真理は真理 虚仮は虚仮

人々よ 真理(真実.事実.現実.実相)を依り処(精神的支柱)として 虚仮(虚構.妄想)なる物事を依り処としてはならない…
この諸行無常なる現象世界において、唯一.変化する事も消え去る事もない.堅固で普遍で実相的(無為)な依り処は真理(自然の法則)だけであり、信じる信じないという不毛で盲目的な虚仮なものを依り処とても一時的な安定は得られても条件.環境.時間の変化により消え去り.不安定(苦)へと戻ってしまう性質のものでしかない…
人々よ 真理(真実.事実.現実.実相)を依り処(精神的支柱)として、信仰.信心を依り処としてはならない…
情緒的に親しみ、習俗的に執り行ない、結束の為に奉るは、文化的な行事であり.真理の実現の行為とは言えない…
真理とは何処の国の人でも.何教を信奉する人でも.誰にでも普遍なものであり、国籍.信教.地位.年齢.環境.時代.状態.勢力.権威.声望…などにより変化する性質のものは真理(真実.事実.現実.実相)ではなく、単なる偏った見解.観念.思想.空論.仮説など虚仮なものに過ぎないのである…
しかし現実の社会では、虚仮なものが溢れ返り、虚仮なものが重宝され、虚仮なものや軽薄.軽躁なものが人の耳目を集め.真理(真実)など顧みられないもの…
それは人は刺激や感覚的なものを探し求めているのであり、決して真理(真実)を望みも探し求めても居らず.寧ろ真理(真実.現実)からは目を背け.直視する事から逃げ、感覚的.感情的.主観的.欲望的.情緒的な物事に魅入られ.酔っぱらい.寝呆けた酔生夢死な生き方に向かっている事に気付かないのである…
それは真理(真実.事実.現実.実相)とは冷徹厳峻なものであり、決して感覚.感情.主観という人間のもつ精神作用に沿って在るわけではないからであり、例えば、人生に疲れた人の感覚.感情.主観.欲望にとり.根拠もなく無責任に提供される楽園.ユートピア.パラダイス.極楽.桃源郷などの妄想的なものでも、渇いて.傷付き.病み.疲れた無思考な心には、救済の為の一縷の望みに思え.縋り付こうとするのである…
しかし真理(事実.現実.事実.実相)を観るには変化生滅を受け入れる智慧が必要であり、たとえ何が生じ.何が消え去り.変化生滅してゆこうとも苦でも楽でもない当たり前(当然)のことだと気付かされるものである…