仏教の最高峰 頂乗仏教学舎  路傍の如来 多々方路傍石

如来品正師 多々方路傍石のブログ

所有の輝き・存在の輝き

愚か者は所有物の輝きを自らが輝いていると勘違いして、承認欲求により得る事による喜びを、真の喜び.幸せと錯覚しながら常ならず無常な世界を苦と不満と欲望の中に.何も所有できずに人の身を終えそれが為に.輪廻してゆく。
賢者は、その存在性による輝きを磨き高め、その輝きにより成仏してゆく。
[得る事]による喜び(所有の喜び)に依存している心とは.本質的には弱く.不安定で.貧しい心であり、所有の次元の事物への執着(愛着. 渇望.渇愛)により.更に欲深く.貧しく.不浄な心となってゆく。
それは.何かしらを得られた時には.短命で儚い性質のものであっても.喜び(満足.快感)を得るが、もし得られなければ不安定.不満.苦(ドゥッカ)という本性に戻る、在るがままに喜び.満足.愉しみ.幸せ…を味わう事が出来ない心であり、常なく無常な世の中では.僅かな小楽と大きなドゥッカ(苦.不満.不安定さ.憂い.…)の中を、いつかは本当の堅固な満足.安定.幸福などを得る事が出来ると信じながら.妄想しながら、大切な一生を費やすのである。
得る事(所有の次元の事物)によって生じる一時的で短命で儚い感覚的な小楽(喜び.快感.満足感.愉しさ)が幸せだと錯覚して依存している愚かで無明で心貧しい人々は.自分が愚かで無明(無知)で心貧しいとは気付く事が出来ない。
心貧しい人は、得たものを.これは自分のものだとしがみつき.他者に分け与える事が出来ない。
それは自分が自身の努力や能力によって得たのだ.という錯覚でもあり、先人の苦労や努力の上に.今という時代があり、良い巡り合わせで今の環境.境遇に生まれついたからでもあり、世界を見渡せば、貧困の中で学校へ通う事もままならず貧困から抜け出す術もない人も、明日をも知れない境遇(戦火.難民…)の中に生まれついた人もいる…
そして皆んな望んでそんな境遇に生まれついた訳でもない偶々の巡り合わせだけに過ぎず、自分の努力と能力だと過信してしまうのは、愚かで無明(無知)で心貧しいからに他ならない。
そんな本質的には無我な現象的な存在に過ぎない自分の利得.感覚的喜び.快楽に捉われ.拘り.執着(愛着.渇望.渇愛)して、煩悩(存在欲)の命ずるままに得る事(所有欲)に翻弄されながら、
得られなければドゥッカ(苦.悩み.心痛.憂い.哀しみ.悔い.迷い.不満.怒り.儚さ.空虚さ.惨め.弱さ.脆さ.無明さ.無常さ.欲望…)へと戻ってしまう不満や怒りを基軸とした貧しい心を捨て去り離れ、[存在の次元]という存在的価値観を高めて行く事により在るがままに喜び.満足.愉悦.快楽.安定.安心.多幸感を味わい、
生きていること自体、最高の快楽である事に気付き、輪廻転生という激流から脱出して、真の成仏を果たす事こそ人の身として生まれてきた真の目的なのである。
その為には先ず.常に五感管(眼耳鼻舌身意)を外世界へと向け、何かしら得るものはないかと彷徨わせている心(餓鬼心)であり、その餓鬼心により心を汚し.欲深くさせ.自我意識(自己中心.自分勝手.自利自得)から離れられない自分が.、愚かさ.無明.貧しい心を捨て去り離れ捨離し目覚め覚醒し.乗り越え超越し.解き放たれ解放されて行かなけならない。
物質文明.権威主義的.欲望社会に多くの現代人が魅入られ.惑わされ.冒され.苦しみ.悶ながらも気付かない難病であり、諸悪の根源でもある。

「愚か者に知識があっても、それは彼には不利なことになってしまう。その知識は彼の好運(しあわせ)を滅ぼし彼の頭をうち砕く(人生が破滅する)」(Dh.72)