心の治療

よく人から、仏教は病んだ人の心を治療する目的があると言うのでしたら、精神科や心理カウンセラーの勉強や資格が必要なのではないですか?
と尋ねられる…笑
別に私はもぐり医者でも医学博士でもハクション大魔王でもなく、能書きや染脳(洗脳)や薬剤で治療するわけでもなく況して医学の治療目的は根治でも超越でもなく、通常に近い状態へ戻すのが目的なのに対して、心の病の真因が無明(無知).愚かさ.未熟さなどである事を発見したお釈迦様は、人格や精神性を高め.真理(真実.現実.事実.実相)を自覚する事により、凡その心の病は根治し.更に高い次元へと導くことを実証するのが頂乗仏教であり、つまりは医学はマイナスをゼロポイント方向へと向かわせるのを目的とし、頂乗仏教はマイナスないしゼロポイントの人をプラス次元へと向かわせるものであり、能書き.戯れ言.空論.観念を以って思い込ませる(プラパンチャ)なものではなく、実践的に真理(真実.現実.事実.実相)に気付かせる事により、平穏.安心.安全.愉悦.歓喜.快感.静逸.貴顕(ときめき).幸せへと向う道を指し示すだけなのです。
なにしろ人類の99パーセント以上が何かしら心の病に罹患しているのですから…笑
当然なものを当然ではないと見る者は
当然ではないものを当然だと思い込み
それによって真理には到達できない…
[平和な日本だ]は現実を現しているが、
[日本は平和だ]は現実を現していない…
今日の健康を当然だと思って生きているいるような人は、病を煩った時、当然の権利を失ったように嘆き哀しむ…
何かしら所有に依らねば喜びを感じられないような人は、何かしら失なった瞬間から嘆き哀しみ次を欲し、今在る現実に喜び感謝する事が出来ない…
諸行無常が理解できない人は、現象でしかない私や感覚.感情.精神作用に囚われて、無明なものを依り処として.苦.不満.恐怖を造り出してながら病んでゆく…
煩悩(存在欲)に制御され振り回されて生きていくような人生から幸せや安心を感じる事など出来ない、自ら己の煩悩(生存の素因)を制御コントロールして初めて、安寧.満足.多幸感は得られる…
全てはひと息の内にあり…
決して上から目線で言う訳ではないが…笑…例えば私自身の呼吸数を計測すると通常は凡そ1分間に15回ぐらいだから、1時間あたり900回、覚醒時16時間で1日あたり14400回、1月で432000回.一年で凡そ520万回の呼吸をしている計算であり、無一物でも真理と叡智に基づいて、満足.歓喜.快楽.平安.安寧.貴顕(ときめき).静逸.多幸感(スカ)の呼吸をしている人間と、一年中.渇望.欲得.不満.迷い.空虚.怒り(ドゥッカ)の呼吸をしている人間とでは、心身共に人生が天と地ほどの差となって現れてくるのは必然であり.当然であり、理に適うことではないでしょうか…
決して脳天気にではなく、真理と叡智に基づいて、そのひと呼吸に、どんな心(想い)を乗せて生きていきたいのですか?
【検証】
所有の次元の事物への欲望.拘り.捉われ.執着.愛着からの解放
もし金財.地位.名誉…など、所有の次元の事物に縛られているとしたなら.真如への到達は覚束ない…
何故ならば、快楽を得ても、平安を得ても、安寧を得ても、愉悦を得ても、静逸を得ても、多幸感を得ても、無常な所有の次元の事物を依り処とした移りゆく有為なる現象に過ぎない…
無一物なればこそ、無為で堅固なる涅槃(ニルヴァーナ)を奥深く味わうことが出来るのだから…