的な信仰に興味を持ちやすく、儀式のない宗教には魅力を感じない傾向があります。
③知識レベル          
このレベルの人は、知識欲が旺盛で知識や理論による理論武装で安心感を得ようとします。自分の主観や概念に執着し、客観的な理解・認識・判断を避ける傾向があります。所有の次元へと向かう感情に発する妄想が深まり易く、神秘的で迷信的な知識や思想に興味を示し、[第三の目]や[超能力]とかや[霊力]といった得体の知れない物事を求める傾向があり読書や学習を通して知識は豊富ですが偏っていて余り活動的・実践的ではありません。
「所有の次元を目覚めた心で眺めるならばれ、俗世の金財・名声・地位・権力などが塵あくたの如く映り、存在の次元において真に光り輝く」
理性的な客観的な理解・認識能力による、高次元への進化
④知的レベル(感性)       このレベルの人達は主に理屈や物事を客観的に観察し、理解・認識し発見してゆく事に関心があり、研究や開発などに価値観を見出します。その価値を所有の次元に置く時、大いなる発見や成果を得られない事による苦や悩みを生じますが、存在の次元に於いては観察し理解し確証を得る事が主体であり、結果としての発見や成果とは付随物(付き随がうもの)客体でしかなく、自己完結的なものなのです。
⑤叡智を伴う精神性レベル
このレベルの人達はカルマ(業)やサンカ-ラ(記憶の残滓)の浄化と存在としての価値観の向上に努め励みます。    「寛大であるのも、慈悲深く施すのも、生きている今しか出来ない事。」

⑥覚醒.超越.精神性レベル
このレベルの人達はある意味で霊性を具えて来ます(※不滅の霊魂とかではない)それは煩悩(存在欲)から解き放たれ、渇望(渇愛)の完全な消滅を果たし、五集合要素(五蘊)を制御し、渇望(渇愛)の再生存と再生成という軛(くびき・連鎖運動)を断滅した.無我なる心的エネルギーから顕現するのです。  

「我れは我れにして我れにあらず、今ある仮の姿」

人が完全へと向かう為には、注意深く客観的に啓発してゆかなければならない二つの資質がある。一つは慈しみであり、一つは叡智である。慈しみとは慈愛、慈善、親切、寛容と言った情緒的な気高い資質であり、叡智とは人間の知的な心の資質である。もし情緒的側面だけを発達させて知的側面を無視すれば、心やさしい愚か者と成りかねず、逆に知的側面だけを発達させ情緒的側面を無視すれば他人を考慮しない無情な知識人と成りかねない。それ故に高い人の質(クオリティ)・格(レベル)・境地(ステ-ジ)・度量(ラージ)を磨いて行くためには、情緒的側面である感情と知的側面である理性という両者を発達させて両極の中道に安定点を見い出せなければ、前向きで歓喜に満ちた平安な仏教的な生き方など達成することが出来ないように、自らが向上してゆくためには叡智により自我を焼き尽くし無我な存在となる事と他者を慈しむ行為とは不可分に結びついた必須なものなのである。
【浄化(カタルシス)】
運命を変えたければ、
性格を変えてゆけ…

性格を変えたければ、
習慣を変えてゆけ…

習慣を変えたければ、
行動を変えてゆけ…

行動を変えたければ、
言葉を変えてゆけ…

言葉を変えたければ、
考え方を変えてゆけ…

考え方を変えるには、
今の自分を変えてゆけ…

今の自分を変えて行くには、
今日まで造り積み上げてきた自分を、カタルシス(浄化)させてゆけ…