今日も気付いた事がある

真理に達した人には、凡そ争うということがない…

信じる.信じないといった盲目的な話からは捨て去り離れ(捨離)

不毛な世間話を避け、議論を愛せず、空論や観念に溺れず

群れ戯れる者達と、組み縛られることなく、和して同ぜず

真理(真実.事実.現実.実相)のみを.依り処として、堅固な安定.安心.悦楽.静逸.多幸な境地を愉しむ

ランナーズハイとスタンディングハイ
Runners High & Standing High
ランナーズ.ハイを得るためには、酷く体力と労力が要求されるが、スタンディング.ハイを得る為には智慧(叡智)さえあれば良く、智慧さえあればシッテング.ハイ(Siting.High)もレイング.ハイ(Lying.High)もウォーキング.ハイ(Walking.High)もまた可なり、そしてその湧き出ずる安定感.歓喜.愉悦.多幸感は比ぶべきもなく膨大で.堅固である。

●全体性の把握
輪廻の流れを否定する者は多かれど、 
本当は諸行無常が部分的にしか或いは全く.見えていないと.吐露するに同じ

輪廻の流れを否定する者は多かれど、 
本当は諸法無我が部分的にしか或いは全く.解せぬと.吐露するに同じ

輪廻の流れを否定する者は多かれど、 
本当は一切皆苦が部分的にしか或いは全く.解せぬと.吐露するに同じ

輪廻の流れを否定する者は多かれど、 
本当は因果律(縁起)が部分的にしか或いは全く.見えていないと.吐露するに同じ

輪廻の流れを否定する者は多かれど、 
本当は涅槃(ニルヴァーナ)が部分的にしか或いは全く.解せぬと.吐露するに同じ

諸行無常に.諸法無我に.一切皆苦に.因果律に遵って.流れゆく生命の流れこそ輪廻転生なり
諸行無常に.諸法無我に.一切皆苦に.因果律に遵って.流れゆく生命の流れこそ涅槃(ニルヴァーナ)なり

⚫現象的存在
「一切の形成されたものは苦(Dukkha)であると確かに知ったならば、それによって人は[一切の苦]を乗り越える超越する事が出来る…これこそが真理(真実.事実.現実.実相)に基づいた清らかな道である。」
現象(因果律に遵って形成されたもの)に対して必要以上の愛着(執着.渇望.渇愛.欲望.妄想)が、苦を生じさせている。
一切の現象とは、現れては変化して消え去る性質のものであり.執着に値しない。
例え.楽(快楽)の姿をとって現れたとしても軈て変化して消え去るもの、愛し.欲し.執着すれば、現象(因果律に従って形成されたもの)は苦(ドゥッカ)という本性を以って現れる。
例え.苦(ドゥッカ)の姿をとって現れたとしても、軈て変化して消え去るもの。
怖れ.忌み嫌うも、また執着なり。
一切皆苦
お釈迦様の教えの核心となる三つの法印(宝印)は、明らかに[諸行無常][諸法無我][一切皆苦]であるにも関わらず、無明(無知)な世の人々は意味も解らないままに[涅槃寂静]だと洗脳されているのだが、涅槃寂静とは解脱の結果としてのニルヴァーナの境地をいっているのであり、決して法印ではないのである。
それは[一切皆苦]が法印(宝印)であっては困る連中が存在し、そんな連中が大楽を夢想させる[涅槃寂静]へとすり替え人々に三法印の一つだと人々に信じ込ませたと言う事でもあり、そんな連中とは馬鳴(アシュヴァゴーシャ)を始めとする龍樹(ナーガールジュナ)などであり、詭弁で塗り固められた大乗教を、仏教として.お釈迦様の教えに沿わし体裁を整える時、真理を語る宗となる教え(宗教)を、バラモン教的な得体の知れない神仏への信仰と化させ極楽浄土や天国や安息界などを無責任に妄想させ無明の闇に包まれた人々を暗黒の闇の中に誘い込み盲目な心をを深めさせながらも人々の救済だと嘯く時、お釈迦様の仰る「天も地も二分化出来ず一切皆苦であり、まして生死を繰り返し輪廻転生は苦の継続である」という愛着.執着からの脱出の他には成仏法は在り得ないないという真理は、大衆迎合的に信者の獲得を主眼とし.安易な成仏への道を提供する事を目指した大乗には実に不都合な真理でもあったのである。
「今まで私は[苦]であるということを知らなかった、今まで知らなかったから苦しんでいたのだ!(無明の闇の中にいた)
全てのものが[苦]であると解った瞬間(一切皆苦)、心は完全なる安らぎを体験したこれから心には微かにでも悩み苦しみは生まれない.最終的な平安の境地に到達した(涅槃"ニルヴァーナ")
やるべき事はやり終え、為すべき事はなし終え、育てるべきものは育て終えた。
修養は完成し.心の解脱は揺るがない。
これが最後の生まれであり.これより再び生まれる事はなく.生は滅した(成仏)」
❖汎ゆる現象は無常であり.無我であり.苦(ドゥッカ)であると.正しく理解する事により、いわゆる現象に対する愛着(執着.渇望.渇愛)の空虚さを理解する。
ドゥッカを見る者は(苦諦)
ドゥッカの生起を見(集諦)
ドゥッカの消滅を見(滅諦)
ドゥッカの消滅に至る道を見る(道諦)
この四聖諦により浄らかな聖なる道(成仏法)を.歩んでゆける。
 
「お互い様とお陰様」

露と生まれし人の身で
無明の闇を振り払い
この世の真理を見透して
死ぬるに優る幸せはなし
森羅万象 有り難きかな
如来品正師 多々方路傍石

⭕今日も気付いた事がある
特に、承認欲求.自己顕示欲.欲望.見栄.自我意識など所有の次元の事物への欲求.執着が強い.欲深く.心の貧しい人は.満ち足りる事を知らず、不満を携えて.その場凌ぎの感覚的喜びに魅入られて.短命な現象に過ぎない感覚的喜びを探し求めて彷徨う餓鬼の如し、足るを知らぬは煩悩(存在欲)の具現でなり、知性(理性)と智慧を以って人となる。
⭕今日も気付いた事がある
悟り.覚りに、出家.在家の門はなし
唯、もの事をよく見て.聞いて.分析し.思惟.思推し.検証し.確証を得て理解し.正しく考え.正しく語り.正しく努力し.正しく集中し.正しく生きるだけ。
虚妄と妄迷に被われた社会に流されず、自らの真実を嗅ぎ分ける能力を信じて実践する者に叡智は顕現し、真理へと到達する。
因みに現役僧侶である私と.仮りに在家で到達した者との間に違いを見い出すならば、搾取とも思う高額な僧侶会費用を払わされている我が身か、そうではない自由な身かという事ぐらい・笑
⭕今日も気付いた事がある
往生とは、諦(あきらめる)事。
諦観とは、真理.道理.真実を見極める事.明らめる事であるのに対して.死に際しても尚、執着から解き放たれない者達への引導の言葉であり.そんな輪廻.継続する因縁(因果律)の者に.「成仏はあきらめろ。そのかわりに往生すれば.極楽浄土という阿弥陀仏(法蔵)が開いた楽園に生まれ変われる。南無阿弥陀仏と呪文(真言)を唱えさえすれば悪人でも救ってくれる」と説いたのが浄土教.浄土真宗であり、浄土教.真宗.天台宗.真言宗.日蓮宗という系列は、バラモン教.タントラ教.ゾロアスター教.ミトラ教の流れを汲むアーミターバー(阿弥陀仏)や観音菩薩やミトラ神(摩多羅神)への信仰宗教であり、仏教(ブッダの教え)と名乗ってはいるが大乗仏教とも言えない異教を含んでいるのである。
⭕今日も気付いた事がある
大観なき愚か者は[神]に憧れる
[猿と阿呆は高い処に登りたがる]と言われる如く、人心掌握の為も有るのだろうが.兎角に欲深い者は生への執着.断ち難く.せめてもの救いとしての最終目標は死後.神として崇められ祀られたいらしい。
何千億個の銀河と.その各銀河の中に何千億個の恒星(太陽)があり、その太陽の一つに依存する惑星に微生物の如く.うごめき生きる人の身で、況して煩悩に翻弄され小さな領土を僅かの間、空しく差配したに過ぎぬ身で、神と名乗りて 鎮座して、その身(生命)は.輪廻の激流を微生物から繰り返している実相は滑稽でもあり憐れでもある。
⭕今日も気付いた事がある
堅固な安らぎ.歓び.幸せを得るには.真理(真実.現実.事実.実相)を依り処(精神的支柱)とし.他のものを依り処(精神的支柱)としてはならない。
生地に知恵.能力.知識.精進.努力などがあると人は慢心したり高慢となったり自惚れして却って心を貧しく.醜く.厭らしくさせるもの。
幾ら浅知恵を働かせ知識を蓄め込み努力精進し能力を高めても.決して堅固で安定的な心の安らぎ.歓び.幸せ.静逸に達する事は出来ない
先ず慢心や自惚れという錯覚から目覚め、人の身の無力さに気付き.真理(真実.事実.現実.実相)に抗う無明を乗り越え.在るがままの天地自然の真理(理法.摂理.自然法則)に.在るがままの姿で身を委ねたとき人は初めて堅固なる安らぎ.悦楽.歓喜.静逸.幸せを得て救われる。
因縁起果報
⭕今日も気付いた事がある
○○の多い世の中で、○○に気を捉われず*拘らず*執着せずが幸せの道
⭕今日も気付いた事がある
知識や情報 溢れる今の世 増えるは○○ばかりなり
世の中に溢れ返る知識.情報.思想.観念.通説.見解に侵され.染められ偏って浅薄.短絡な主観的な見解に捉われてそれが真理(真実.事実.現実.実相)だと錯覚している小賢しい者達が増えてきて真正な仏道が歪ませる
例えば[煩悩を滅却.滅尽]するとか[ブッダは見解を持たなかった]とか、人間の[生存の素因]である煩悩や見解によって生かされているのであり煩悩を集束すれば存在欲であり見解を持たない主観も意識もなく.[有る無い]でも[持つ持たない]ではなく、捉われない.拘らない.無執着を説くのであり.煩悩を滅尽して見解を持たない廃人的アルツハイマー状態ではない。
⭕今日も気付いた事がある
夢は顕貴の種
諸行無常な世の中で、夢は叶わぬほうが良い。
果てしなく夢を追うのは空しく在りて*夢は叶えば消えさる定め、夢見*顕貴(ときめく)ほうが良い

人々よ、単なる推論に過ぎない見解*主義*主張*観念*思想を依り処(精神的支柱)とはするなかれ。それらは条件により変化生滅するもの、一時の安定(楽)も不安定(苦)へと戻る性質のものに過ぎない。
人々よ、所有の次元の事物を依り処(精神的支柱)とするなかれ。それらは決して目的物ではなく便宜的*手段的な付随物に過ぎない。
人々よ、虚妄夢幻に過ぎないものを依り処(精神的支柱)とするなかれ。星や暦が人を助けた事はなく*神や仏や預言者が幸いをもたらす事もない。
幸も不幸も己自身の満足度次第. 足るを知る
人々よ、決して変わらぬ堅固なものを依り処(精神的支柱)とし、不安定な心身を.実存的で堅固な安定域へと導かん。
有為(変化生滅する現象世界)なる世界で唯一の無為なるものは真理なり
(現実*真実*事実*実相)
真理(ダルマ)を依り処(精神的支柱)とし顕現する堅固なる安定域こそ涅槃(ニルヴァーナ)なり