幸せへの道

幸せに包まれた生き方の為の仏教

この世界の本質…そして生きる事の本質とは苦(ドゥッカ)なのです。
ドゥッカとは[不完全性.不安定性による苦しみ.悩み.迷い.心痛.怖れ.憂い.哀しみ.悔い.不満.儚さ.脆さ.弱さ.空しさ.無明.欲望…]などを言います…
しかし人は苦しむ為に生まれてきた訳ではありません、寧ろ.喜び.楽しみ.幸せ.満足(スッカ)を味わう為に生まれて来ているのです…
ですから喜び.楽しみ.幸せ.満足を望まぬ者など居ないのです…
つまりそれは苦(ドゥッカ)があるから.楽(スッカ)があるのであり、死があるから生きる事に価値が生じるのです…もし不死であったら.生きる事に価値など見い出せず.死にたくて.死にたくて苦しむことでしょう…
しかし多くの無明な人達は、喜び.楽しみ.幸せ.満足を求める余り、得体の知れない怪しげな物事に依存したり、所有物に求めたりして、却って苦(ドゥッカ)を造り出したり.深めながらも.そちらの方向には本当の堅固な喜び.楽しみ.幸せ.満足などない事に気付くことが出来ずに、更に得体の知れない怪しげな物事
への依存を深めたり、所有の次元の事物への欲望を燃え上がらせ、本当の堅固で安定的な喜び.楽しみ.幸せ.満足から遠ざかってしまうのです…
それが執着.愛着を乗り越え.超越することが出来ずに生命の根源から.因果律(縁起)に遵って輪廻転生を繰り返す因縁でもあるのです…
そう成らない為の仏の教えであり、その為には自分というものを冷徹に.第三者眼で客観的に.見つめ.理解してゆく事が必要であり、その為の瞑想や集中力の養成であり、苦行という[怒りや恐怖のエネルギー]に根差した愚かな行法を廃して、安楽によるプラスのエネルギー(活力)と.智慧(叡智)により真理(真実.事実.現実.実相)を覚り.本当の堅固な喜び.楽しみ.幸せ.満足を覚醒させるのです…
 〘楽は苦の種 苦は楽の種〙
〘苦楽一如なりて、見る側面や考え方次第で苦にも楽にも変化する…苦楽を乗り越えさせるのは智慧(叡智)だけ〙
【愚か者】  無思考
言われても出来ない
【普通人】 自我思考
言われた事はできる
【賢人】
言われなくてもやる
他人が出来ない事ができる
【超人】
簡単には出来ない事を、誰でも
出来るように改良できる

幸せの条件
●人生の一瞬一瞬が.如何に大切で価値あるものかを自覚する
●今日の命が当たり前だと錯覚せず、如何に多くの幸運の上に今日がある事を自覚する
自分という存在は他から独立して単独には存在出来ない、因果律(縁起)に遵った関係性の上の現象的な存在である事の自覚
●[諸行無常]を理解する
全ては移ろい.変化生滅してゆく…
それを理解し.受け入れる事が出来ないから、ドゥッカ(苦)を生じさせるのです…人間の力では.どうしようもなく.どうにもならず.思い通りにはならないものへの.捉われ.拘り.執着.愛着が無くなれば、ドゥッカ(苦)の生じる隙もなくなるのです…
これが[在るがままに在る]という事なのです…
●つまらないもの事(少事.愚者など)、
どうでもいいもの事(小事.愚者など)、
下らないもの事(小事.愚者など)に、気を取られず.捉われず.拘らず.執着.愛着しなくなって初めて安寧は訪れ、今の在るがままの喜び.幸せを奥深く味わうことが出来る…
〘小事にかまけて.大事を疎かにする事なかれ〙
●過去に囚われ.未来に期待して二度と訪れない今を疎かに生きてはならない
●過去はどうであれ、未来がどうあろうが、今という瞬間に実存している現象的存在であり、今というこの時を楽しみ喜び味わえねば、妄想の中のオナニストでしかなく、それが為に現実と理想(妄想)とのギャップに苦と不満と怒りと哀しみを深める事となる…大概の苦(ドゥッカ)は妄想により造り出される
●所有の次元の事物による喜び.楽しみ.幸せ.満足は、一時的で短命な無常な現象に過ぎない…捉われ.拘り.執着.愛着するから、煩悩に翻弄され、心を貧しく.卑しくさせてゆき、心が満ち足りる事がない…人格.叡智.度量.人の質を磨き.育て、実存的な喜び.多幸感.満足.平穏.安寧.静逸な存在の次元へと向かう
●生きる為に働くけど、働く為に生きることは虚しい
●承認欲求からの解放
他人からの承認欲求など他人からの評価に捉われ拘り執着するのは、裏を返せば、自分自身に自信がない現れであり、懸命に.精一杯に.そして決して真摯には生きて居ない証でもある…人間.人事を尽くして天命を待つならば.泰然自若して無責任で無価値な他人の評価などに惑わされず、自分を正しく捉え.理解し.ダークな部分も含めて受け止め受け入れて.現実的に前向きに進歩.向上させてゆけるのです…
毀誉褒貶に惑わされず…
人が褒めようが、貶めようが、その人の常ならざる感覚的.感情的.主観的な無常な想念に過ぎないものに翻弄されない…
●身体の健康ばかりに捉われず、精神や心の健康を考える
人間性.人格.人の質.人柄.度量.慈悲心.向上心…
感性.感覚.情緒…浄化.育成
●人間ひとそれぞれ…生き方もまたそれぞれであり、社会の考える幸せが自分の幸せとは限らない…幸せとは他と比べて得るものではなく、心の満足度しだいである…心貧しく欲深くなり
煩悩の欲求に翻弄されて.煩悩の要求に幾ら応えた処で.更なる要求をしてくるだけ…心は満たされ平安に在る時など決して訪れることはない、却って煩悩の要求を抑制.コントロールしてゆけば欲望で波立つ心は徐々に澄み渡り、自ずと心の湖面に真実を映しだす…
幸せとは千差万別なものであり、他人の幸せと自分の幸せとは一致しない多様的なものであり、本当はやりたくないことを本当は無理にすべきではなく.親や社会が良かれと思って引いてくれたレールであっても.どうしても自分という存在性を殺してしまうものであれば拒否すべきでもある…他人が考える「充実した人生」「恵まれた人生」を送る必要などなく、自分の存在性.精神性を高める人生であったり、平凡な人生を望んでもいいのですから。
折角の人生、真の意味での.悔いのない人生を築く努力こそ、自分を精一杯生きた証なのではないでしょうか?
●気付きと感謝の心
●自我への拘り.捉われ.執着.愛着からの解放(自利自得.我欲への執着からの解放)
●苦痛のない毎日に感謝…
●無明(本質的無知)の闇の中を手探りで辛うじて生きている明日をも知れない存在であることを自覚する…死や災いなど自分にはやって来ないだろうという愚か者の錯覚の中で、偶々.今日も運良く生きているだけの.本質的には儚く.脆く.弱く.虚しい現象的存在に過ぎない事を自覚する…
●大局観.大観を育成する
●五集合要素(五蘊)による精神作用(現象)による想念.意識に過ぎない
心、心というけれど…
主人は、見難く、気付かず、御し辛い.潜在意識…
一朝一夕には変えられないが繰り返し送る想念により徐々に変えてゆけるのです
●全てに感謝(多様的相補性)
・愚か者がいるから.賢者に価値あり
・邪見があるから.正見に価値あり
・悪があるから.正義に価値あり
・死があるから.生に価値あり
・苦があるから.楽に価値あり
・無いがあるから.有に価値あり