敵と味方

真に自分を助ける味方は、自分だけ…
そして真に自分を貶める最大の宿敵も自分なのです。
[戦場に於いて幾千幾万の敵に勝つよりも.己自身に打ち勝つ者こそ真の勝利者なり]
自分の生存の素因(生きようとする意志)は煩悩(存在欲に起因する汎ゆる渇望)であり、煩悩の滅尽を説くのは無明なプラパンチャ(戯れ言.能書き.世迷言)に過ぎない.しかし自分の真の敵もまた煩悩(存在欲)に他ならず、煩悩に支配されている限り.根拠なく自分は正しいと自我意識に思い込まされ.三つの幼児でも判る心の敵と味方の正しい選択が、七十の老人になっても正しく選択出来ないものであり、また知識や情報ばかりを蓄積させても.それを実行しないならば無駄に外見を整えているだけに過ぎず.自分の心の成長には然程の役に立たず.宿敵の言いなりのままに生きてゆく事になるのです。
肝心なのは煩悩(存在欲)を抑制.制御.コントロールして主従関係を調え煩悩が生み出すエネルギーを活力として有意義に生きるか、煩悩に支配され無価値なものに翻弄されて虚しく生きるかという二択であるとも言えるのです。
例えば、本当には自分に自信がない人は.他人と比べて見たり、他人からの承認欲求や自己顕示欲が強く、他人や社会からの評価を異常に気にして、自己主張や自慢話が多く、褒められれれば喜び、貶されれば怒り、喜怒哀楽や毀誉褒貶に翻弄されながら生きています(お疲れ様〜)…
多くの人は、他人の愚は気付けても、己の愚には気付けなかったり看過したり甘やかして.無明な心(宿敵)に負け続けているのです。
短慮という宿敵に気付き諌めるのも、怠け心という宿敵に気付き打ち勝つのも、貧しい心という宿敵に気付き打ち勝つのも、卑しい心という宿敵に気付き打ち勝つのも、自分の弱い心という宿敵に気付き打ち勝つのも、自分自身の事柄であり常ならず無常で虚しい他人の評価がどうあれ、真実は自分自身の心と.言葉と.行ないに具現化するのですから。
これは自己否定とか自己肯定という問題ではなく、人は皆、無明(本質的無知)に生まれ付いているのです。
そんな感覚的.感情的な主観的見解に惑わされず、理性的な客観的見解により自分の未熟な部分やダークな部分(宿敵)をも受け入れ、端正し善い味方へと育成してゆく精進こそが、自分に打ち勝つ真の勝利者への道なのです。
[心、浄ければ悦楽なり]
⚫安 寧
凡そ.感覚器官から毎日入ってくる知識や情報の90%は.どうでもいい者や物事.下らない者や物事.つまらない者や物事.無価値な者や物事からの知識や情報であり、それらに必要以上に、気を取られたり.捉われたり.拘ったり.執着.愛着したりしながら、気を紛らわせていますが.それが為に心の平安や余裕を失ない、観るべきものが見えず.気に止めるべきものに気付かず.考えるべき事を考える事が出来ないでいるのです。(大衆的思考)
❖どうでもいい者や物事や.下らない者や物事や.つまらない者や物事や.無価値な者や物事に必要以上に.気を取られず.捉われず.拘らず.執着.愛着しないようになって初めて安寧は訪れ、叡智と真理は顕現する。
孫子の兵法
孫子の兵法が[敵を知り己を知れば百戦殆うからず]とあるように.一番の宿敵は己れであり、自分の今の利点.欠点:実力.状態.能力を冷徹に見定め、敵との差異を推し量れば、自ずと百戦するならば百勝もあやうからざるのですから。
[自己に打ち勝つことは、他の人々に打ち勝つ事よりも優れている。
常に身口意の行ないを慎み、自己を調えている人…この様な人の克ち得た勝利を.敗北に転ずることは、神もカワダルヴァの伎楽天も.悪魔も.梵天でもなすことが出来ない。]