智者の満足、愚者の満足

愚かな者は、日々の世俗的.感覚的刺激による満足を..幸福だと思い込んでいる。

それは本当の美味に気付かず. 雑草を美味しい美味しいと.食べているようなもの…

死に直面せずとも、生きている事自体.最高の快楽だという.この当たり前の事を.智者は弁えてる...

病み臥せずとも、元気に駆け巡れる事自体.最高の歓喜だという.この当たり前の事を.智者は弁えてる...

騒動に巻き込まれずとも、平和な日々自体.最高の安楽だという.この当たり前の事を.智者は弁えてる...

ところが凡夫ときたら、幻想に過ぎない名利の為に大切な命を削り、命の意味を捻じ曲げている。

煩悩の衝動で.どうでもいいもの事.下らないもの事.つまらないもの事.今更どうしようもないもの事に、気を取られ.捉われ.拘り.執着.愛着.渇望.渇愛.妄想する事なく、今と言う瞬間.瞬間を満足して奥深く味わう而今の価値を智者は弁えてる...
愚かな者は.何かしら得る事を欲する所有欲に翻弄され、ドゥッカ(苦.不満.不安定さ...)を何とか凌ぎつつ.ドゥッカ(苦.不満.憂い.空虚さ....)を怖れながら.心を貧しくさせてゆく...
智者は.例え得るものが少なくとも、足るを知り、愚かな己に打ち勝ち、存在の次元(人格.格質.器量.精神性..)を貴め、真の勝利者の輝きを放つ...
智者は知っている...
愚かに神仏頼みなどしてはいけない…
自らを真に救うのものは.自分自身であり、無明の闇を晴らすのも自分自身の事柄である事を...
無明(無知)の闇は、自らが目覚め覚醒し、乗り越え超越し、解き放たれ解放し、晴らすもの…真理(真実)は実践によって到達するものであり、観念が実践を包摂することなどなく空論は無益である事を...
それらは.一切を如実に、そして自在に観る事が出来ない人間の無明(無知)から来ているのだから...
外なる快楽を追い求め、捉われ、拘り、執着、愛着し制御できない愚かさから苦しみは生じるのだから...

智者は昨日を悔いたり、明日を心配に捉われず、とにかく[今]を生きている…
だから毎日が輝いている…
愚者は昨日を悔い、まだ来ぬ明日を憂い. [今]を見ようとしない…
青くとも刈られた葦には命がないように.愚者は真に生きてるとは言い難い…
麻薬患者が麻薬の陶酔を渇望しながら唯.人生を潰えるのと、体内麻薬の分泌で感覚.感情への刺激(陶酔)を渇望しながら唯.人生を潰えるのに如何ほどの差があると言うのだろうか…