思考と感性

思考と感性

重要なのは、どう思い、どう考えるかではなく、どう納得してるかである…
重要なのは、どう思い込むか.どう信じこむかではなく、どう真実が見えているかである…
凡そ 自己啓発や自己改革の類のものが、無意味に終わってしまうのか…は、無理矢理に納得できてないものを無意識層や潜在意識に繰り返し.繰り返し.送り込んでも、無意識層や潜在意識は納得しては居ないなだから…
社会では、思考が主人で、無意識層や潜在意識が従者だと誤解しているが、実際は無意識層の五集合要素(五蘊)で形成された潜在概念が.表層の思考域(脳域)へ送られ思考や論理を加え言語化させているのであり、明らかに主人は無意識層であり潜在意識であり、思考や理性は従者なのであり、いくら従者が寄って集って説得しても仲々、主人は聴いてはくれないもなであり、そんな主人を納得させるには真理(真実.事実.現実.実相)を明確に突きつけ検証させ、自ら納得を得させるしかなく、その為にお釈迦さまは.全てに於いて自ら詳細に.眺め観察し.分析し.思惟.思推し.検証し.理解し.確証を得てから納得しなさいと説かれているのです…

真理に達した人には、凡そ争うということがない…

信じる.信じないといった盲目的な話からは捨て去り離れ(捨離)

不毛な世間話を避け、議論を愛せず、空論や観念に溺れず

群れ戯れる者達と、組み縛られることなく、和して同ぜず

真理(真実.事実.現実.実相)のみを.依り処として、堅固な安定.安心.悦楽.静逸.多幸な境地を愉しむ