俗事に感けて.仏事を疎かにするなかれ

⚫お釈迦様(ブッダ)が説きしは.覚醒への道であり.妄迷への道ではない.
実存の錯覚の滅尽(諸行無常)
⚫お釈迦様(ブッダ)が説きしは.宗教(宗ねとなる教え)であり.信仰ではない.
❖信仰とは妄信(信心)することであり、物事が本当には見えていない盲目的な行為である。
物事が本当に見えてる人には信じる(妄信)と言う言葉はなく、見えている.識っている.理解している(正信)だけである。
自我の妄想の滅尽(諸法無我)
⚫お釈迦様(ブッダ)が説きしは.この世界の実相への帰依であり.虚妄への帰依ではない.
感覚的快楽への執着の滅尽(一切皆苦)
⚫お釈迦様(ブッダ)が説きしは、真理への依拠であり、夢幻への依拠ではない
無明の闇の滅尽
盲目的に手探りで暗夜行路をゆくが如し
智慧の光で. 真理を照らし出すのが仏道
⚫お釈迦様(ブッダ)が説きしは.存在の次元への道であり.所有の次元への道ではない. 真の価値(輪廻転生)
⚫お釈迦様(ブッダ)が説きしは、仏事への精進であり.俗事への精進ではない.
❖儀式.祭礼.法要などは俗事であり、仏事ではない。
❖葬儀.葬祭によっては、何ら死者の救いは得られない。
葬儀.葬祭によって成仏するのではなく、
その人の徳性によって、天に赴くのである。
葬儀.葬祭も世俗的な儀式である。
❖読経.念仏.声明などは、出家者には暗通の為であり、衆俗には心の集中や安堵の為であり、得体の知れない神仏の力を期待したり.希い願い.頼む為のものではない。
故に、毎日一万編の読経をするより、一度でも施与する者のほうが優れていて功徳も積み上がると説かれているのである
因みに法要とは.有り難い経文を唱えて死者を浄化する理由ではなく、唱える者が積み上げた徳を廻向するものである。
故に出家者は俗事に感けず、徳積み.善行.陰善に励まねばならないのであるが、とかく善行を説くものには言行不一致なものが多く、プラパンチャ(戯れ言.能書き.空論.綺麗事)に聞こえ[巧言令色少なし仁] とも思われるのも、実際に意識しながら善行を積もうと暮らしている人は大概がふと不善な事をしてしまった自分に気付く時、自己嫌悪に陥ったり.諦めてしまったり疲れてしまったりするようで、続かないものであり、「悪い事はしない」「他人に迷惑を掛けない」と心掛けて暮らしていると、自然と善行(それも高徳の陰善)をしているもの。