幸福は足下にあり

一切万象、考え方次第
幸せは山の彼方に住むものでも、苦労の先に待っているものでもなく、幸せは足下にありて.後は大事に育ててゆくもの…

仏教は智慧の宗教と言われるが、そう言われる所以は、物事万事.考え方次第で幸せにも不幸にもなってゆくものであり、その為には智慧や叡智が必要となるのだから…

そしてその智慧や叡智を顕現させる.深淵なる真理(真実.事実.現実.実相院)を見透し.洞察する為の能力の開発こそが仏道であると言え、その為の集中力の養成と知識や情報であり、能書き.戯れ言.空論.観念などを妄信して信救われる訳でも.得体の知れない神仏の御加護や御利益で救われる訳でも、成仏できる訳でもなく、一切の万象は.自らの業(カルマ.形成力)の自得であり、自らの因果の応報なのだから…
愚か者 は幸福を祈りながらいつも運や幸せを取り逃がす. 
●愚か者は運命を星に託したり.神や仏に縋ったりするが.星や神仏が人を救った例などなく.自分を真に救うものは自分だけ
●正しい真理を覚らない愚か者には、生死の道のりは長い
●愚かな人は.幸せは苦労の先の遠い所にあるものだと幻想して、足元の幸せに気付けず.奥深く味わう事なく、悔いと虚しさとを味わう事となる
●真に歓びや幸せをもたらすものは、足るを知る心だけ…
●幸せの青い鳥.症候群
チルチルとミチルは青い鳥(幸せ)を探し求めて世界中を旅しましたが、得たものは苦労だけでした…そして青い鳥(幸せ)を捜し求めるのに疲れ果てて我が家へと帰って、疲れ切った心身を癒やしながらフッと見上げた庭の木の枝に青い鳥(幸せ)が留まっていたという西洋の童話に言われるように.煩悩の要求に翻弄されて.旅をする人は案外.多いもので単に無明の闇の中を盲目的に手探りで.行き当たりばったりに生きているだけだからであり、心を鎮め.調えて.集中力を高めて冷徹厳峻に自分を客観的に眺め.分析し.思惟思推し.見つめ直せば自分が如何に未熟で愚かで無知なのかに気付く事もできるのですから…
[己の愚なるを知るが賢者なり]
そうすれば既に如何に多くの幸せを所持しているのかにも気付く事が出来、満たされた至福と歓びと多幸感の中を.更なる高見へと昇華してゆけるのです。
[悦楽の中に聖なる大悟は啓かれる]
 
正しい真理(真実.事実.現実.実相)はひとつであるが、世の中には[正しい真理]と[間違った真理]とが同居している、そうと気付かず惑わされ.無明に真理へと向かおうとする人々を[こんな筈ではないのに…]と苦しめる。
「愚か者に知識があっても、それは彼には不利なことになってしまう。その知識は彼の好運(しあわせ)を滅ぼし彼の頭をうち砕く(人生が破滅する)」
○足るを知る「知足」とは[今あるもので我慢する]という意味ではなく[全ては既に与えられている]
だから「満ち足りているのだ」という今の幸せへ気付くことなのです。