脳内麻薬とトランス

古来、宗教.信仰.呪術.シャーマニズム.霊媒.カルトなどに於いて無視する事が出来ない[トランス状態]と言う脳波(α波)の現象と、内分泌カンノビノイド類(ドーパミン.βエンドルフィン.アナンダミド…)などの快楽分質の分泌作用に付いて仏教ではどう扱っているのかと言えば…
先ず[トランス状態]とは禅那.瞑想によりもたらされると言うより、高度な集中力に依り.止観と観照の両極に於いてさえも外界に捉られ.縛られ外世界へ向かおうとする意識を内観及び内々観へと振り向け.外世界への執着や渇愛を断滅し、外界の束縛から解放された時に現れる[法悦感.恍惚感.陶酔感]であり禅那.瞑想.ヨガ.観照.読経.念仏.念呪であろうが、立っていようが.座って居ようが.集中力が高まった時に現れる一つの現象に過ぎず、仏教的にはドゥッカ(条件により生起するものは条件に依り消滅する性質のもので本質的には苦)に他ならないものであり、そんなトランス状態による法悦感や恍惚感や陶酔感に捉われ.勤しんで居るような半端な者には、修養や到達や完成は覚束ないと戒められているのです。

しかし多くの宗教.信仰.カルト.呪術.霊媒.シャーマニズムなどでは、ヒステリー性を伴って神憑りだとか高い次元や境地だと錯覚してしまったり.欲深い煩悩に支配されていたりすると.欲する神たら仏たら天使たら悪魔が現れたり.悟りが啓けたと寝呆けて勘違いしたり幽体離脱(妄想)などを体験したりするのです.…
一方、脳内麻薬とも言われる内分泌カンノビノイド類(ドーパミン.βエンドルフィン.アナンダミド…)などの生体快楽物質の内分泌は通常では感覚.感情.主観などに誘発されて分泌するものであり、人々が求めて止まない快感.快楽.愉悦.恍惚.多幸感などは言い換えれば快楽物質の分泌を求めて止まない生理現象に過ぎず、麻薬依存なども生体快楽物質の不足を人工的薬剤で補おうと渇望し依存症へと陥ってしまうのです…
しかし感覚的.感情的.主観的な自我的な見解や観念から解放され.智慧(叡智)によりこの世界の真理(真実.事実.現実.実相)を理解して、現象的な存在である事を自覚し、人格を高め、真理を依り処とした無我な一滴となりたる時、心は平安.悦楽.静逸.多幸感に満ち溢れるのです...
その時、安寧の呼吸法のより生体快楽物質の内分泌を適度に制御コントロールしてゆくことが出来るメカニズムこそ、堅固で実存的な涅槃(ニルヴァーナ)なのです.
それは内分泌という現象ではあるけれどこの世界に於ける唯一の無為(変化生滅しない実存)なものである[真理]を依り処とする事により叶う.堅固で実存的な作用となるのである…
付け加えるならば外界の事物(薬剤)による依存症や常用性というものは数多く存在するが、生体内分泌物質に対しては多量の体内麻薬物質の分泌であったとしても依存症の発症は起こり得ないのです…